健康診断。80才くらいの老婆による採血がまさしく恐怖。採血のあと、いつまでも針を抜かずにグリグリするので失神するほど痛かった。1週間たっても内出血のあとは消えない。2度と堺筋本町のあそこでは健康診断を受けない。

成瀬巳喜男監督の「薔薇合戦」を見た。1950年
丹羽文雄原作。
化粧品会社を経営する姉と、2人の妹の話。
化粧品会社が百合化粧品とニゲラ化粧品、と両方が花の名前なのが面白い。それで薔薇合戦なのか。出演しているのが桂木洋子、ときわめて植物的。
ブロバリンを宣伝するアドバルーンがあがっていたりするのが時代を感じさせる。
映画に関する言及も多く、「マイルストン物語」の試写会デートとか、「好きは好きでもシジャン・マレーやシャルル・ボワイエが好きなのと同じ」と言ったり。
クライマックスで、今まで姉のいいなりになっていた妹がこんなことを言う。
「以前の私は姉さんの言い付けどおり、右を向けと言われたら1日中でも右を向いていました。でも今では、どうせ向くとしても自分というものをかわいそうと思うだけ欲がでてきた」
ふむふむ。これとほぼ同じ文句をどこかで聞いたことがあるのだが、思い出せなくて、もどかしい。

西尾維新の『きみとぼくの壊れた世界』加筆修正したというハードカバー版を読んだ。
兄と妹のニア近親相姦。級友殺人。
ミステリ部分で言えば、あまりにも作者が本格推理に興味がないことを露わにしすぎで、困った。殺人らしきものが起こるのだが、死因すらはっきり書いていないのである。また、誰でもが真っ先に考えるトリックがそのまんまトリックとして使われていて逆に驚いた。死んだとたんに、死者は彼らのステージからは退場させられてしまう。かつては死はメッセージであったり、抗議であったり、あてつけだったりすることが出来たが、彼らにとって死は退場でしかないのだ。
こんな文章がある。

世界は問題だらけで、しかも、僕らの周囲にある問題は、消えることも絶えることもないその問題は、いつだって、卑近で、わずらわしいものばかりだ。もっと高尚な問題で悩みたいと思っても、近いところには、卑近で身近な、最近の問題しかないのだった。家族のこと、友達のこと、恋愛のこと、友情のこと、学校のこと。なんて、狭い、世界だろう。そして、そんな狭い世界でも、僕の思いのままにはならない。そこは僕の世界のはずなのに、でもその世界でも、僕は全然神様なんかにはなれないのだ。

どう?
若い人たちは、こんなうだうだとした言い訳を読んで共感しているのかと思うと、情けなくなる。作者の狙いはそこにある。上に引用したような、作者が「ほら、ほら、ここですよ、ここ読まなくちゃ。試験に出ますよ」的注意の喚起で、読者に「きみとぼく」の「世界」の情けなさを提示してみせるのだ。

小沢さとるの『烈剣五郎』全4巻を読んだ。
「冒険王」昭和37年4月〜38年8月号
少年烈風隊の活躍を描く漫画。隊員は、
吹雪五郎(烈剣白吹雪)
草間一平
かげろう藤太
鳥さしの三次
つぶての小源太
かえで(源氏久郎の孫)
三吉
の面々。
話は三部にわかれている。
1部:大砲の図面争奪戦
2部:豊臣家の血筋をひく盲目剣士、烏丸信秀
3部:軍用金のありかを書いた絵図面争奪戦
第1部途中のあらすじをそのまんま引用すると、こんな具合。

吹雪五郎を隊長とする少年烈風隊の5人は、白覆面の忍者の一団「白柄組」のたすけがあって、少年烈風隊の敵、海坊主の源造一味を、やっつけることができた。
だが、味方と思った白柄組は、隊員草間一平の父のつくった大砲の図面をねらう、忍者の一団だったのだ。
江戸にいく少年烈風隊には、白柄組の者がつけていた。隊員の忍者藤太は、尾行者をつぎつぎとたおしていくのだが。

結局、1部では、落雷で絵図面もろとも敵が全滅して終わり。
2部はめくら剣士が死んでしまう。
3部はあっさりと終わり。

「日本の話芸」で藁人形/桂歌丸
江戸落語。鍋の中を見ちゃいけない、と釘をさされるシーンにはぞくっときた。釘はさせない、という噺なんだが。

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