ISBN:4062705834 単行本 加納 朋子 講談社 2007/07/26 ¥2,100
-IST零番館プロデューステラヤマ博「花札伝綺」を見に行った。
末満健一(ピースピット)演出。
天井桟敷の初期の上演作品で、寺山曰く「唯一の不入り作品」。僕もこの「花札伝綺」についてはあまり強い印象はなくて、今回の上演は新鮮な気持で見ることができた。
「生と死の転倒を喜劇にした、ニヒリスティックなユーモア」(寺山)は1967年当時の若者には不評でも、2008年の若者には受け入れられた、ということか。
登場するのは(戒名)、墓場の鬼太郎(男装の麗人)、葬儀屋団十郎(ボリス・カーロフ氏)、その妻おはか(刺青姐御)、その娘歌留多(琵琶語り付)、髭の男爵(新興成金)、無産党員(アナキストの墓)、卒塔婆おぎん(仁義一代)、獄門次(ルパンの百姓)、肉天女(ああ肉体美!)、仏蘭西刑事(「近代」の小児麻痺)、手毬童女(オカッパ)、ひきがえるの庖丁(墓掘人夫)、蟹潰し(死歯抜き)、棺桶の死美男(ダンシングチーム)、幽霊ジョニー(棺の中のドラマー)、あんまの笛(好色盲)などなど、寺山ここにあり、というラインナップ。
上演後に、戯曲を読み直してみたのだが、大きく変更したところはなく、わりと忠実に再現しているように思えた。
見ていてうれしくなるシーンが多々あった。
ただ、寺山の持つおどろおどろしさはこの「花札伝綺」からはあまり感じとれなかった。それは、演出者の狙いだったのかもしれない。
ショッキング、恐怖、暗黒、いかがわしさ、裏、闇、病、さらには死でさえもあまり感じられず、きわめて明るい印象をもった。
その大きな原因は、音楽に大槻ケンヂを使っていたところや、アドリブのパートがあまりにも最近の劇団っぽかったところにある。ひとくちで言うと、この「花札伝綺」は寺山演劇ではなく、「大槻ケンヂ演劇」だったのかもしれない。とてもライトな感じ。男装の麗人たる墓場の鬼太郎に「コードギアス」と呼びかけて観客をくすぐる感性にすべてがあらわれている。いっそのこと、寺山的などろどろしたものを、全部アニメ的感覚で処理してくれた方が、刺激的だったように思うが、それではまったく寺山演劇でもなんでもない、ということになろう。難しいな。「花札伝綺」じゃなくて「大貧民伝綺」にしちゃうとか。こりゃ、まったく違う演劇になっちゃうな。

読んだ本は加納朋子の『ぐるぐる猿と歌う鳥』
ネタバレしかしていないので、要注意。

プロローグ−あるいは、物語の前のひとりごと
第1話 ぐるぐる猿と歌う鳥
第2話 図書室の暗号
第3話 社宅のユーレイ

体育館の屋根から町を見おろしたら、町中の屋根を使って、猿が描かれていた。ナスカの地上絵みたいに。
ところが、町全体を見おろせる場所から同じ町を見下ろしたら、そんな猿はちっとも見えない。これいかに?(真相はチェンジングシール)
幼いときの記憶。家に軟禁されている「あや」と遊んでいると、男がいきなり拉致しようとした。この事件の意味は?(我が子を間違えてひきとろうとした)
本書はかなり面白かった。
わるい大人をこらしめるために、住所表示のナンバープレートを偽造して、空家に誘導し、そこでお化け屋敷的おどかしをする話。血だまりは、赤いスライムを使って、あとかたづけをしやすくする。なるほど、アイディアだ!
また、「あや」の正体とか、伏線がいっぱいはってあるのが快感。(ピンクのレンジャーになりたがらない、とか、特撮ヒーローものに詳しいとか)
また、友達になろうと手紙を出した同級生に、突然敬遠される理由とか。(手紙の差出人を勘違い)
ミステリーを読む際は、あからさまに挑戦でもされないかぎり、あんまり眉にツバつけながら読んだりしないことにしている。真相を見抜いた快感よりも、だまされることの方が気持ちいいからだ。
なんでもなさそうな事柄の理由や真相が明らかになっていく過程はとても面白くて、久々にミステリーを読んだ、という実感を得ることができた。

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