DVD バンダイビジュアル 2002/06/25 ¥3,990 藤子・F・不二雄の同名漫画を森田芳光監督が映画化。現在の記憶を持ったまま10年前に生まれ変わる漫画家の納戸遊子(清水美砂)とOLから主婦になった金江銀子(工藤静香)は未来の記憶を利用して、仕事と恋を成功させてしまう。しかしリプレイを繰り返すうち、ふたりは時間の流れに入り込み、自分の本当の人生を考えてしまう…。
深水黎一郎の『ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!』を読んだ。第36回メフィスト賞受賞作。ネタバレするので、未読の人は、まず読んでから。
「読者が犯人」というトリックを売り付けようとする手紙
テレパシー実験
南米人殺害事件
以上の3つがからみ合って作品が構成されている。
このうち、テレパシーは「読者が犯人」トリックに関係しており、南米人殺害は全体の事件そのものが起きる動機にかかわっている。
タイトルは安っぽくて大馬鹿全開だが、中身はわりとしっかりした文章で、面白く読めた。なにもあんなセンスのないタイトルにしなくてもよかったのに、と思う。
さて、この「読者が犯人」トリックだが、そんなことが実現可能なのか、とだれでもが思うだろう。読者はただ、「本を読んでいる」だけなのだ。犯人になるための動機もアリバイも条件を満たさないだろう。でも、「本を読む」ことで人を殺せるとしたらどうだ。と、いうのがこの本のトリック。つまり、自分の書いた文章を読まれると、心臓に負担がかかって死んでしまう、一種の恐怖症みたいなことで殺害が行われる仕掛けになっている。ここでテレパシーが関係してきて、自分の書いた文章が読まれたら、敏感にもそれを察知して、ドキドキしてしまうのだ。
この方式だと、いろんな不可能な組み合わせが可能になる。
たとえば。
ある男は、エコロジストだった。森林の破壊に耐え切れない思いを抱いている。
その感情がこうじて、ついに、牛丼屋で誰かが割り箸を使うたびに、神秘的な精神感応で心が痛んでしまう体質になった。
心臓病の男にとって、この割り箸パキンの繰り返しは負担になり、ついには死に至る。
「牛丼食い=犯人」のトリックがここに誕生。
これはある意味「読者=犯人」よりもすごい。
小説とは無関係なところで、犯人が設定されてしまうのだ。
作中人物の言葉で、読者=犯人トリックで、それは世界のどの国の人間が読もうと成立するものでなくてはならない、などと豪語している。このトリックだと、どこの国の人が読もうと、寝たきりで動けない人が読もうと、読者=犯人の条件を満たしてしまうのだ。
なるほど、すごい。
でも、このトリックもしょせんは期間限定のトリックである。
この作品で被害者は読者によって殺されるが、いったん死んでしまえば、その後、だれが読もうが犯人にはなりえない。つまり、この本が出てから100年後にはいかなる読者も犯人ではありえないのだ。この作品が100年後も読みつがれない、という確信があるのかもしれないが、トリックとしては穴がある。
見た映画(ビデオ)は4本。
録画しておいた「チャーリーとチョコレート工場」を見た。2005年。
ティム・バートン監督。ロアルド・ダールの原作にかなり忠実で、その味をちゃんと出していた。カラフル具合、サイケ具合は最高。
ダールとティム・バートンの組み合わせだから、最初から大傑作は約束されたも同然だ。
残酷、貧乏、ユーモア、歌、グロテスク。
この映画はカルト的要素がふんだんに含まれているので、一般受けはしないと思っているのだが、どうだろう。ダールの作品だけに、子どもは大喜びだろうが。その穴をうめるのが、ジョニー・デップの存在なのかもしれない。
この映画の大ファンであっても、普段着が黒や灰色だったりするのは、いったいどういうわけだ?
ヘンリー・セリック監督の「ジャイアント・ピーチ」を見た。1996年。
大きな桃に入るところから、実写がアニメに変わる。
スーザン・サランドンなどが声をあてており、ランディ・ニューマンの音楽も素晴らしい。
この映画もダールの良さを存分に出していた。
残酷、貧乏、ユーモア、歌、グロテスク。
馬場康夫監督の「バブルへGO!タイムマシンはドラム式」を見た。2007年。
2007年からタイムスリップして1990年に戻り、バブル崩壊を止めようとする。
バック・トゥ・ザ・フューチャーをほうふつとさせる映画。
90年代と2007年とのギャップをいちいち取り上げるのは、この手の映画の常道で、見どころの一つなのだが、90年代がまだ僕の中では昔とは感じられなかった。
必要性を感じなくて、携帯電話も持っていない僕だしね。
この映画のみどころは、広末涼子のコスプレだ。
喪服、水着、キャバ嬢、芸者。
まあ、なんて可愛いんでしょう!
吉永小百合の座を受け継ぐのは広末涼子以外にない。
森田芳光監督の「未来の想い出」を見た。1992年。
藤子・F・不二雄原作。占い師の役で登場もしている。
主人公の清水美砂が漫画家の役で、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、つのだじろう、永井豪、さいとうたかを、藤子不二雄A、コンタロウ、蛭子能収などもゲスト出演している。
もう1人の主人公、工藤静香の恋人(デビィッド伊東)はファッションデザイナーで、中川比佐子が出演していた。
この映画は、80年代にタイムスリップするリプレイもの。
やはり80年代に流行したものの羅列が見られる。
副題の「ラストクリスマス」は作品の重要なファクターでは全然なくてびっくりした。
清水美砂の恋人が和泉元弥で、クライマックスでは飛行機がかなり遅れて到着するシーンがある。ヘリコプターを使え!
深水黎一郎の『ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!』を読んだ。第36回メフィスト賞受賞作。ネタバレするので、未読の人は、まず読んでから。
「読者が犯人」というトリックを売り付けようとする手紙
テレパシー実験
南米人殺害事件
以上の3つがからみ合って作品が構成されている。
このうち、テレパシーは「読者が犯人」トリックに関係しており、南米人殺害は全体の事件そのものが起きる動機にかかわっている。
タイトルは安っぽくて大馬鹿全開だが、中身はわりとしっかりした文章で、面白く読めた。なにもあんなセンスのないタイトルにしなくてもよかったのに、と思う。
さて、この「読者が犯人」トリックだが、そんなことが実現可能なのか、とだれでもが思うだろう。読者はただ、「本を読んでいる」だけなのだ。犯人になるための動機もアリバイも条件を満たさないだろう。でも、「本を読む」ことで人を殺せるとしたらどうだ。と、いうのがこの本のトリック。つまり、自分の書いた文章を読まれると、心臓に負担がかかって死んでしまう、一種の恐怖症みたいなことで殺害が行われる仕掛けになっている。ここでテレパシーが関係してきて、自分の書いた文章が読まれたら、敏感にもそれを察知して、ドキドキしてしまうのだ。
この方式だと、いろんな不可能な組み合わせが可能になる。
たとえば。
ある男は、エコロジストだった。森林の破壊に耐え切れない思いを抱いている。
その感情がこうじて、ついに、牛丼屋で誰かが割り箸を使うたびに、神秘的な精神感応で心が痛んでしまう体質になった。
心臓病の男にとって、この割り箸パキンの繰り返しは負担になり、ついには死に至る。
「牛丼食い=犯人」のトリックがここに誕生。
これはある意味「読者=犯人」よりもすごい。
小説とは無関係なところで、犯人が設定されてしまうのだ。
作中人物の言葉で、読者=犯人トリックで、それは世界のどの国の人間が読もうと成立するものでなくてはならない、などと豪語している。このトリックだと、どこの国の人が読もうと、寝たきりで動けない人が読もうと、読者=犯人の条件を満たしてしまうのだ。
なるほど、すごい。
でも、このトリックもしょせんは期間限定のトリックである。
この作品で被害者は読者によって殺されるが、いったん死んでしまえば、その後、だれが読もうが犯人にはなりえない。つまり、この本が出てから100年後にはいかなる読者も犯人ではありえないのだ。この作品が100年後も読みつがれない、という確信があるのかもしれないが、トリックとしては穴がある。
見た映画(ビデオ)は4本。
録画しておいた「チャーリーとチョコレート工場」を見た。2005年。
ティム・バートン監督。ロアルド・ダールの原作にかなり忠実で、その味をちゃんと出していた。カラフル具合、サイケ具合は最高。
ダールとティム・バートンの組み合わせだから、最初から大傑作は約束されたも同然だ。
残酷、貧乏、ユーモア、歌、グロテスク。
この映画はカルト的要素がふんだんに含まれているので、一般受けはしないと思っているのだが、どうだろう。ダールの作品だけに、子どもは大喜びだろうが。その穴をうめるのが、ジョニー・デップの存在なのかもしれない。
この映画の大ファンであっても、普段着が黒や灰色だったりするのは、いったいどういうわけだ?
ヘンリー・セリック監督の「ジャイアント・ピーチ」を見た。1996年。
大きな桃に入るところから、実写がアニメに変わる。
スーザン・サランドンなどが声をあてており、ランディ・ニューマンの音楽も素晴らしい。
この映画もダールの良さを存分に出していた。
残酷、貧乏、ユーモア、歌、グロテスク。
馬場康夫監督の「バブルへGO!タイムマシンはドラム式」を見た。2007年。
2007年からタイムスリップして1990年に戻り、バブル崩壊を止めようとする。
バック・トゥ・ザ・フューチャーをほうふつとさせる映画。
90年代と2007年とのギャップをいちいち取り上げるのは、この手の映画の常道で、見どころの一つなのだが、90年代がまだ僕の中では昔とは感じられなかった。
必要性を感じなくて、携帯電話も持っていない僕だしね。
この映画のみどころは、広末涼子のコスプレだ。
喪服、水着、キャバ嬢、芸者。
まあ、なんて可愛いんでしょう!
吉永小百合の座を受け継ぐのは広末涼子以外にない。
森田芳光監督の「未来の想い出」を見た。1992年。
藤子・F・不二雄原作。占い師の役で登場もしている。
主人公の清水美砂が漫画家の役で、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、つのだじろう、永井豪、さいとうたかを、藤子不二雄A、コンタロウ、蛭子能収などもゲスト出演している。
もう1人の主人公、工藤静香の恋人(デビィッド伊東)はファッションデザイナーで、中川比佐子が出演していた。
この映画は、80年代にタイムスリップするリプレイもの。
やはり80年代に流行したものの羅列が見られる。
副題の「ラストクリスマス」は作品の重要なファクターでは全然なくてびっくりした。
清水美砂の恋人が和泉元弥で、クライマックスでは飛行機がかなり遅れて到着するシーンがある。ヘリコプターを使え!
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