大山康晴の晩節

2008年7月16日 読書
河口俊彦の『大山康晴の晩節』を読んだ。
以下、目次
序章
 甦った大山将棋
 人間的な威圧感
1章 ガンとの闘い
 六十三歳の名人挑戦者
 熾烈な生存競争
 棋界政治と大山会長
 しのびよる衰え
 晩年の驚異的な粘り
2章 生い立ちから名人まで
 十二歳で木見八段門へ
 名人への道ー昭和二十年代の実力者たち
3章 大山将棋の強さ
 ナンバー2を叩け
 強すぎて、面白くない
4章 早逝した天才棋士との闘い
 若き山田道美の自負と懊悩
 大山は催眠術を使う?
 大山VS山田ー大山奇勝を博す
 絶局は大山戦だっt
5章 追われる身に耐えて
 升田の引導を渡す
 中原に名人位を奪われた七局
6章 会長就任と永世名人
 名人戦と三大新聞社の抗争
 五十歳以後の勝星がすごい!
7章 ガン再発後の粘り
 手術直前の対局ー対有吉・小林戦
 A級残留への執念ー対高橋・米長戦
 大スターの残光ー対谷川・高橋戦
終章ーまだ引退できないのか

圧倒された。中学時代におじいちゃんに連れられて行った将棋タイトルの就任式などで姿を見て、また、本を何冊も読み、倉敷の記念館にまで行った、あの大山康晴の人間像がこんなにも迫力あるものだったとは!
本書は大山のデータ的な栄光よりも、人間関係や、感情などにスポットをあてており、どろどろしていたり嫉妬やプライドが剥き出しになったりしていて、衝撃的だ。大山はまさしく怪物だったのだ、と知れる。
大山康晴の将棋は、本書ではいろんな表現であらわされている。
「優勢になっても勝ちを急がずに、ゆっくりと、一つ一つ相手の狙い筋を潰し、すこしずつ有利さを拡大していった」
「大山に急ぐ気配はまったくなく、コトコトとスープを煮るような指し方をつづけた。その間、森だけがもがきまくっていた」
派手じゃない、平凡な指し方で、徹底的に受けきり、じわじわと攻めて、相手はたまらずに負けてしまうのだ。大山が明らかに悪い手を指しても、まるで催眠術のように、局面はいつのまにか大山有利に傾いていくのだ。
ドカベン並に常勝の大棋士だったのだが、面白味がない。
「名人でいる間は、大山は悪役だった」
セーム・シュルト、朝青竜、あるいは巨人など。
そうそう、この本を読んで、ちょっと前に読んだ加藤一二三の本に書いてあったいくつかの事柄が氷解した。
大山は将棋の本を自分では書いていなかったそうなのだ。解説はしているが、ライターが全部文章にしていた。(原稿料もそのライターがもらっていた)
加藤があえて「自分の本は自分自身で書いている」と断ったのは、大山批判の一つでもあったのだ。
また、大山が威厳によって自分のわがままを通そうとしたことも、本書で書いてあった。一種のパワーハラスメントか。本書では食事の前に温泉に入るかどうか、というような些細なことで、中原誠が一矢報いたエピソードが語られていた。大山が、「風呂に入らずに食事する」と言えば、みんなは風呂に入りたい、と思っていても大山にさからって「私は風呂に入る」と言い出せなかったのだ。そこに中原がふらっと入ってきて、「温泉に入らない手はないでしょう」とさらっと言って、温泉に行ったのだった。みんなもホッとして風呂に行けた。ああ、些細なこと!でも、かつてサラリーマンだった頃のことを思い返すと、みんな上司の意向をびくびくしながらうかがって、それに波風たてないように従っていた。あのときの同僚のみなさん、いかがお過ごしでしょう?
加藤の本でも、タイトル戦で大山が食事休憩のことで規定を破って、融通を通そうとしたが、加藤はガンとしてゆずらなかったと書いてあった。さすが、加藤。
本書では、大山が自分の長期政権を磐石のものにするため、ナンバー2につけてくる棋士を芽のうちにコテンパンに倒して、「大山には勝てない」と刷り込んでおいた、というようなことが書かれていた。加藤などは、二上と並んでそのナンバー2の最たる棋士で、大山にとって加藤はずっとカモだった。
加藤としてもそれに内心忸怩たるものがあったのだろう。今考えてみれば『一二三の玉手箱』は大山批判が含まれていて、人間関係の面白さも読み取れる本だったんだな、と思う。
また、本書では、大山の凄みとともに、山田道美の面白さもクローズアップされていた。
僕が中学のときに将棋をよく指していた頃、既に山田道美は馴染みの薄い棋士だった。山田研究によって、また将棋には新しい風が吹くのかもしれない。

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