イスラームと西洋―ジャック・デリダとの出会い、対話
2008年2月26日 読書
ISBN:4411003775 単行本 小幡谷 友二 駿河台出版社 2007/10 ¥1,785
ムスタファ・シェリフの『イスラームと西洋』を読んだ。
2003年5月、パリのアラブ世界研究所(イマ)で開催された「アルジェリア・フランス、文明の対話に尽力した重要人物へのオマージュ」というテーマのシンポジウムでの対談のレポート。
デリダはアルジェリア生まれでアルジェリア。
以下、目次
序論 何にもまして友情が大切である
第1章 諸文明の未来
第2章 討論
第3章 アルジェリア人としての経験と思い出
第4章 東洋と西洋、同質性と差異
第5章 不正行為と急進的潮流
第6章 区別するべきか、関連づけるべきか?
第7章 進歩は完全である一方で不完全でもある
結論 私たちの生活には異なる他者が不可欠である
対談後記 南海岸からのアデュー、ジャック・デリダへ
訳者あとがき
書誌 ムスタファ・シェリフ/ジャック・デリダ
年譜 デリダと南海岸
ムスタファ・シェリフはアルジェリアの哲学者でイスラーム学者。
「西洋における一部の人々は、あいかわらずイスラームとイスラーム文化の単純化した姿をこしらえることにこだわり続け、恣意的な基準から『発展途上』とみなされる東洋文化に『先に進んでいる』とされる西洋文化を機械的に対置し、自分だけが文明化していると言い張って、つねに自分たちの価値を力づくで押し付けようとしますが、それはなぜでしょうか?」
「現代ではどうやって生きていけばいいのかを学ぶことが実に難しく、説得力をもたずに、むしろ失望させたり心配させたりするモデルしかないというのに、イスラームに対してどうしてあのようなけんか腰になる必然性があるのでしょうか?なぜわざわざ、西洋化やヨーロッパ化やアメリカ化をすすめて進歩に順応し、文明化したと見られる必要があるのでしょうか?」
なんて質問したりする。
きっと純粋な目をうるませて、「僕、ちっとも悪くないのに、なぜ?」という疑問でいっぱいな様子だったんだろうな、と思わせる。小動物を見ているようで、可愛い。
デリダの発言もわかりやすく、これがあのデリダなのか、と思わせる普通っぷり。
デリダはこんなことを言っている。
「責任や決断は、言うなれば真っ暗で右も左も分からない暗闇の中で背負われるものなのです」(知識は必要だが、責任や決断を導くのは知識によってではない)
「私は多元性が文明の本質そのものであると思います。多元性と言っても私は他者性という意味で使っていますが、差異の原理、他者性への敬意、これらは文明の根源と言えます」(固有言語をマスターする必要があるが難しい、と言ってから)「たしかに固有言語は原則的に翻訳不可能なものです。けれども翻訳不可能なものだけが翻訳を必要としています」
デリダはヨーロッパ中心主義的伝統を疑い、来るべき民主主義をめざすことを説く。
たしかにデリダはデリダなのだが、受けた印象は「ダレダ?」でアルジェリア。
ムスタファ・シェリフの『イスラームと西洋』を読んだ。
2003年5月、パリのアラブ世界研究所(イマ)で開催された「アルジェリア・フランス、文明の対話に尽力した重要人物へのオマージュ」というテーマのシンポジウムでの対談のレポート。
デリダはアルジェリア生まれでアルジェリア。
以下、目次
序論 何にもまして友情が大切である
第1章 諸文明の未来
第2章 討論
第3章 アルジェリア人としての経験と思い出
第4章 東洋と西洋、同質性と差異
第5章 不正行為と急進的潮流
第6章 区別するべきか、関連づけるべきか?
第7章 進歩は完全である一方で不完全でもある
結論 私たちの生活には異なる他者が不可欠である
対談後記 南海岸からのアデュー、ジャック・デリダへ
訳者あとがき
書誌 ムスタファ・シェリフ/ジャック・デリダ
年譜 デリダと南海岸
ムスタファ・シェリフはアルジェリアの哲学者でイスラーム学者。
「西洋における一部の人々は、あいかわらずイスラームとイスラーム文化の単純化した姿をこしらえることにこだわり続け、恣意的な基準から『発展途上』とみなされる東洋文化に『先に進んでいる』とされる西洋文化を機械的に対置し、自分だけが文明化していると言い張って、つねに自分たちの価値を力づくで押し付けようとしますが、それはなぜでしょうか?」
「現代ではどうやって生きていけばいいのかを学ぶことが実に難しく、説得力をもたずに、むしろ失望させたり心配させたりするモデルしかないというのに、イスラームに対してどうしてあのようなけんか腰になる必然性があるのでしょうか?なぜわざわざ、西洋化やヨーロッパ化やアメリカ化をすすめて進歩に順応し、文明化したと見られる必要があるのでしょうか?」
なんて質問したりする。
きっと純粋な目をうるませて、「僕、ちっとも悪くないのに、なぜ?」という疑問でいっぱいな様子だったんだろうな、と思わせる。小動物を見ているようで、可愛い。
デリダの発言もわかりやすく、これがあのデリダなのか、と思わせる普通っぷり。
デリダはこんなことを言っている。
「責任や決断は、言うなれば真っ暗で右も左も分からない暗闇の中で背負われるものなのです」(知識は必要だが、責任や決断を導くのは知識によってではない)
「私は多元性が文明の本質そのものであると思います。多元性と言っても私は他者性という意味で使っていますが、差異の原理、他者性への敬意、これらは文明の根源と言えます」(固有言語をマスターする必要があるが難しい、と言ってから)「たしかに固有言語は原則的に翻訳不可能なものです。けれども翻訳不可能なものだけが翻訳を必要としています」
デリダはヨーロッパ中心主義的伝統を疑い、来るべき民主主義をめざすことを説く。
たしかにデリダはデリダなのだが、受けた印象は「ダレダ?」でアルジェリア。
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