パニック都市―メトロポリティクスとテロリズム
2007年6月21日 読書
ISBN:458270266X 単行本 竹内 孝宏 平凡社 2007/04 ¥2,100
ポール・ヴィリリオの『パニック都市』を読んだ。2004年。
タイトルはかなりベタな印象を受ける。確かに。でも、ベタな僕にはぴったりだ。
以下、目次。
タブラ・ラサ
感情民主主義
戦争通行路
時間の事故
パニック都市
場所の黄昏
ヴィリリオの本は、引用も含めて、名言が多い。ここでは、読んでいて「おっ」「へえ」とか思った文章と簡単な感想を各テクストごとに書いておく。ヴィリリオについて詳しく知りたい人は本書を読むか、別のサイトにあたってほしい。
「わたしというこの都市生活者は、みずからの運動性によって、またそれと同じくらい市街地の交通網システムによって、プログラミングされている」(「タブラ・ラサ」)
「パリはポータブルである」(「タブラ・ラサ」)
上記2つの文章は、2つあわせて、シチュアシオニストの言う漂流を論じなおしているようだ。しかし、「パリはポータブルだ」は見事な言葉だなあ。僕も「日本橋はポータブルだ」と使ってみたい。
この言葉を説明する文章は、こんな具合。
「都市は、場所に関するわたしの記憶が活性化するなかで現前する」
「わたしはどこへいくにもこの心的地図を携帯する」
「砂漠でも中国でも、わたしの都市はすでにそこにある」
ヴィリリオは速度について語るドロモロジストと言われているが、車に乗って通過するスピード狂ではなくて、歩行者なのだ。
「出来事を創造するとは、こんにち、情報化時代におけるさまざまな感情の同期化に対する条件反射のサイバー・メンタリティなど断じて拒否するようなひとつの思考を、さらに活性化するということである」(「感情民主主義」)
うまいこと言うなあ。このテクストでは感情の同期化を主に語っている。
ツインタワーに飛行機が突っ込んだスペクタクルを模倣して、セスナがビルに突っ込んだ事件を記憶されているだろうか。ビルはびくともせず、セスナは建物に激突してクシャッとつぶれていた。1度めは悲劇、2度めは喜劇、なんてマルクスも言ってたけど、ヴィリリオがここで言うのは、マスメディアによる条件づけで、行動が規格化し、感情が同期化する、ということなのだ。
「メソポタミアの記憶が荒らされシュメールの宝物が強奪されたあと、情報の戦争はその本来の姿をあきらかにしていった。それは、歴史に対する闘争であり、さまざまな起源を破壊する試みなのである」(「感情民主主義」)
かつてユゴーが抗議した、ヨーロッパが中国で夏宮を略奪したことと、アメリカがバグダッドの考古学博物館、図書館を廃墟にかえたことをオーバーラップさせての文章。SFでは、憎い敵を倒すために、タイムマシンで過去に遡り、敵の親を殺して、敵の存在をなきものにしようとする話が山ほどある。どうやら、それは現在のアメリカ軍によって既に形を変えて行われているようだ。
「予防戦争。あれこれの暴君に対するというよりも、むしろ記憶のおよばぬほど過去の記憶に対する予防戦争」(「感情民主主義」)
「ハイパーテロリズムの到来とともにたったいま変化したばかりのもの、それは感情の同期化である」(「戦争通行路」)
ここまでは、先の「感情民主主義」でも述べられていたところ。これがこう展開する。
「いまや、情報革命とともに、このような世論の口径測定では、こうした政治的に正しい規格化ではもはや十分ではなく、大衆の感情の同期化がさらにそこへ付け加わり、恐怖がすべての人々によって瞬間的に感じとられるようにしなければならない。いたるところで同時に、そこかしこで、グローバルな全体主義の規模で」(「戦争通行路」)
戦争はライブ映像などの「1枚のスクリーン」を舞台とするようになるのだ。
「双方向的メッセージ伝送の絶対速度による収縮。リアルタイムの瞬間性による広がり不在の征服。それで突然、世界は病理学的に固着化する。かつて多極的であった世界は、内部と外部の概念が反転するのにともない、もはや単極的であろうとするようになる」(「時間の事故」)
ここでは、世界が時間的に圧縮したことの攻撃的な様相が説明されている。ノースカロライナ州の学生の言葉が引用されている。
「われわれは、反撃する前に攻撃されるのを待っていることなどできない。こんな時代は終わった」(「時間の事故」)
予防戦争だ。
「20世紀最大のカタストロフは都市であったということ」(「パニック都市」)
「およそ1世紀をかけて、アメリカの小半島は天空にまで拡大する。その摩天楼のように。摩天楼とは結局のところ、あるスカイラインを描いて上昇していく島でしかない。もっともそれはいまや惑星的なスカイラインなのだが」(「パニック都市」)
「実際、居住という行為をする人がますますいなくなり、われわれがみな、いわゆるアウトソーシングをされるようになると、世界全体が恐怖をあたえるものと化すだろう」(「パニック都市」)
上から順に感想を並べてみる。
(上)たしかに20世紀はね!今世紀は?
(中)類推の喚起力の強いこと、強いこと!
(下)都市で語るべきは、居住の欠落だ、と僕は思っている。それはあたらしくて必然の流れだと思うのだけど、同時に恐怖も呼び起こしている。ホームレスは狩られ、ネットカフェ難民もまた撲滅すべきものとして取扱われるのだ。
公園からホームレス追い出したり、ネットカフェにガサ入れはいるような状況は、すごく嫌だなあ、と思う。
ポール・ヴィリリオの『パニック都市』を読んだ。2004年。
タイトルはかなりベタな印象を受ける。確かに。でも、ベタな僕にはぴったりだ。
以下、目次。
タブラ・ラサ
感情民主主義
戦争通行路
時間の事故
パニック都市
場所の黄昏
ヴィリリオの本は、引用も含めて、名言が多い。ここでは、読んでいて「おっ」「へえ」とか思った文章と簡単な感想を各テクストごとに書いておく。ヴィリリオについて詳しく知りたい人は本書を読むか、別のサイトにあたってほしい。
「わたしというこの都市生活者は、みずからの運動性によって、またそれと同じくらい市街地の交通網システムによって、プログラミングされている」(「タブラ・ラサ」)
「パリはポータブルである」(「タブラ・ラサ」)
上記2つの文章は、2つあわせて、シチュアシオニストの言う漂流を論じなおしているようだ。しかし、「パリはポータブルだ」は見事な言葉だなあ。僕も「日本橋はポータブルだ」と使ってみたい。
この言葉を説明する文章は、こんな具合。
「都市は、場所に関するわたしの記憶が活性化するなかで現前する」
「わたしはどこへいくにもこの心的地図を携帯する」
「砂漠でも中国でも、わたしの都市はすでにそこにある」
ヴィリリオは速度について語るドロモロジストと言われているが、車に乗って通過するスピード狂ではなくて、歩行者なのだ。
「出来事を創造するとは、こんにち、情報化時代におけるさまざまな感情の同期化に対する条件反射のサイバー・メンタリティなど断じて拒否するようなひとつの思考を、さらに活性化するということである」(「感情民主主義」)
うまいこと言うなあ。このテクストでは感情の同期化を主に語っている。
ツインタワーに飛行機が突っ込んだスペクタクルを模倣して、セスナがビルに突っ込んだ事件を記憶されているだろうか。ビルはびくともせず、セスナは建物に激突してクシャッとつぶれていた。1度めは悲劇、2度めは喜劇、なんてマルクスも言ってたけど、ヴィリリオがここで言うのは、マスメディアによる条件づけで、行動が規格化し、感情が同期化する、ということなのだ。
「メソポタミアの記憶が荒らされシュメールの宝物が強奪されたあと、情報の戦争はその本来の姿をあきらかにしていった。それは、歴史に対する闘争であり、さまざまな起源を破壊する試みなのである」(「感情民主主義」)
かつてユゴーが抗議した、ヨーロッパが中国で夏宮を略奪したことと、アメリカがバグダッドの考古学博物館、図書館を廃墟にかえたことをオーバーラップさせての文章。SFでは、憎い敵を倒すために、タイムマシンで過去に遡り、敵の親を殺して、敵の存在をなきものにしようとする話が山ほどある。どうやら、それは現在のアメリカ軍によって既に形を変えて行われているようだ。
「予防戦争。あれこれの暴君に対するというよりも、むしろ記憶のおよばぬほど過去の記憶に対する予防戦争」(「感情民主主義」)
「ハイパーテロリズムの到来とともにたったいま変化したばかりのもの、それは感情の同期化である」(「戦争通行路」)
ここまでは、先の「感情民主主義」でも述べられていたところ。これがこう展開する。
「いまや、情報革命とともに、このような世論の口径測定では、こうした政治的に正しい規格化ではもはや十分ではなく、大衆の感情の同期化がさらにそこへ付け加わり、恐怖がすべての人々によって瞬間的に感じとられるようにしなければならない。いたるところで同時に、そこかしこで、グローバルな全体主義の規模で」(「戦争通行路」)
戦争はライブ映像などの「1枚のスクリーン」を舞台とするようになるのだ。
「双方向的メッセージ伝送の絶対速度による収縮。リアルタイムの瞬間性による広がり不在の征服。それで突然、世界は病理学的に固着化する。かつて多極的であった世界は、内部と外部の概念が反転するのにともない、もはや単極的であろうとするようになる」(「時間の事故」)
ここでは、世界が時間的に圧縮したことの攻撃的な様相が説明されている。ノースカロライナ州の学生の言葉が引用されている。
「われわれは、反撃する前に攻撃されるのを待っていることなどできない。こんな時代は終わった」(「時間の事故」)
予防戦争だ。
「20世紀最大のカタストロフは都市であったということ」(「パニック都市」)
「およそ1世紀をかけて、アメリカの小半島は天空にまで拡大する。その摩天楼のように。摩天楼とは結局のところ、あるスカイラインを描いて上昇していく島でしかない。もっともそれはいまや惑星的なスカイラインなのだが」(「パニック都市」)
「実際、居住という行為をする人がますますいなくなり、われわれがみな、いわゆるアウトソーシングをされるようになると、世界全体が恐怖をあたえるものと化すだろう」(「パニック都市」)
上から順に感想を並べてみる。
(上)たしかに20世紀はね!今世紀は?
(中)類推の喚起力の強いこと、強いこと!
(下)都市で語るべきは、居住の欠落だ、と僕は思っている。それはあたらしくて必然の流れだと思うのだけど、同時に恐怖も呼び起こしている。ホームレスは狩られ、ネットカフェ難民もまた撲滅すべきものとして取扱われるのだ。
公園からホームレス追い出したり、ネットカフェにガサ入れはいるような状況は、すごく嫌だなあ、と思う。
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