円堂都司昭の『「謎」の解像度(レゾリューション)〜ウェブ時代の本格ミステリ』を読んだ。
以下、目次

プロローグ 基本感情
 現実への抗いとしてのミステリ 有栖川有栖
1、場所
 シングルルームとテーマパーク 綾辻行人
 プライバシーの壊れた場所 折原一
 楽園であり牢獄である都市 芦辺拓
2、人・アイデンティティ
 「私」と「わたし」のギャラリー 北村薫
 個人性の回復と分身 法月綸太郎
 交換可能な人、あてレコ的な世界 麻耶雄嵩
 編集・加工される記憶 島田荘司
 「人間」を描くための「眼」 道尾秀介
3、システム・世界
 POSシステム上に出現した「J」−90年代ミステリに与えた清涼院流水のインパクト
 人と世界の多重イメージ 歌野晶午
 現実感の裂け目の不条理 貫井徳郎
 検索が無効な空間 我孫子武丸
 相対化される推理 竹本健治
4、人とシステム
 ファストフード的世界と疎外感 西澤保彦
 器としての人形・館 綾辻行人2
 モノ化するコトと「環境」の多面性 京極夏彦
 ゼロ年代の解像度(レゾリューション)−本格ミステリをめぐる現在
エピローグ 「青春」「紙の本」以後
 青春以前小説/青春以後小説 米澤穂信
 「本の終焉」以後の小説−北山猛邦『少年検閲官』と山田正紀『ミステリ・オペラ』

一番面白かったのは、「1、場所」の各論。
そのなかで、駄目押しの推測がツボに入った。
たとえば、綾辻80年代のシングルルームから清涼院90年代のストリートへのうつりかわりを示す、次のような表記。
「だが、80年代的なシングル・ルーム感覚は、やがて携帯電話に代表される90年代のストリート感覚によって蝕まれ変質していった。このことは『黒猫館の殺人』(92年)以後、<館シリーズ>が長期にわたって中断したことと微妙に関係しているようにもみえた」
これぞ、『成吉思汗の秘密』でラストに明かされる「なるよしもがな」的駄目押しの締めくくりだ。
冷静に考えると、「ほんまにそうかいな?」と言うような粗い推理だが、傾いている体勢に加えられる最後のひと押しとして機能している。
同じ論考で、こんな文章も。
「『コズミック』(96年)で進行する1200個の密室殺人計画が、まず平安神宮の路上の密室でスタートしたことは暗示的だ」
著者は控えめに「〜ようにもみえた」とか「暗示的だ」と濁しているが、ここは断言してもらって、快哉を叫ばせてもらいたいところだ。

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