日本人の精神と資本主義の倫理
2008年10月28日 読書
波頭亮と茂木健一郎による『日本人の精神と資本主義の倫理』を読んだ。
以下、目次
まえがき 自分の内なる鏡を磨くために
第1章 「大衆というバケモノ」が野に放たれた
プロフェッショナルな職業は使命と責任を負っている
自称プロフェッショナルが情報やスキルを悪用している
日本の富裕層はなぜ寄付しないのか
寄付を引き出す工夫をしているか
経済的繁栄を追求し、心の安寧を放棄した日本
「大衆というバケモノ」が放たれた醜悪な現代
平均値に引きずりおろす「ピアプレッシャー」の横行
見識者としての譲れない一線
ノーブレス・オブリージュが浸透しているイギリス
「世界には分からないことがたくさんある」が出発点
ハイレベルな文化に経緯を持てるか
「売れてなんぼ」に拮抗する価値軸がない日本
先人たちは自己反省を繰り返してきた
東京の景観が戦後の日本人の精神の荒廃を象徴している
ノーベル賞はもっとも成功したビジネスモデル
第2章 個性とテレビメディア
個性を無条件に肯定すべきではない
ポップカルチャーに対峙するハイカルチャーが消えた
変人が変人である自由を認められるか
日本人はなぜ突き抜けることができないのか
無個性な日本人のルーツを歴史に探す
テレビが決して伝えなかった篠沢秀夫の実像
「詠み人知らず」ジョークのブログを閉鎖
「腹を切れば許される」では正義が根付かない
世界で通用しない日本人の「当たり前」
欧米型を中途半端に取り入れてしまった日本
本当は日本を愛したい、でも愛せないのはなぜか
「トレンディ」のレッテルと小津安二郎
第3章 資本主義を生き抜くためのビジョンを総合知
平成を象徴するホリエモン的現象
ビジョンとフィロソフィーの欠如
強大な力を持つ者ほど自己規制が必要
金勘定だけで動く社会は死に絶える
カネのために仕事をしなくても飯は食える
信念を貫き通せば帳尻が合う
経済成長が「手段」から「目的」に変わってしまった
バブルの成金的風土から一転、不況へ
インテリの反撃が始まった
専門馬鹿でないことの大切さ
学習の効率をもっとも高めるには
「変化する」ことが「学習」である
複雑化する社会で働くことの意味を考える
多様で複雑な人間と社会をどう理解すべきか
第4章 格差を超えて
経済格差と豊かさの実感はリンクしない
ネット浸透の結果、生き延びるもの、淘汰されるもの
人間は地球の寿命を縮めている
秀吉がすべてなげうってでも得たかった千利休の世界
「日本人の忘れ物」に価値を見出す
世界最高の職人を生み出す日本が金儲けゲームに勝てない理由
教育システムが秀でた者を平均値に引きずりおろす
スティーブ・ジョブズ的価値が欠如している
アメリカを進歩させたのは怒りである
総合的なインテリジェンスと決断力
経済格差など気にするな
今や最高学府はインターネット上にあるが…
どう、薄っぺらい新書なのに、この目次の文字数の多さ。
目次の方が本文よりも充実している、と言ってもいいかもしれない。
内容については、目次ですべてが語られている。
いくつか文を引用してみるが、これらを読んで、どう感じなさる?
「サンダル突っかけているオバサンも、100億円稼いだ資産家も、その精神性において違いなどまるでないのが今の日本なのです」(茂木)
「僕は埼玉の田舎育ちで、両親にしても普通の人たちだから、僕自身はいわば大衆の側から生れてきた人間だと思っています。(中略)初めてオペラを鑑賞したのが高校3年のとき。それまで観たことがなかった。(中略)埼玉の田舎育ちで、少年期のクラシック音楽体験といえば、アルフレート・ブレンデルが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタをレコードで聴いたことぐらいでしかなかった。有名なピアニスト、ウラディーミル・アシュケナージも知らなかったし、世界的な指揮者、クラウディオ・アバドの名前を知ったのも大学生になってからです。つまり、僕はそうした環境から出てきたわけです」(茂木)
「アイドルが出るドラマなど一瞬たりとも観たくない。そういうのがテレビに映るとすぐに消してしまうほど。もちろん、アイドルたちをアイコンにする世界は、イギリスにもあるけれど、それに対抗するハイカルチャーの軸がきちんと存在するわけです」(茂木)
「僕は東京大学理科Ⅰ類に進んだわけです。ところが、みんな勉強はできるけど、休み時間になると漫画ばかり読んでいる。それから理学部物理学科に進んだときも、学生控え室を覗くとやはり漫画が置いてあった。理学部物理学科は当時、東大の進学振り分けでテストの基準が一番高い学科。それでもこのざまです。自分はなんてくだらない世界に来てしまったのだろうと思いました」(茂木)
あと、小見出しにもなっていた「『売れてなんぼ』に拮抗する価値観がない日本」
これらの文章を読んでカチンときてしまうのは、単なる僕の僻み?
それと、この日記を読んで「アレ?」と思った人は、かなりの保山マニアである。
なぜなら、この本をタイトルにした日記が去年の11月にもあるからなのだ。
今回、僕はこの本を既に読んだことのある本だと気づかずに、読んでしまったのだ。
あいにくと日記書くのが面倒で、前回は本の感想をいっさい書いていなかった。
途中、「このエピソード、どこかで同じこと言ってたな」「こいつら、同じことばっかり書いているな。よっぽどネタに困っているにちがいない」「この対談、どこかに掲載されてたのを先に読んだんだろうか」「デジャブにしては激しすぎる」「僕はひょっとして予知無でも見たのか?」「僕って予言者?」と、ページをめくるたびに首をひねっていたのだが、読み終えてから自分の日記を検索してみたら、見つかったのだ。
まあ、1年近く前に読んだ本だから、これだけ間隔があいているのによくぞこれだけ覚えていたものだ、と逆に驚いたりもしたが、はっきり言って、2回も読む本じゃない。
日本の話芸で一龍斎貞心「朝顔日記」
すれちがいのメロドラマ、いいとこどり。
お年のわりにぴったりとしてまるで頭にのっけたような髪形が気になって、「その朝顔を取れ!」と言いたくなった。
「あの人にあいたい」は林忠彦。ルパンでの太宰の写真はトイレから撮ったとか。
永井荷風に会いに行ったら、本人が出て来て「永井は出かけております」と堂々と居留守使われたとか。愉快なエピソードが聞けた。
読んだ漫画はSABEの『ブルマー200X』わんだーらんどやアニメイト、信長書店などいろいろ探したあげく、とらのあなで買ったが2006年第1刷だった、ということは、あんまり売れていないのだろうか。カンフーとブルマに特化した内容。『世界の孫』は3巻まで読んだが、こんなに面白い漫画はまたとない、と思っているのに。
以下、目次
まえがき 自分の内なる鏡を磨くために
第1章 「大衆というバケモノ」が野に放たれた
プロフェッショナルな職業は使命と責任を負っている
自称プロフェッショナルが情報やスキルを悪用している
日本の富裕層はなぜ寄付しないのか
寄付を引き出す工夫をしているか
経済的繁栄を追求し、心の安寧を放棄した日本
「大衆というバケモノ」が放たれた醜悪な現代
平均値に引きずりおろす「ピアプレッシャー」の横行
見識者としての譲れない一線
ノーブレス・オブリージュが浸透しているイギリス
「世界には分からないことがたくさんある」が出発点
ハイレベルな文化に経緯を持てるか
「売れてなんぼ」に拮抗する価値軸がない日本
先人たちは自己反省を繰り返してきた
東京の景観が戦後の日本人の精神の荒廃を象徴している
ノーベル賞はもっとも成功したビジネスモデル
第2章 個性とテレビメディア
個性を無条件に肯定すべきではない
ポップカルチャーに対峙するハイカルチャーが消えた
変人が変人である自由を認められるか
日本人はなぜ突き抜けることができないのか
無個性な日本人のルーツを歴史に探す
テレビが決して伝えなかった篠沢秀夫の実像
「詠み人知らず」ジョークのブログを閉鎖
「腹を切れば許される」では正義が根付かない
世界で通用しない日本人の「当たり前」
欧米型を中途半端に取り入れてしまった日本
本当は日本を愛したい、でも愛せないのはなぜか
「トレンディ」のレッテルと小津安二郎
第3章 資本主義を生き抜くためのビジョンを総合知
平成を象徴するホリエモン的現象
ビジョンとフィロソフィーの欠如
強大な力を持つ者ほど自己規制が必要
金勘定だけで動く社会は死に絶える
カネのために仕事をしなくても飯は食える
信念を貫き通せば帳尻が合う
経済成長が「手段」から「目的」に変わってしまった
バブルの成金的風土から一転、不況へ
インテリの反撃が始まった
専門馬鹿でないことの大切さ
学習の効率をもっとも高めるには
「変化する」ことが「学習」である
複雑化する社会で働くことの意味を考える
多様で複雑な人間と社会をどう理解すべきか
第4章 格差を超えて
経済格差と豊かさの実感はリンクしない
ネット浸透の結果、生き延びるもの、淘汰されるもの
人間は地球の寿命を縮めている
秀吉がすべてなげうってでも得たかった千利休の世界
「日本人の忘れ物」に価値を見出す
世界最高の職人を生み出す日本が金儲けゲームに勝てない理由
教育システムが秀でた者を平均値に引きずりおろす
スティーブ・ジョブズ的価値が欠如している
アメリカを進歩させたのは怒りである
総合的なインテリジェンスと決断力
経済格差など気にするな
今や最高学府はインターネット上にあるが…
どう、薄っぺらい新書なのに、この目次の文字数の多さ。
目次の方が本文よりも充実している、と言ってもいいかもしれない。
内容については、目次ですべてが語られている。
いくつか文を引用してみるが、これらを読んで、どう感じなさる?
「サンダル突っかけているオバサンも、100億円稼いだ資産家も、その精神性において違いなどまるでないのが今の日本なのです」(茂木)
「僕は埼玉の田舎育ちで、両親にしても普通の人たちだから、僕自身はいわば大衆の側から生れてきた人間だと思っています。(中略)初めてオペラを鑑賞したのが高校3年のとき。それまで観たことがなかった。(中略)埼玉の田舎育ちで、少年期のクラシック音楽体験といえば、アルフレート・ブレンデルが弾いたベートーヴェンのピアノ・ソナタをレコードで聴いたことぐらいでしかなかった。有名なピアニスト、ウラディーミル・アシュケナージも知らなかったし、世界的な指揮者、クラウディオ・アバドの名前を知ったのも大学生になってからです。つまり、僕はそうした環境から出てきたわけです」(茂木)
「アイドルが出るドラマなど一瞬たりとも観たくない。そういうのがテレビに映るとすぐに消してしまうほど。もちろん、アイドルたちをアイコンにする世界は、イギリスにもあるけれど、それに対抗するハイカルチャーの軸がきちんと存在するわけです」(茂木)
「僕は東京大学理科Ⅰ類に進んだわけです。ところが、みんな勉強はできるけど、休み時間になると漫画ばかり読んでいる。それから理学部物理学科に進んだときも、学生控え室を覗くとやはり漫画が置いてあった。理学部物理学科は当時、東大の進学振り分けでテストの基準が一番高い学科。それでもこのざまです。自分はなんてくだらない世界に来てしまったのだろうと思いました」(茂木)
あと、小見出しにもなっていた「『売れてなんぼ』に拮抗する価値観がない日本」
これらの文章を読んでカチンときてしまうのは、単なる僕の僻み?
それと、この日記を読んで「アレ?」と思った人は、かなりの保山マニアである。
なぜなら、この本をタイトルにした日記が去年の11月にもあるからなのだ。
今回、僕はこの本を既に読んだことのある本だと気づかずに、読んでしまったのだ。
あいにくと日記書くのが面倒で、前回は本の感想をいっさい書いていなかった。
途中、「このエピソード、どこかで同じこと言ってたな」「こいつら、同じことばっかり書いているな。よっぽどネタに困っているにちがいない」「この対談、どこかに掲載されてたのを先に読んだんだろうか」「デジャブにしては激しすぎる」「僕はひょっとして予知無でも見たのか?」「僕って予言者?」と、ページをめくるたびに首をひねっていたのだが、読み終えてから自分の日記を検索してみたら、見つかったのだ。
まあ、1年近く前に読んだ本だから、これだけ間隔があいているのによくぞこれだけ覚えていたものだ、と逆に驚いたりもしたが、はっきり言って、2回も読む本じゃない。
日本の話芸で一龍斎貞心「朝顔日記」
すれちがいのメロドラマ、いいとこどり。
お年のわりにぴったりとしてまるで頭にのっけたような髪形が気になって、「その朝顔を取れ!」と言いたくなった。
「あの人にあいたい」は林忠彦。ルパンでの太宰の写真はトイレから撮ったとか。
永井荷風に会いに行ったら、本人が出て来て「永井は出かけております」と堂々と居留守使われたとか。愉快なエピソードが聞けた。
読んだ漫画はSABEの『ブルマー200X』わんだーらんどやアニメイト、信長書店などいろいろ探したあげく、とらのあなで買ったが2006年第1刷だった、ということは、あんまり売れていないのだろうか。カンフーとブルマに特化した内容。『世界の孫』は3巻まで読んだが、こんなに面白い漫画はまたとない、と思っているのに。
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