手塚治虫とボク

2007年7月5日 読書
ISBN:4794215673 単行本 うしお そうじ 草思社 2007/03/21 ¥1,890
うしおそうじの『手塚治虫とボク』を読んだ。
第1部 みんな赤本を描いていた
 第1章 予期せぬ出会い
 第2章 ボクの赤本デビュー
 第3章 大阪から東京へ
第2部 人気漫画家という仕事
 第4章 友情のはじまり
 第5章 編集者たちとのつきあい
 第6章 福井英一との確執
 第7章 悪書追放運動
 第8章 手塚治虫の遺言
第3部 動く絵に魅せられて
 第9章 手塚治虫のアニメ志願
 第10章 マンガ映画に殉じた人びと
 第11章 アニメーター手塚治虫
 第12章 マグマ大使誕生秘話
 終章 手塚治虫との訣れ
兄うしおそうじのこと/鷺巣政安
あとがきにかえて−この本のこと/長谷川裕

うしおそうじは2004年に82歳で亡くなっている。生前にまとめる予定だった本書が2007年になってやっと出版された。文章のはしばしから、元原稿にあったと思われる重複、脱線、思い違い、誤字などが余韻として伝わってくる。(あとがきによると、元原稿は1000枚あったという!そのまま出版していたら、ドグラマグラだ!)
うしおそうじの本だ、というだけで貴重だが、内容もよくぞ書きのこしてくれた、というものだった。
いくつか、メモを残しておこう。

(東宝争議で)「会社は整理した東宝教育映画および動画メンバー百人余にPCL創立時のスタジオを与え、全機材と運転資金を貸与して、独立採算制を敷いて面倒をみた。しかし、ボクは十年間(うち2年半は軍隊)夢中で働いた東宝砧撮影所をスッパリ辞めた。そして争議中アルバイトとして手がけた漫画を誰に気遣うこともなく身を入れてやることにしたのだった」
漫画家、うしおそうじの本格デビューのいきさつ!

「鶏口となるも牛後となるなかれの逆をいく意味で、牛の尾のあとを走るということで牛尾走児とペンネームを決めます」
ペンネームの由来!

「ボクが3本のペンを取っ替え引っ替えして描くのを、手塚はたった1本のペン先で極太、中細、極細とサラサラと描き分けてしまうのである」
「われわれ漫画家仲間のほとんどは、8ページの1枚目のタイトルから、ノンブルどおり1コマ目2コマ目と順序よくペンで仕上げていくのが常套なのに、手塚のペン入れは奇想天外であった。たとえば5ページ目の上から3段目の右から2コマ目から仕上げ、次は3ページ目の下から2段目の左隅を仕上げ、(中略)というように、京の五条の橋の上、こーこと思えばまたあちらと、まるで牛若丸のごとく跳び跳びに埋めてゆきながら8ページ分描き終わる。
仕上がりを見せてもらうと、驚くべきことに整然と、毛ほどの隙もなく完璧に仕上がっていて、文句のつけようもなかった」
手塚の神業!現代の漫画家はどうなの?

近藤日出造『子供漫画を斬る』から
「俗悪な子供漫画は大阪がもとである。だいたい大阪人というものがそういうものだ。売れて金さえ儲かればそれでいいという恥知らずなのだ。その恥知らずのつくったのがこういう赤本漫画だ。赤本が売れて法隆寺が焼ける。それが今の日本の姿だ」
この文は1956年に書かれているが、50年以上過ぎた今でも、大阪に対する印象は、変わっていないと思う。いや、まったくその通り。われわれ大阪人は恥知らずだし、もっと俗悪な漫画をジャンジャン描いてほしいものだ。

大宅壮一が手塚との対談で言った言葉
「それじゃあ、ちょうど、華僑みたいなもんだね」
「つまり、出稼ぎではなしに、他所で暮らしながら国へ送金する人種ですよ。あなたは大阪だから阪僑とでもいいますかな」
大阪はやっぱり攻撃の対象になっちゃうなあ。
で、それに呼応して、大阪では母親たちが
「子供たちから取り上げた漫画雑誌や別冊漫画を、初夏の中之島公園広場に山と積み上げて火を放った。白昼堂々の焚書である」
いつでも文化の敵は親だと相場が決まっている。

大丈夫か、と思ったのは、ここ。
手塚の結婚披露宴二次会で
「宴たけなわになり幇間の出番となって、一同期待のうちにお得意の座敷芸がはじまったが、この幇間の芸がなんとも半端で盛り上がらず、最後に下ネタの陳腐な芸をやってお開きであった。なんたることかとまったく腹が立った」
その前のページには、この二次会に参加した面々の集合写真が見開きで載っているが、件の幇間もちゃんと写っている。誰のことだか特定できちゃうじゃないか!いいのか?
そういえば、友人に「幇間になればいい」と真剣に言われたことがある。僕にたいこもちになれ、と?そんなにふだんからいろんな人にヨイショしてるのか、僕は!と、自己認識を新たにした。

アニメーター村田安司(「蛸の骨」「文福茶釜」「蛙は蛙」「おいらの野球」「かうもり」「猿正宗」など)について
「映画俳優の江川宇礼雄の容貌を2段階ぐらい魁偉にしたような造作の大きな顔で、背広姿はさすがに浜ッ子のダンディズムが芬々であった」
この記述のあと、彼がシックスナインが得意だったとか書いてあるが、それはおいとこう。江川宇礼雄といえば、ウルトラQで僕たちは記憶に残しているが、新人類がブームになった頃、江川宇礼雄が何者であるのか、当時の新人類たちは、知らなかった。新東宝の映画に出まくっていたのを見ている、新人類より上の世代にとっては、その無知っぷりにあきれただろうが、どっちみち上の世代は、新人類の発言なんか読んではいなかっただろう。かろうじて「日本一のホラ吹き男」がかする程度で、映画館で江川宇礼雄を見る機会はまずなかったんだから、仕方ない、といえば仕方ない。

アニメと造形混合の実験的合成映画「ムクの木の話」で
「ボクの担当した部分で、一番困難なシークエンスは、冬の主役である氷の怪物が、大きく息を空中に吹き付けると、空気がそのままつぎつぎと凍っていく、ついには場面全体が凍りついてしまうという設定である」
「ボクはカメラのルーペを覗いてフレームを確認してから、左手に握ったパレット上の整髪料、すなわち黄色いポマードをパレットナイフの両端に薄くすくい、透明ガラスにほんの少し塗り付ける」

「漫画映画特別教育講座」で講師として政岡憲三が教える
「政岡はまず、黒板に右手で完全円形、左手で正三角形を同時に描くという離れ業を見せてくれた。みごとな正確さであった。
『この正しいバランス感覚をマスターするところから動画技術の素質を測るプロダクションの親方もいます』」
自分でも試しにやってみたが、さっぱりだった。

あと、ピー・プロのいろいろ裏話が。
「0戦はやと」を作ったが、多くの局では「戦争マンガはお断り」と拒否された、とか。
ピー・プロに「ビッグX」制作の話が来たが、「やるなら社長(うしおそうじ)1人でやってくれ」と社員に拒否された、とか。
虫プロが「ジャングル大帝」に力を入れたいため、ピー・プロが「鉄腕アトム」104話「悪魔の風船の巻」から3クール39話分、応援をした、とか。
「マグマ大使」を実写版で作りたい、と手塚に話すと、手塚は「鉄腕アトム」実写版を思い出して、断固として拒否した、とか。(実際に作ったものを手塚に見せて、承諾をとりつけたが)

あと、終章の最後に、うしおそうじはまるで推理小説のサプライズエンディングみたいなことをしてみせる。
手塚と一緒にカンヅメでマンガを描いているときの会話。
手塚は「ジャングル大帝」うしおは「しか笛の天使」を描いていた。

「うしおさん、この先レオに二世が誕生したときの名前を考えているんです。2頭生まれて、1頭の名をルネ、もう1頭をルッキオにするつもりです」
「ほう、かわった名前ですね」
「わかりませんか」
「?」
「由来は簡単。ワッハッハハ。逆さに読んでください」
「え?ネルとオッキル。あ、そうか」
「ワッハッハハ」
手塚治虫は、まるい鼻のアタマに皺を寄せて高笑いした。ボクはホテルで寝る前にユニット風呂の浴槽につかりながら、ふと考えた。
「そうか、わかった。ジャングル大帝の主人公レオは、俺、すなわち手塚治虫自身のことだったのか」
手塚はネーミングひとつにも謎かけをこめて描いていたのである。

はい、あざやかに決まりましたね!

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