ゲーム的リアリズムの誕生〜NHKで現代音楽三昧
今日はNHK-FMで昼から夜まで現代音楽三昧だった。どこにも出かけずに、ラジオを聞いていた。
聞いたのは次の曲。
「カルモ」ベリオ作曲(15分18秒)
(メゾ・ソプラノ)マルグリート・ファン・ライゼン(演奏)アスコ・アンサンブル、 シェーンベルク・アンサンブル(指揮)バス・ヴィーガース

「レンダリング」シューベルト作曲、ベリオ編曲(34分57秒)
(管弦楽)18世紀オーケストラ、アスコ・アンサンブル、シェーンベルク・アンサンブル(指揮)フランス・ブリュッヘン
〜ベルギー・ブリュージュ コンセルトヘボーで収録〜<2007/2/18>
(ベルギー・オランダ語地域放送協会提供)

「天国の色彩」メシアン作曲(16分13秒)
(ピアノ)ディミトリ・ヴァシラキス(管弦楽)アンサンブル・アンテルコンタンポラン(指揮)ピエール・ブーレーズ

「東京のためのパッサカリア」マヌーリ作曲(18分59秒)
(ピアノ)永野 英樹(管弦楽)アンサンブル・アンテルコンタンポラン(指揮)ピエール・ブーレーズ

「デリヴ 第1番」ブーレーズ作曲(6分02秒)
(管弦楽)アンサンブル・アンテルコンタンポラン(指揮)ペーテル・エトヴェシュ

「メモリアル」ブーレーズ作曲(5分27秒)
(フルート)ソフィー・シェリエ(管弦楽)アンサンブル・アンテルコンタンポラン(指揮)ペーテル・エトヴェシュ

「“グレの歌”から“山鳩の歌”」シェーンベルク作曲(12分42秒)
(ソプラノ)ペトラ・ラング(管弦楽)アンサンブル・アンテルコンタンポラン(指揮)ピエール・ブーレーズ
〜フランス・パリ シテ・ド・ラ・ミュジークで収録〜 <2007/3/29>(ラジオ・フランス提供)

このあとのモーツァルトとかは聞かずに、テレビでスポンジボブとか見た。
午後6時からは、いつもの「現代の音楽」
案内は西村朗、ゲストに白石美雪
 − 西村朗オーケストラ作品展から −(1)
「“2台のピアノと管弦楽のヘテロフォニー”から 第1楽章」 西村朗・作曲(9分00秒)
(ピアノ)白石光隆、小坂圭太

「バイオリン協奏曲 第1番“残光”」西村朗・作曲(25分28秒)
(バイオリン)竹澤恭子(管弦楽)NHK交響楽団(指揮)飯森範親
  〜東京オペラシティ・コンサートホールで収録〜<2007/5/25>

東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』を読んだ。
序章
ポストモダンとオタク/ポストモダンと物語/ポストモダンの世界をどう生きるか
第1章 理論
A 社会学
1、ライトノベル
2000年代の「再発見」ブーム/ライトノベル≠「ジャンル小説」/ライトノベル的なもの
2、キャラクター(1)
キャラクターの媒体としてのライトノベル/自律化共有財化/データベース/ライトノベルの本質
3、ポストモダン
ライトノベルの出現とポストモダン/ポストモダンとポストモダニズムの違い
4、まんが・アニメ的リアリズム
現実の「写生」から虚構の「写生」へ
5、想像力の環境
コミュニケーションの基礎としてのリアリズム/二つのリアリズムの基盤
6、二環境化
「文学のポストモダン化」の意味するもの/文学の二つの環境/キャラクタ−小説の可能性/循環的な物語生成

B 文学(1)
7、現実
純文学を現実を知るために読む時代/「新しい現実」に触れる「新しい文学」という読み方/本書で考える「文学的な可能性」とは
8、私小説
「現実」と「私」の発見/まんが・アニメ的リアリズムの歴史的意味
9、まんが記号説
マンガの持つ記号的・身体的両義性
10、半透明
キャラクター小説の言葉/セカイ系の想像力を支える「半透明」の言葉/キャラクター小説の隆盛は例外的な現実なのか
11、文学性
現実を言葉の半透明性を利用して描く/仮構を通してこそ描ける現実

C メディア
12、「ゲームのような小説」
小説ならではの問題とは/ライトノベルの起源を巡る議論/『ロ−ドス島戦記』登場の意味
13、ゲーム
大塚の「ゲームのような小説」に対する低い評価/ゲームは死を描けるか
14、キャラクター(2)
死の問題を巡る大塚の議論への疑問/メタ物語的な想像力の拡散/キャラクターとはゲーム的な存在/キャラクター小説はメタ物語性を必然的にもつ
15、「マンガのおばけ」
キャラクターとキャラ/キャラクターの両義性が含んでいたメタ物語性
16、ゲ−ム的リアリズム(1)
キャラクター小説固有の文学的な可能性/メタ物語的な想像力から生まれるリアリズム
17、コミュニケーション
「コンテンツ志向メディア」と「コミュニケ−ション志向メディア」/ユーザーとシステムのコミュニケーション/コミュニケーション志向メディアの生み出す物語/情報環境の変化と新しい物語

第2章 作品論
A キャラクター小説
1、環境分析
小説が読まれる環境の激変/環境分析的な読解
2、「All You Need Is Kill」
ル−プものの一作品/「All You」の二つの特徴/ゲームの比喩としての物語
3、ゲ−ム的リアリズム(2)
ゲームの経験の小説化/プレイヤー視点のリアリティ
4、死の表現
死の二重性/プレイヤーに血を流させること
5、構造的主題
環境分析による新しい読みの可能性/「プレイヤー」への強いメッセージ/主題の二重性

B 美少女ゲーム
6、美少女ゲーム
ゲーム的リアリズムの視点で読める小説群/美少女ゲームに注目する理由
7、小説のようなゲーム
プレイというより読書/『雫』の出現が消費の規則を変えた/キャラクター小説との鏡像関係
8、『ONE』
永遠の世界/『All You』との類似の戦略
9、メタ美少女ゲーム
環境の類似性に焦点をあてる/オタクの評論の欲望を刺激
10、『Ever 17』
視点のトリック/視点の分裂を物語の再構築に利用/切り離された物語の外部と内部をシナリオで結び直す
11、『ひぐらしのなく頃に』
ゲ−ム的な世界観に基づき設計された作品/謎解きの欲望
12、感情のメタ物語的な詐術
ゲーム的リアリズムとメタ美少女ゲームの試み/ポストモダンな生を対象とした構造的主題/構造的に見いだされる作品の多様性/環境分析的な批評

 C 文学(2)
13、『九十九十九』
固有の分析という誤解を回避/純文学の領域で活躍/入れ子構造になった章構成/作品とその周りの状況への批評の試み
14、「メタミステリ」
清涼院のメタミステリを継承/ゲ−ム的リアリズムについての小説
15、プレイヤー視点の文学
タイムスリップの理由/三人の視点プレイヤーの登場/感情移入する主体の変化
16、世界を肯定すること
『九十九十九』における仕掛けの意味/現実と虚構の対立/現実と虚構の対立を無化する選択/選択したことへの自覚/ポストモダンにおける実存文学の可能性

付録
付録A  不純さに憑かれたミステリ−清涼院流水について
付録B 萌えの手前、不能性に止まること−『AIR』について

本書はまず大塚英志のまんが・アニメ的リアリズム論を中心に検証し、第2章で具体的な作品論に触れる。
東の言う「ゲーム的リアリズム」はポストモダンの世界が作りだした人工環境のリアリズムのなかの日本で発達したひとつの形である。
ポストモダンの世界では、大きな物語は衰退する。そんなデータベース消費の世界で物語は人工環境の文学として生き残るのである。
文学の可能性としては、キーワードは半透明。自然主義文学の表現が「透明」、神話が「不透明」だとすると、キャラクター小説は「半透明」なのだ。つまり、仮構を通してこそ描ける現実がある、ということなのだ。
と、まあ、そんなことが書いてあったように思う。
美少女ゲームなどのネタバレがしてあって、ちょっと感心した。なるほど、これは面白そうだ!と思わせたのだ。
さて、本書はどんな読者を想定して書かれたのかわからないが、やたらと読者への気遣いが多く感じられた。
初心者を導く効果もあるが、あらかじめツッコミを予想して、「あ、今、こう思ったな。それは間違いだよ」とカーの『九つの答』みたいな趣向がこらされているのだと、僕は受け止めた。
そんなシーンをいくつか抜粋してみよう。

東浩紀が読者を気遣うコーナー
1、序章より(読者の反論を先回りしてつぶす自問自答)
Q「ポストモダンでは大きな物語が衰退すると言うが、現実には大きな物語はさまざまな局面で復活し、増殖しているのではないか」
A「その反論は誤解に基づいている。というのもポストモダン論が提起する『大きな物語の衰退』は、物語そのものの消滅を論じる議論ではなく、社会全体に対する特定の物語の共有化圧力の低下、すなわち『その内容がなにであれ、とにかく特定の物語をみなで共有すべきである』というメタ物語的な合意の消滅を指摘する議論だったからである」

2、第1章より(無知な読者への気遣い)
「ライトノベルには多くの種類があり、出版点数も多いが、読者によってはまったく目にしたことがないひともいるだろう。そのような読者には、まずは、書店で文庫売場や新書売場ではなく、コミック売場に行ってもらい、その近くに平積みになっている派手なパッケージの文庫本を探してもらいたいと思う。それが典型的なライトノベルだ」

3、第1章より(無知な読者への気遣い)
(物語よりキャラクターを単位として感覚されることについて)
「このような記述は、多少ともオタクたちの表現に慣れ親しんでいれば直感的に理解できるはずだが、親しみのない読者にはわかりにくいかもしれない。そこで、ひとつ具体例を挙げてみよう」

4、第1章より(さっきの続き。ハルヒを例に出したあと)
「言うまでもなく、そのような仮想的な対話は、作者と読者がキャラクターのデータベースをあるていど共有し、かつ読者によってその存在が意識されていなければ、まったく機能しない。本書の読者のなかには、引用箇所を読み、戸惑いしか感じなかったひとも多いのではないかと思う。
にもかかわらず、実際にはそれは、現在の小説市場で実に多くの読者に受け入れられている」

5、第1章より(読者の反論を先回り)
Q「とはいえ、文学とポストモダン論に詳しい読者ほど、ここで違和感を感じるかもしれない。文学理論の領域では一般に、『ポストモダン文学』という言葉は、近代文学の前提を解体し、新しい小説の方法を意識的に再構築していくような、知的で複雑で、作家性の強い試みを指しているからである」
A「ライトノベルはポストモダン的な小説であるという本書の主張は、必ずしも作家がその位置を自覚していることを意味しない。ライトノベルの想像力は、オタクたちの動物的な消費原理を、すなわちポストモダンの時代精神をみごとに反映してしまう。本書が関心を向けているのは、その反映のメカニズムに対してである」

6、第1章より(読者の反論を先回り)
Q「読者によっては、マンガやアニメの『写生』に新しい『リアリズム』を見いだすという大塚の主張を、あまりにも乱暴だと感じるかもしれない」
A「そのような疑問はもっともである。しかし、それでも筆者は、ここで『まんが・アニメ的リアリズム』という名称を使いたいと思う。というのも、ここで問われているのは、オタクたちがなにをリアルだと感じているか、という精神医学的な現実性ではなく、オタクたちがなにをリアルだと感じることにしているか、という社会的な現実性だからである」

7、第2章より(読者の不満を先回り)
Q「読者のなかには、直接のキャラクター小説論というよりも、むしろキャラクター小説論論の性格が強かった第1章の議論の歩みに、いささか辟易しているひともいるかもしれない」
A「そこで、ここからさきは作品を読み解いていくことにしよう」

8、第2章より(初心者の読者を道案内)
(桜坂洋の『All You Need Is Kill』について)
Q「SFに親しみがない多くの読者は、ギタイと闘い、タイムスリップを繰り返すキリヤには感情移入できないかもしれない」
A「しかし、その読者も、メタ物語的な宙づりに捕らわれたキリヤには感情移入できるはずである。なぜならば、キリヤのその状況は、ポストモダン化の進行のなか、選択肢の多さに圧倒され、特定の価値を選ぶことがますます難しくなっている、私たち自身の生の条件の隠喩になっているからである」

9、第2章より(読者への気遣い。ここまで来ると、わからん奴は愚か者だ、と言ってるようなもので、まるで『裸の王様』の仕立て屋みたいだ)
Q「筆者は前著からここまで一貫して、ポストモダンの分析のためにオタクの作品群を参照してきた。その選択の理由は繰り返し記しているし、筆者はその記述で十分に説得力があると信じている。しかしそれでも、本書の問題提起は、伝統的な文学に親しみ、ゲームもしなければアニメも観ず、キャラクター小説を読んだことがない読者には、受け入れがたく感じられるかもしれない」
A「そこで私たちは以下では、ゲーム的リアリズムの考察をさらに深めるのではなく、むしろその議論を足場として、第1章でいったん遠ざけた自然主義の世界、純文学と文芸批評の領域にもういちど近づいてみたい」

こういうノリツッコミの芸をもっと磨いてさらなる精進を期待している。

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