ISBN:4334925677 単行本 大西 巨人 光文社 2007/08 ¥1,785
大西巨人の『地獄篇三部作』を読んだ。
第1部 笑熱地獄
第2部 無限地獄
第3部 驚喚地獄
前書きで、本書の成り立ちについて解説がある。
第1部は1948年に執筆されていたが、「掲載、発表することは不可」と連絡があった。当時の文芸ジャーナリズムにとって差し障りのある内容だったからだ。
その後、執筆、発表された「白日の序曲」は連還体長編小説『地獄変相奏鳴曲』の第1楽章として出版されたが、この「白日の序曲」こそ『地獄篇三部作』の第2部「無限地獄」にあたる部分であったのだ。
今回『地獄篇三部作』の出版によって、「白日の序曲」は本来のあるべき場所におさまったわけだ。
こうして三部作になると、1部は作家と文壇、ジャーナリズムの世界を描いてあり、2部ではその作家が書いた小説。3部はその作品に対するジャーナリズムの対応。
メタ小説の体裁をとった、一癖も二癖もある作品に仕上がったのである。
1部、3部は作家や雑誌をもじった固有名詞がとびかう毒のある笑いが横溢していた。
文体の勝利だな、と圧倒された。
でも、こりゃまいった、と思ったのは、第2部の「無限地獄」だ。
ここで描かれるのは、いたいけな少女を誘惑して、夢中にさせておいて、その後つれない態度をとる男だ。
ひどい男で、相手の女性がかわいそうでしかたがない。
この第2部を読んでいるあいだ、胸が痛くていたくて。
ここで描かれているのは、自分のことだ!と言う思いでいっぱいだった。
今までに何回も人と知り合い、仲良くなっては、自分の冷酷な仕打ちで人を傷つけてきた。
その一部始終が告発されている気がしたのだ。
いや、まったくそのとおり。
文芸ジャーナリズムの世界も地獄なら、この男の世界も地獄だ。
そして、これが「無限地獄」と名付けられているように、こうした、人を引き寄せておいては傷つける、という人間関係のありかたは、自分の人生では何度も繰り返されてきたのだ。
今まで出会ってきたすべての人に土下座して謝りたい。
バカバカバカ
はい、自己嫌悪タイム終了(江古田ちゃん)

BSでタイ映画「フェーンチャン〜ぼくの恋人〜」(2003年)を見た。
監督、脚本は365フィルムプロダクションズで、6人のグループで作っている。
脚本にはさらに1人加わって、こりゃ多い。
主人公の少年ジアップ(チャーリー・タライラット)と少女ノイナー(フォーカス・ジラクン)の恋愛以前の淡い思い出が描かれる。
ノスタルジーは毒だ、と思っているが、この映画なんか、まさに毒そのもの。
見た後しばらくは感傷にひたってしまって、現実に戻ってこれない。
聞いたことがないはずの、当時のタイでのヒット曲まで懐かしい。
少年時代の遊びや諍いなど、懐かしさでいっぱいになる。いい映画だ!
チャンバラで遊ぶシーンでは、特撮カンフーが見れる。
少年ジアップは1軒おいた隣同士の少女ノイナーといつも一緒に遊んでいる。
男の子どうしの遊びに加わりたいジアップは、ガキ大将に「おまえが男だという証拠を見せろ」と試練を課す。男の証明として出された課題は「手放しで自転車に乗る」「橋から飛び下りる」ここまではクリア。しかし、最後の「女の子が遊んでいるゴム飛びのゴムを切れ」ではクリアしたものの、ノイナーを悲しませてしまう。
ちゃんと仲直りできないままノイナーは引っ越ししてしまう。
うっかり寝坊して、お別れの挨拶もできなかったジアップ。
ガキ大将たちの手助けで、必死でおいかけるが、結局追いつかず。
それから十数年たち、ノイナーの結婚式に招待されたジアップ。
ノイナーは昔の少女のままの面影を残していた。
話が終わったあとの映像では、本編では語られなかったエピソードが映されて、謎解きや裏話が明かされる。
ジアップが手渡した花をノイナーが押し花にしていたこと。
水中で長く息をとめる競争で、ノイナーがズルしてたこと。など。
この映画で描かれた少年時代は、ドラえもんの世界っぽく、登場人物もドラえもんのTシャツ着ていたり、ドラえもんの新刊を読ませろと、ジャイアンっぽいガキ大将がすごむシーンもある。
今のこどもたちにも、こういう思い出して懐かしむ少年時代があるんだろうか。
よけいなお世話か!
http://www.excite.co.jp/cinema/special/fanchan/

コメント

nophoto
だみあん
2007年10月23日16:45

こんなところで江古田ちゃんがwww

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