スカイ・オブ・ラブ〜おかしな人間の夢 (論創ファンタジー・コレクション)
2007年11月5日 読書
ISBN:4846004406 単行本 太田 正一 論創社 2006/11 ¥1,260
ケーブルテレビで香港映画「スカイ・オブ・ラブ」を見た。2003年。「恋空」ではない。
1981年の女性と2003年の男性が無線機でつながる。
映画は2人の時をこえたラブストーリーを描くわけではなく、それぞれの時代でのそれぞれの恋愛に、2人の対話が影響を及ぼす。
現代の男性は、過去すなわち愛情を信じられていた時代からのメッセージによって、愛にめざめる。
過去の女性は、逆に現代の男性によって夢を打ち砕かれてしまう。
どういうことかと言うと、現代の男性は、過去の女性が思いを寄せる人の息子であることが判明する。気になるのは、母親。つまり、あこがれのあの人は誰と結婚したのか、ということ。ここで2人が母子であったとわかればよかったのだが、なんと、好きなあの人は、自分の友人と結婚しくさって息子を作りやがっていたのだ!
落ち込む女性。
この女性は未来を知って絶望したまま映画が終わってしまう。
なにをいらんことをしとんねん!ケン・チュウ!
おのれがレトロな無線機みたいな趣味持ってたおかげで、1人の女性が失意の人生を送るはめになったじゃないか!全部おまえのせいだ!
なにがスカイ・オブ・ラブじゃ!
だがしかし、未来を知ってそれに唯々諾々と従ってしまう弱さが、彼女のだめなところだと思える。おちこんで引き気味の主人公(釈由美子似)よりも友人(千秋似)のほうがあっけらかんとしていてパワーもありそうで、確かに魅力的にみえたことだろう。
と、いうより、あこがれの男性が、まるで中国の健康なポスターに出てきそうな真面目タイプに見えるので、あんな男と夫婦になっても楽しくないんじゃないか、と思った。息子を見るかぎり、子育てにも失敗してそうだし。
さて、NHK教育の「天才てれび君MAX」内のドラマは「エリーの黒電話」
今やレトロで誰も使わない黒電話(線がつながっていない)に過去の男女から電話がかかってくる話。
スカイ・オブ・ラブか!
読んだ本はドストエフスキーの『おかしな人間の夢』。
ひとり雑誌『作家の日記』に発表された作品。
ドストエフスキーらしさが随所に見られ、また、19世紀ロシアの思想風土もかいまみえる。
幼い頃から自分が「おかしな人間」だと知って、くよくよしたり、他人に腹をたてていた男。ついには「この世のことはどこでもすべてどうでもいい」という確信にいたり、他人が気にならなくなる。
誰かが興奮して語りあっている場面で、彼はこういう。
「諸君、そんなこと、きみらには、どうでもいいことじゃないか」
みんなは彼を笑った。
上の発言は、今風に言えば「そんなの関係ねえ」なのだから、ギャグ以外のなにものでもない。笑われて当然。笑ってもらってありがとう、の世界なのだ。オッパッピ〜。
あまりにもなにもかもどうでもよくなった彼は、自殺しようとすら考える。
そのときだ。
棺桶に入れられたと思いきや、なにものかに拉致されて無限の宇宙空間にとびだす。
たどりついたのは、原罪に穢されていないもうひとつの地球。
そこは、まさに楽園。
だが、彼がこの世界に来たことで、楽園は堕ちてしまう。
嘘を覚え、嫉妬、残酷を生みはじめる。非難、羞恥、名誉、分裂、孤立、所有、悲哀。
「彼らは苦悶を渇望し、真理はもっぱら苦悶によってのみ得られるなどと言い出した」
「彼らが邪悪になったとき、彼らは兄弟愛とか人道とかを口にし、それらの観念を理解した」
「罪を犯すようになると、彼らは正義なるものを発明し、それを保ち続けるために、さまざまな掟をもうけた。そしてそれら掟=法律を保証するためにギロチンをつくったのである」
もうひとつの地球は、地球と同じ歴史を刻みはじめる。
「各人が自分の個性にかまけて、他人の個性を必死におとしめ過小評価しようと努め、そのことに生涯を費やすのだった」
そして奴隷制度が生まれ、義人があらわれ、賢者たちがうまれる。
しかし、その賢者たちがしたことは、なにかというと。
「自分らの理想が理解できない『叡智なき者ども』を一刻も早く殲滅しようとした」
悲しみにうちひしがれて、彼はめざめる。
彼は伝道しようと決意する。
「自らを愛するごとく他を愛せ」ということを。
最大の敵は「生の意識は生そのものより高尚であり、幸福の法則の知識は幸福そのものよりも崇高である」という意識だ!
彼は以前は「おかしな人間」と呼ばれていたが、今では「気狂い」と言われている。オッパッピ〜。
この作品には「空想的な物語」と副題がついている。
宇宙を飛んだり、もう一つの地球の歴史をたどったりするSF的設定ゆえのものだろうが、地上をはなれたイマジネーションの飛躍を楽しむような物語ではない。もっと地球にひきつけて、空想的社会主義に近い発想なんじゃないか、と思える。
「おかしな人間」は、この堕ちた地球の産物にとどまるが、「気狂い」に昇格した今は、地球外生物とみなされたに等しい。
空想的なのは、彼がみた夢のことではなく、彼の存在自体だったのだ。
ケーブルテレビで香港映画「スカイ・オブ・ラブ」を見た。2003年。「恋空」ではない。
1981年の女性と2003年の男性が無線機でつながる。
映画は2人の時をこえたラブストーリーを描くわけではなく、それぞれの時代でのそれぞれの恋愛に、2人の対話が影響を及ぼす。
現代の男性は、過去すなわち愛情を信じられていた時代からのメッセージによって、愛にめざめる。
過去の女性は、逆に現代の男性によって夢を打ち砕かれてしまう。
どういうことかと言うと、現代の男性は、過去の女性が思いを寄せる人の息子であることが判明する。気になるのは、母親。つまり、あこがれのあの人は誰と結婚したのか、ということ。ここで2人が母子であったとわかればよかったのだが、なんと、好きなあの人は、自分の友人と結婚しくさって息子を作りやがっていたのだ!
落ち込む女性。
この女性は未来を知って絶望したまま映画が終わってしまう。
なにをいらんことをしとんねん!ケン・チュウ!
おのれがレトロな無線機みたいな趣味持ってたおかげで、1人の女性が失意の人生を送るはめになったじゃないか!全部おまえのせいだ!
なにがスカイ・オブ・ラブじゃ!
だがしかし、未来を知ってそれに唯々諾々と従ってしまう弱さが、彼女のだめなところだと思える。おちこんで引き気味の主人公(釈由美子似)よりも友人(千秋似)のほうがあっけらかんとしていてパワーもありそうで、確かに魅力的にみえたことだろう。
と、いうより、あこがれの男性が、まるで中国の健康なポスターに出てきそうな真面目タイプに見えるので、あんな男と夫婦になっても楽しくないんじゃないか、と思った。息子を見るかぎり、子育てにも失敗してそうだし。
さて、NHK教育の「天才てれび君MAX」内のドラマは「エリーの黒電話」
今やレトロで誰も使わない黒電話(線がつながっていない)に過去の男女から電話がかかってくる話。
スカイ・オブ・ラブか!
読んだ本はドストエフスキーの『おかしな人間の夢』。
ひとり雑誌『作家の日記』に発表された作品。
ドストエフスキーらしさが随所に見られ、また、19世紀ロシアの思想風土もかいまみえる。
幼い頃から自分が「おかしな人間」だと知って、くよくよしたり、他人に腹をたてていた男。ついには「この世のことはどこでもすべてどうでもいい」という確信にいたり、他人が気にならなくなる。
誰かが興奮して語りあっている場面で、彼はこういう。
「諸君、そんなこと、きみらには、どうでもいいことじゃないか」
みんなは彼を笑った。
上の発言は、今風に言えば「そんなの関係ねえ」なのだから、ギャグ以外のなにものでもない。笑われて当然。笑ってもらってありがとう、の世界なのだ。オッパッピ〜。
あまりにもなにもかもどうでもよくなった彼は、自殺しようとすら考える。
そのときだ。
棺桶に入れられたと思いきや、なにものかに拉致されて無限の宇宙空間にとびだす。
たどりついたのは、原罪に穢されていないもうひとつの地球。
そこは、まさに楽園。
だが、彼がこの世界に来たことで、楽園は堕ちてしまう。
嘘を覚え、嫉妬、残酷を生みはじめる。非難、羞恥、名誉、分裂、孤立、所有、悲哀。
「彼らは苦悶を渇望し、真理はもっぱら苦悶によってのみ得られるなどと言い出した」
「彼らが邪悪になったとき、彼らは兄弟愛とか人道とかを口にし、それらの観念を理解した」
「罪を犯すようになると、彼らは正義なるものを発明し、それを保ち続けるために、さまざまな掟をもうけた。そしてそれら掟=法律を保証するためにギロチンをつくったのである」
もうひとつの地球は、地球と同じ歴史を刻みはじめる。
「各人が自分の個性にかまけて、他人の個性を必死におとしめ過小評価しようと努め、そのことに生涯を費やすのだった」
そして奴隷制度が生まれ、義人があらわれ、賢者たちがうまれる。
しかし、その賢者たちがしたことは、なにかというと。
「自分らの理想が理解できない『叡智なき者ども』を一刻も早く殲滅しようとした」
悲しみにうちひしがれて、彼はめざめる。
彼は伝道しようと決意する。
「自らを愛するごとく他を愛せ」ということを。
最大の敵は「生の意識は生そのものより高尚であり、幸福の法則の知識は幸福そのものよりも崇高である」という意識だ!
彼は以前は「おかしな人間」と呼ばれていたが、今では「気狂い」と言われている。オッパッピ〜。
この作品には「空想的な物語」と副題がついている。
宇宙を飛んだり、もう一つの地球の歴史をたどったりするSF的設定ゆえのものだろうが、地上をはなれたイマジネーションの飛躍を楽しむような物語ではない。もっと地球にひきつけて、空想的社会主義に近い発想なんじゃないか、と思える。
「おかしな人間」は、この堕ちた地球の産物にとどまるが、「気狂い」に昇格した今は、地球外生物とみなされたに等しい。
空想的なのは、彼がみた夢のことではなく、彼の存在自体だったのだ。
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