DVD 東宝 2006/10/27 ¥6,300
今日は午前中から昼にかけて、雷が鳴って、大雨が降った。
赤い雨靴と、必要以上に大きな傘と、カエルの帽子の出番だ。
いつものカラフルなオーバーニーソックスと、変身ヒーローもののシャツ、バーニーのリュックとで、すっかり色キチだ。アートスクール系のカラフルで派手な学生が「やりすぎ」と僕を評している声が聞こえた。ありがとう!褒め言葉だ!

信長書店日本橋店で午後3時から「もっとペロキャン!ワンコインぷちライブvol.4」
今日は「あなたの白い恋人」あゆが北海道におり、欠席。
開演前の諸注意のアナウンスはメンバーで。
今日の衣装は、学校の制服だった。
1.スマイル:)
2.あんぶれら
コーナー。今回はじゃんけんで勝った人に、メンバーの私物をプレゼント。
あすぴはミラーとペン、あかりんソは指輪(ラムネのおまけ)とヒヨコのマスコット、カナ吉はネックレスと石。
各メンバー2つずつだったので、6回チャンスがあったわけだが、ほとんど初戦敗退だった。
撮影タイムは4分間。
3.スカートひらり
4.ねぇ、わかんない?
ライブ終了後は物販タイムだったが、次のスケジュールがあって、早々にひきあげる。

中崎町のプラネットプラスワンで開催中の「ストローブ=ユイレの映画2007」を見に行く。
ストローブ=ユイレは神戸ファッション美術館で特集上映したのを見て以来だから、10年ぶりくらいになるか。そのときは1996年の「今日から明日へ」が最新作だと言ってたが、その後5本くらいしか映画を作ってなくて、2006年にはダニエル・ユイレが死んでしまった。今回の上映会では、2000年以降の作品が中心になっているので、ちょうどいい。
この上映室は40人も入れば満員の場所だ。ストローブ=ユイレにはそんなに人が集まってはいないはずだ、と高を括っていたが、行ってみたら整理券が34番だった。大盛況と言えるだろう。あぶなかった。
午後5時10分から「放蕩息子の帰還/辱められた人々」2003年。
エリオ・ヴィットリーニの長編小説『メッシーナの女たち』を題材にした作品。ちなみに、この『メッシーナの女たち』は翻訳されておらず、イタリア語なんて読めないので、内容はあまりよくわからない。映画を見終わったあとも、結局よくわからなかったが、ストローブ=ユイレの映画の場合、僕はたいていどんなストーリーだったのか把握できないまま見終わるのである。誰か原作を翻訳してくれないか、と待つのみだ。
どうやら、戦後イタリアの混乱期、コミューンを作った人々と、地主からの使者、元パルチザンが登場する物語のようだが、全貌はつかめない。
『メッシーナの女たち』の途中から話がはじまっており、ますます面喰らうが、ストローブ=ユイレだとそんなの普通だ。
タイトルバックで音楽が流れる。ただし、タイトルと言っても最小限の人名が出るだけで、大半は何もない真っ白な画面だ。
冒頭、いきなりの台詞が「その後」ではじまるのだ。いったい、何の後?
俳優(?)たちは森の自然の中で、台本を棒読みする。台本はちゃんと足元に置いてあるので、それをただ読むのだ。俳優(?)は実際にコミューン生活をしている人々で、リアリティがある。ただし、演技力は皆無。
カメラの動きはほとんどなく、俳優(?)が棒読みする姿をただ写し取る。読み終わってからもそのシーンは終わらない。自然の音(水のせせらぎ、虫、鳥の声、風など)が鳴り響くなか、人々はじっと黙ったまま動かずにいる。
タイトルが2つに分かれているのは、2つの話が収録されているからなのだが、その2つの話のつながりはやはりイマイチよくわからない。僕は1つの続いた話として見てしまった。
ラストシーンは、俳優(?)が「そうね」と言い、そのままカメラは地面にずれる。足の一部と、地面を這う蟻が長々と映されて、いきなり終了。

2本めは「あの彼らの出会い」2006年。ストローブ=ユイレとしての最後の作品。
チェーザレ・パヴェーゼの『レウコとの対話』の最後の5編を原作としている。
この作品では、あからさまに台本を持って棒読みしているわけではない。一応、覚えてしゃべっているようだが、人間にほとんど動きはなく、やはり朗読映画であることにはかわりがない。5つの対話は、それぞれ役者が変わっているが、誰と誰がしゃべっているのかはわからない。『レウコとの対話』もまた未訳なのだ。
調べてみたら、対話していたのは、次の組み合わせらしい。
1.力の権化クラトス(テイルズじゃないよ)とその妹ビア
2.ディオニュソスとデメテル
3.木に住む女の妖精ハマドリュアデスと、サテュロス
4.ムネモシュネーとヘシオドス
5.無名の2人
この映画も自然の中で撮影されており、対話中に音楽はいっさい使用されておらず、効果音もない。自然の音を何ひとつカットしていない。さらに言えば、とくに衣装もメイクも映画用に何もしていないようだ。
最初のクラトスとビアの対話では、2人がうしろ姿のままえんえんとなされる。2人は向き合っておらず、目をあわせることもほとんどない。
ラストシーンは、なんだかわからないけど、空が長々と映されて、終わり。
最後の最後まで、ストローブ=ユイレさん、やってくれますね!という感じ。

帰宅後、テレビで「県庁の星」を見る。西谷弘監督、2006年。
「県庁さん」織田裕二が、民間のスキルをとりいれるため、スーパーで半年勤務する。教育係はパートのベテラン、柴咲コウ。エリート路線を進んでいた県庁さんは、そのレールをはずされ、大企業社長娘との婚約も破談になる。一方、スーパーはコスト優先の行き過ぎで営業停止の危機に。最初、齟齬があった県庁さんとスーパーが、強力タッグを組んでスーパーの立て直しに成功。一方、県庁側の腐敗は一朝一夕には改革できないが、ただで飲んでいたコーヒーを1杯100円にするなど、徐々にではあるが、進みはじめる。
と、まあ、普通に働いていれば、実生活でも体験できるような内容で、映画見ているときにも労働モードで考えなくてはならんのか、とも思ったが、予想以上に上質のエンタテインメントになってたと思う。
ツンケンしている怖い人だと思ってたら、意外と可愛いところもある、とか。
たよりない、と思ってた店長さんが、ピンチのときにきっちりやってくれる、とか。
味方だと思ってた知事が同じ穴のムジナだった、とか。
「こういう人は、こう」「こういう場合はこう」という決めつけがいかに変動しやすく、無効なのかが描かれていて、面白い。
でも、こういう映画見ると、自分は県庁さんにもベテランパートにもなれないことが身にしみてわかり、ああ、僕って労働には向いていないなあ、と再認識したりする。

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