NHK-FMで「鳥」の音楽特集を放送してて、メシアンとか流れてた。
「“鳥たちの深淵”〜“世の終わりのための四重奏曲”から」
                        メシアン作曲
                       (7分33秒)
               (クラリネット)ポール・メイエ
            <DENON COCO−78917>
「鳥の目覚め」                 メシアン作曲
                      (21分40秒)
                (ピアノ)イヴォンヌ・ロリオ
         (管弦楽)チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
                (指揮)ヴァーツラ・ノイマン
           <SUPRAPHON CO−4498>
「ステンドグラスと鳥たち」           メシアン作曲
                       (8分28秒)
「異国の鳥たち」                メシアン作曲
                      (15分26秒)
                (ピアノ)イヴォンヌ・ロリオ
       (管弦楽)アンサンブル・アンテルコンタンポラン
                (指揮)ピエール・ブーレーズ
     <DISQUES〜MONTAIGNE NSC 1>
これ、再放送とで2回聞いたのだが、1回目は「メシアンだから何でもいいってわけではないんだな」と軽く失望していたが、2回目聞いたときは、「さすがメシアンは違う」と絶賛したくなった。1日経っただけなのに、この違い!聞く側の体調とか、環境とかで、こうも印象が違ってくるのか、とわれながらあきれた。

嶽本野ばら君の『タイマ』を読んだ。
大麻所持で逮捕されてからの復帰作。
あいかわらずの妄想小説で、健在ぶりを発揮していた。
「妄想小説」っていうのは、「幻想小説」とは意味合いが違っていて、作者の妄想によって小説のアクセルを踏んでいる作品のことで、今、僕が考えた。以前からきっと妄想を主食にして野ばら君は小説書いていたんだと思うけど、この本読んで急に僕がこう思った、っていうのは、本当なら隠しておくべきところを、手の内見せているというわけだ。これを、脇があまくなった、ととるか、新境地を開いた、ととるか。
野ばら君は書きたいものを書いているんだろうが、本当に書きたいものはまだ書いていないような気がしてならない。あるいは、もう本当に書きたいものは書いてしまっていて、次に書きたいものを手探りでさがしているのか。

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