ISBN:4488104053 文庫 井上 勇 東京創元社 ¥735
エラリー・クイーンの処女作『ローマ帽子の謎』を読んだ。国名シリーズの第1作め。1929年。戦前の作品ですよ!まさにヴィンテージ。
表紙は現在の写真バージョンじゃなくて、真鍋博のシルバーのイラストレーション。井上勇の翻訳も1960年のもので、ネグリジェやカフェオーレが原語のまま使われて、(部屋着)とか注釈がついている。古風。
ローマ劇場の客席で毒殺。
手がかりは、被害者のシルクハットがどこを探しても見当たらないこと。
あるはずの帽子がどこにもない、という謎だけで長編を持たせて、しかも犯人まで推理できちゃうんだから、すごい。
ネタバレするので、読む人は要注意。
この本には、みどころがたんまりとある。
まず、クイーン父子のバランス。
父のリチャード・クイーン警視が大活躍して、エラリーは事件の解決よりも書物に夢中なスタンスを取りつづける。
事件の真相も、エラリーの推理をリチャードが代わりに語るのだ。(その頃エラリーは旅行中)
この比重は、名探偵が登場する推理小説としては、見事な設定だと思う。
それと、クイーン家の給仕、召使いジューナのキャラクター。
19歳の少年で、クイーン父子を尊敬し、絶対服従している。
これがドジで可愛い面をみせて、どことなく同性愛&ショタコンのターゲットとなるにふさわしく、キャラ萌え必至。同人誌などで、ジューナ本とか出ているんじゃないだろうか。
あんまり活躍せずに、ジュブナイルでかろうじて出演するけど、クイーンの主要作品からは姿を消してしまうキャラクターなのだ。
第2章「ではひとりのクイーンが働き、いまひとりのクイーンが見物すること」
エラリーが書物をなでながら言う。
「シュテンドハウゼの私家版だ」
訳注で「Stendhauseなるものがなにものか、浅学にしてついにわからなかった」と書いてある。
Stendhalならスタンダールなんだけど、惜しい。
ただ、このStendhause、読み方を変えれば、シュテンドォーズになる。「酒呑童子」?
第3章「では『牧師』が災難のこと」
アイスクリ−ム屋の娘の名前が「エリナー・リッビー」
教会で米粒拾う孤独な女かと思いきや、劇場のオレンジェード売りの少年とよろしくやってる。
第6章「では地方検事が伝記者となること」
ラストの思わせぶりな決め会話。シビレル!
「モーガンが論理的には容疑者であることは認めます。ただ、皆さん、ひとつの点を除いてはですがね」とエラリーはつけ加えた。
「例の帽子だろう」と警部は即座にいった。
「いいえ」とエラリーはいった。「べつの帽子です」
なお、この章に、犯人を決定する手がかりがある。
それは、こんなくだり。
「もう今は、みんな出はらいましたよ。ギャラリ−席の連中も、従業員たちも、俳優連も…奇妙な人種ですね、役者って。ひと晩じゅう、神さまを演じていたくせに、それが突然に、ごくありふれた往来の人たちと同じ服装になりさがり、生き身の人間につきものの災難不幸、なんにでもとりつかれるんですものね」
このどうでもいいような文章のどこが伏線だというのか!最後の推理のときになって、「ああ!あれはそういうことだったのか!」と目からウロコが落ちる。
第7章「クイーン父子の鑑定」
なくなった帽子は、犯人が持ち去ったものと思われるが、帽子の重要性についてあらかじめ犯人は予測していなかった、という推理をエラリーが展開する。
そのしめくくりの言葉に注目。
「してみれば、これまた、犯人がローマ劇場に来るまえは、帽子または、その中身を持ち去らねばならない羽目になるのを知らなかったという、有力な裏付け証拠だと、ぼくには思われるのです。quod erat demonstrandum」
推理小説ファンなら、誰しも虜になる「Q.E.D.」(証明終わり)をクイーンが使った最初の例が、ここにある!
第13章「クイーン対クイーン」
毒物学者ジョーンズ博士が推理作家を皮肉る。
「わしは、われわれの友人の推理小説家がごひいきの頼みの綱クラーレのことまで考えた。例の南アメリカの毒薬で、五つの推理小説のうち四つまで、この部類に入る」
クラーレは、僕も推理小説で知った毒だ。
でも、作中、エラリーは言う。
「私は自分の小説に一度もクラーレなんか使ったことはありませんから」
さて、事件の真相。
犯人は被害者にゆすられており、殺害してシルクハットに隠された書類を奪った。犯人は奪ったシルクハットをかぶって、来たときにかぶっていた自分のシルクハットを置いて帰ったのだ。ただし、そんな余分の帽子はどこにもない。あるとしたら、劇で使う帽子だけ!
犯人は俳優で、夜会服を着て帰った男だった。
で、ゆすりのネタがまた、すごい。
犯人はちょびっとだけ、黒人の血をひいているのだ。
それを隠すために、大金はらったり、人殺ししなくてはならないなんて、ああ、アメリカよ!
エラリー・クイーンの処女作『ローマ帽子の謎』を読んだ。国名シリーズの第1作め。1929年。戦前の作品ですよ!まさにヴィンテージ。
表紙は現在の写真バージョンじゃなくて、真鍋博のシルバーのイラストレーション。井上勇の翻訳も1960年のもので、ネグリジェやカフェオーレが原語のまま使われて、(部屋着)とか注釈がついている。古風。
ローマ劇場の客席で毒殺。
手がかりは、被害者のシルクハットがどこを探しても見当たらないこと。
あるはずの帽子がどこにもない、という謎だけで長編を持たせて、しかも犯人まで推理できちゃうんだから、すごい。
ネタバレするので、読む人は要注意。
この本には、みどころがたんまりとある。
まず、クイーン父子のバランス。
父のリチャード・クイーン警視が大活躍して、エラリーは事件の解決よりも書物に夢中なスタンスを取りつづける。
事件の真相も、エラリーの推理をリチャードが代わりに語るのだ。(その頃エラリーは旅行中)
この比重は、名探偵が登場する推理小説としては、見事な設定だと思う。
それと、クイーン家の給仕、召使いジューナのキャラクター。
19歳の少年で、クイーン父子を尊敬し、絶対服従している。
これがドジで可愛い面をみせて、どことなく同性愛&ショタコンのターゲットとなるにふさわしく、キャラ萌え必至。同人誌などで、ジューナ本とか出ているんじゃないだろうか。
あんまり活躍せずに、ジュブナイルでかろうじて出演するけど、クイーンの主要作品からは姿を消してしまうキャラクターなのだ。
第2章「ではひとりのクイーンが働き、いまひとりのクイーンが見物すること」
エラリーが書物をなでながら言う。
「シュテンドハウゼの私家版だ」
訳注で「Stendhauseなるものがなにものか、浅学にしてついにわからなかった」と書いてある。
Stendhalならスタンダールなんだけど、惜しい。
ただ、このStendhause、読み方を変えれば、シュテンドォーズになる。「酒呑童子」?
第3章「では『牧師』が災難のこと」
アイスクリ−ム屋の娘の名前が「エリナー・リッビー」
教会で米粒拾う孤独な女かと思いきや、劇場のオレンジェード売りの少年とよろしくやってる。
第6章「では地方検事が伝記者となること」
ラストの思わせぶりな決め会話。シビレル!
「モーガンが論理的には容疑者であることは認めます。ただ、皆さん、ひとつの点を除いてはですがね」とエラリーはつけ加えた。
「例の帽子だろう」と警部は即座にいった。
「いいえ」とエラリーはいった。「べつの帽子です」
なお、この章に、犯人を決定する手がかりがある。
それは、こんなくだり。
「もう今は、みんな出はらいましたよ。ギャラリ−席の連中も、従業員たちも、俳優連も…奇妙な人種ですね、役者って。ひと晩じゅう、神さまを演じていたくせに、それが突然に、ごくありふれた往来の人たちと同じ服装になりさがり、生き身の人間につきものの災難不幸、なんにでもとりつかれるんですものね」
このどうでもいいような文章のどこが伏線だというのか!最後の推理のときになって、「ああ!あれはそういうことだったのか!」と目からウロコが落ちる。
第7章「クイーン父子の鑑定」
なくなった帽子は、犯人が持ち去ったものと思われるが、帽子の重要性についてあらかじめ犯人は予測していなかった、という推理をエラリーが展開する。
そのしめくくりの言葉に注目。
「してみれば、これまた、犯人がローマ劇場に来るまえは、帽子または、その中身を持ち去らねばならない羽目になるのを知らなかったという、有力な裏付け証拠だと、ぼくには思われるのです。quod erat demonstrandum」
推理小説ファンなら、誰しも虜になる「Q.E.D.」(証明終わり)をクイーンが使った最初の例が、ここにある!
第13章「クイーン対クイーン」
毒物学者ジョーンズ博士が推理作家を皮肉る。
「わしは、われわれの友人の推理小説家がごひいきの頼みの綱クラーレのことまで考えた。例の南アメリカの毒薬で、五つの推理小説のうち四つまで、この部類に入る」
クラーレは、僕も推理小説で知った毒だ。
でも、作中、エラリーは言う。
「私は自分の小説に一度もクラーレなんか使ったことはありませんから」
さて、事件の真相。
犯人は被害者にゆすられており、殺害してシルクハットに隠された書類を奪った。犯人は奪ったシルクハットをかぶって、来たときにかぶっていた自分のシルクハットを置いて帰ったのだ。ただし、そんな余分の帽子はどこにもない。あるとしたら、劇で使う帽子だけ!
犯人は俳優で、夜会服を着て帰った男だった。
で、ゆすりのネタがまた、すごい。
犯人はちょびっとだけ、黒人の血をひいているのだ。
それを隠すために、大金はらったり、人殺ししなくてはならないなんて、ああ、アメリカよ!
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