PONBASHI DAYS Vol.13@ディスクピア日本橋〜上方亭講談ライブ〜Saori@destiny@ディスクピア日本橋、スティル・クレイジー、ソウ2、シティ・オブ・ゴッド、「め〜てるの気持ち」
2008年11月29日 読書午後1時からディスクピア日本橋でPONBASHI DAYS Vol.13。
宝城里音
1.MIRAI
2.愛の奇跡
りおん公爵、もっと痛々しいキャラかと思ってたけど、えらくまっとうだった。
M/W
1.ひとさしゆびロマンス
2.ミッドナイトワンダーランド
3.落書き帖
4.最強ヒロイン瞬殺スマイル
「らんらんムー」ってのがいつ見ても面白いな。
MaryDoll
1.渚のシンドバッド
2.tell me
3.baby star
4.ハニーチューン
白の衣装バッチリ。
アイドルは衣装が半分だから、カジュアルな格好だと興趣が殺がれること夥しいのである。
午後2時30分から上方亭で講談。
山内一豊と千代/旭堂南海
妻・千代が手鏡の中に隠しておいた十両で名馬を購入、夫・一豊は流鏑馬の腕前で織田信長に認められる、というお馴染みのエピソード。馬の「あお」が大阪弁でしゃべるのも愉快。
かつては「見てきたような嘘」で本当と嘘の割合が4:6だったのが、歴史の研究が一般にも普及し、師匠の南陵から「史実に忠実に」と言われ、6:4の割合で本当のことを言うようになった、とか。
情け相撲/旭堂南鱗
横綱・谷風の物語。今なら八百長相撲だと騒がれるような内容だが、昔の人は見るところ、感じるところが違っていたんだなあ、と思わせる。僕は横綱審議会とか、八百長を弾劾する立場には、非常に違和感を覚えており、こういう講談の世界での感じ方に近い。ギャーギャーわめきたてる人を見ると、この人たちは本当に相撲が好きなんだろうか、と疑ってしまう。なお、マクラは横綱輪島の伝説について。(ガッツ伝説みたいなもの)
ワッハ上方ライブラリーで桂枝雀のDVD見る。
舟弁慶
かぜうどん
たまに見ると、その面白さに唖然とする。
このときの枝雀を越える落語家が今、いるのかと言われると、首をひねってしまうわけだ。
午後5時30分からディスクピア日本橋でSaori@destinyのインストアライブ。
アルバム「JAPANESE CHAOS」から。10曲入りのアルバムの半分を聞いたことになる。
セットリストはちょっとわからなかったが、こんな感じだったか
シャングリラ、パーフェクトワンダーガール、sakura、ヒカリシンドローム、あと1曲くらい。
エレクトロポップはボーカルの声を変えているため、多くが口パクになる。ならば、歌は本人が歌っていなくても成立するんじゃないか、と思われる。表舞台に立つ人間はステージや雑誌のインタビューなどをこなし、歌担当の人間はえんえんとレコーディングすることも可能なのだ。こういう2人1役って、実際にありそうだ。最近読んだ『キャラクターズ』みたい。
夜からいくつか見に行きたいイベントもあったが、ちょっと節約。
テレビで映画「スティルクレイジー」ブライアン・ギブソン監督。1998年
70年代ロックバンドの再結成ストーリー。70年代ロックが好きな僕にはツボ。
パンクファッションの観客から嘲笑されるグラムなステージが面白い。こういうのは笑おうと思えば笑えるし、すごいと賞賛しようと思えば賞賛できる。きわめて恣意的なものなのだ。
無茶してた全盛時にくらべ、年をとり、時代もかわって、健康志向になり、また、保守的になっていたメンバーたち。そんな彼らにハッパをかける言葉が、タイトルになっている「今でもハジケてるか?」だ。
ボーカルが50才の誕生日を祝うケーキを壁に投げ付けるシーンには考えさせられた。年老いることに苛ついているのだが、実年齢など早く60にでも70にでもなって、想像上の老人を裏切ればいいのに、と僕なら思うな。もうすぐ50才の誕生日を迎える僕は、早く来い来い誕生日、なのだ。
「ソウ2」ダーレン・リン・バウズマン監督。2005年
死を前にしたジグソウが生を粗末に生きている輩に生命の尊さを教えるために死のゲームをしかける「ソウ」。こういう設定は、あってもなくてもいいようなもので、真面目にこの設定を考えると、余計なお世話でしかなく、殺人ゲームの仕掛人が単なるおせっかい野郎に堕してしまう。と、思いつつも、やっぱりジグソウのやってることには違和感ばかりが先立つ。そんな「ソウ」シリーズの第2弾。面白くてグイグイ引き込まれた。
このシリーズの面白さは後ろで糸をひいているのは誰なのか、ということだ。それはジグソウだ、と答えは最初から出ているようなものだが、彼がどこにいるのか、というのが第1弾の眼目で、この第2弾でも、ジグソウの後継者が実は潜んでいた、という真相が明かされる。と、いうことはミステリーで言う「フーダニット」になるわけだが、もちろん、そういう目で見ると、あまりにも穴が多過ぎて、話にならない。単なる謎を解くための殺しあいのゲームだと思ってたら、こいつが犯人だったのか、という意外性がすべてだ。ホラーだと思ってたら、推理小説的結末が用意されていた、という。これが第3弾、第4弾になると、見る方もこの中に映像に示された以外の行動をとっている人間がいるはずだ、という先入観をもって見ることになる。近いうちに「ソウ3」も見る予定だが、そうした期待を上回ることができるかどうかが今から楽しみだ。
「ソウ2」に関して言えば、あまりにも死んでもかまわない登場人物ばかりで、恐怖感が味わえなかった。助かってほしい人物が存在しない。謎を解いて脱出するゲームのはずなのに、みんなバカすぎるのだ。おまけに、謎解きも不十分だ。次の作品で積み残された謎が解明される、ってのが僕の一番嫌いなタイプなのだ。どうせ自分で作った謎を自分で解ききれなかっただけなのだろう、と思ってしまう。
「シティ・オブ・ゴッド」フェルナンド・メイレレス監督。2002年、ブラジル映画。
金と暴力が支配する町。1960年代からのスラムの年代記。
町を牛耳るのが若者と子供だ、というのが悲しい。教育をきちんと受けていなくて文盲が多く、考え方の幼稚さと言ったらない。そんな人間たちばかりだからこそ、金と暴力が蔓延するのだ。
視点のさだまらないカメラに、すぐに命のやりとりをして、コロコロと登場人物が入れ替わる過激さが反映する。
なんとこれが事実に基づいた話だと言うから驚きだ。
金と暴力と薬と煙草と酒。子供と大人の差は、これをおおっぴらにするか隠れてするか、という程の違いなんだろう。
強烈な映画で、これは見てよかった!
奥浩哉の『め〜てるの気持ち』を読んだ。全3巻。
ひきこもりの男が若い義母とセックスして立ち直る物語で、このあらすじだけではまったくの幻想ファンタジーである。こんなバカな話があってたまるか、と思う。義母とセックスするときだけ、情けないひきこもり男がキリッとした好男子になるとか、完全にギャグ漫画なんじゃないだろうか。今夏のコミケで販売された同人誌『ソシオクリティーク/ナツカレ!2008』の記事「ひきこもり作品メッタ斬り!」で斎藤環が「ホントにやったら2度と立ち直れそうにない仕打ち(笑)」とか「はるかアフターケアなさすぎ」と一応発言しているが、それほど辛口では批評していない。やっぱりギャグ漫画だったのか。
宝城里音
1.MIRAI
2.愛の奇跡
りおん公爵、もっと痛々しいキャラかと思ってたけど、えらくまっとうだった。
M/W
1.ひとさしゆびロマンス
2.ミッドナイトワンダーランド
3.落書き帖
4.最強ヒロイン瞬殺スマイル
「らんらんムー」ってのがいつ見ても面白いな。
MaryDoll
1.渚のシンドバッド
2.tell me
3.baby star
4.ハニーチューン
白の衣装バッチリ。
アイドルは衣装が半分だから、カジュアルな格好だと興趣が殺がれること夥しいのである。
午後2時30分から上方亭で講談。
山内一豊と千代/旭堂南海
妻・千代が手鏡の中に隠しておいた十両で名馬を購入、夫・一豊は流鏑馬の腕前で織田信長に認められる、というお馴染みのエピソード。馬の「あお」が大阪弁でしゃべるのも愉快。
かつては「見てきたような嘘」で本当と嘘の割合が4:6だったのが、歴史の研究が一般にも普及し、師匠の南陵から「史実に忠実に」と言われ、6:4の割合で本当のことを言うようになった、とか。
情け相撲/旭堂南鱗
横綱・谷風の物語。今なら八百長相撲だと騒がれるような内容だが、昔の人は見るところ、感じるところが違っていたんだなあ、と思わせる。僕は横綱審議会とか、八百長を弾劾する立場には、非常に違和感を覚えており、こういう講談の世界での感じ方に近い。ギャーギャーわめきたてる人を見ると、この人たちは本当に相撲が好きなんだろうか、と疑ってしまう。なお、マクラは横綱輪島の伝説について。(ガッツ伝説みたいなもの)
ワッハ上方ライブラリーで桂枝雀のDVD見る。
舟弁慶
かぜうどん
たまに見ると、その面白さに唖然とする。
このときの枝雀を越える落語家が今、いるのかと言われると、首をひねってしまうわけだ。
午後5時30分からディスクピア日本橋でSaori@destinyのインストアライブ。
アルバム「JAPANESE CHAOS」から。10曲入りのアルバムの半分を聞いたことになる。
セットリストはちょっとわからなかったが、こんな感じだったか
シャングリラ、パーフェクトワンダーガール、sakura、ヒカリシンドローム、あと1曲くらい。
エレクトロポップはボーカルの声を変えているため、多くが口パクになる。ならば、歌は本人が歌っていなくても成立するんじゃないか、と思われる。表舞台に立つ人間はステージや雑誌のインタビューなどをこなし、歌担当の人間はえんえんとレコーディングすることも可能なのだ。こういう2人1役って、実際にありそうだ。最近読んだ『キャラクターズ』みたい。
夜からいくつか見に行きたいイベントもあったが、ちょっと節約。
テレビで映画「スティルクレイジー」ブライアン・ギブソン監督。1998年
70年代ロックバンドの再結成ストーリー。70年代ロックが好きな僕にはツボ。
パンクファッションの観客から嘲笑されるグラムなステージが面白い。こういうのは笑おうと思えば笑えるし、すごいと賞賛しようと思えば賞賛できる。きわめて恣意的なものなのだ。
無茶してた全盛時にくらべ、年をとり、時代もかわって、健康志向になり、また、保守的になっていたメンバーたち。そんな彼らにハッパをかける言葉が、タイトルになっている「今でもハジケてるか?」だ。
ボーカルが50才の誕生日を祝うケーキを壁に投げ付けるシーンには考えさせられた。年老いることに苛ついているのだが、実年齢など早く60にでも70にでもなって、想像上の老人を裏切ればいいのに、と僕なら思うな。もうすぐ50才の誕生日を迎える僕は、早く来い来い誕生日、なのだ。
「ソウ2」ダーレン・リン・バウズマン監督。2005年
死を前にしたジグソウが生を粗末に生きている輩に生命の尊さを教えるために死のゲームをしかける「ソウ」。こういう設定は、あってもなくてもいいようなもので、真面目にこの設定を考えると、余計なお世話でしかなく、殺人ゲームの仕掛人が単なるおせっかい野郎に堕してしまう。と、思いつつも、やっぱりジグソウのやってることには違和感ばかりが先立つ。そんな「ソウ」シリーズの第2弾。面白くてグイグイ引き込まれた。
このシリーズの面白さは後ろで糸をひいているのは誰なのか、ということだ。それはジグソウだ、と答えは最初から出ているようなものだが、彼がどこにいるのか、というのが第1弾の眼目で、この第2弾でも、ジグソウの後継者が実は潜んでいた、という真相が明かされる。と、いうことはミステリーで言う「フーダニット」になるわけだが、もちろん、そういう目で見ると、あまりにも穴が多過ぎて、話にならない。単なる謎を解くための殺しあいのゲームだと思ってたら、こいつが犯人だったのか、という意外性がすべてだ。ホラーだと思ってたら、推理小説的結末が用意されていた、という。これが第3弾、第4弾になると、見る方もこの中に映像に示された以外の行動をとっている人間がいるはずだ、という先入観をもって見ることになる。近いうちに「ソウ3」も見る予定だが、そうした期待を上回ることができるかどうかが今から楽しみだ。
「ソウ2」に関して言えば、あまりにも死んでもかまわない登場人物ばかりで、恐怖感が味わえなかった。助かってほしい人物が存在しない。謎を解いて脱出するゲームのはずなのに、みんなバカすぎるのだ。おまけに、謎解きも不十分だ。次の作品で積み残された謎が解明される、ってのが僕の一番嫌いなタイプなのだ。どうせ自分で作った謎を自分で解ききれなかっただけなのだろう、と思ってしまう。
「シティ・オブ・ゴッド」フェルナンド・メイレレス監督。2002年、ブラジル映画。
金と暴力が支配する町。1960年代からのスラムの年代記。
町を牛耳るのが若者と子供だ、というのが悲しい。教育をきちんと受けていなくて文盲が多く、考え方の幼稚さと言ったらない。そんな人間たちばかりだからこそ、金と暴力が蔓延するのだ。
視点のさだまらないカメラに、すぐに命のやりとりをして、コロコロと登場人物が入れ替わる過激さが反映する。
なんとこれが事実に基づいた話だと言うから驚きだ。
金と暴力と薬と煙草と酒。子供と大人の差は、これをおおっぴらにするか隠れてするか、という程の違いなんだろう。
強烈な映画で、これは見てよかった!
奥浩哉の『め〜てるの気持ち』を読んだ。全3巻。
ひきこもりの男が若い義母とセックスして立ち直る物語で、このあらすじだけではまったくの幻想ファンタジーである。こんなバカな話があってたまるか、と思う。義母とセックスするときだけ、情けないひきこもり男がキリッとした好男子になるとか、完全にギャグ漫画なんじゃないだろうか。今夏のコミケで販売された同人誌『ソシオクリティーク/ナツカレ!2008』の記事「ひきこもり作品メッタ斬り!」で斎藤環が「ホントにやったら2度と立ち直れそうにない仕打ち(笑)」とか「はるかアフターケアなさすぎ」と一応発言しているが、それほど辛口では批評していない。やっぱりギャグ漫画だったのか。
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