三橋一夫ふしぎ小説集成〈2〉鬼の末裔
2006年8月23日 読書
三橋一夫の『鬼の末裔』を読んだ。
ふしぎ小説の本もこれで3冊め。
「不思議な帰宅」
1年に1度の帰宅。
その日はお盆。
「湯河原奇遊」
便所に行ったまま姿を消し、数年後に出て来た男。
その間、男は記憶喪失で違う人生を送っていた。
「二人のユリ」
影に刺されて死んだユリ
「殺されるのは嫌だ」
小説の登場人物が作者を訪れ、殺さないでくれと嘆願する。
ことわると、登場人物は作者を殺してしまう。
「白鷺魔女」
掛け軸から抜け出してきた如来様と、楽しい日々。
白鷺の掛け軸にかけかえると、悪女につかまってしまう。
「カボチャ奇譚」
女房が駆け落ちするのを止めようとして、たたき殺してしまったと自白する男。
実は、既に妻には逃げられていて、頭がおかしくなっていたのだ。
死体があるべき場所には、たたきつぶされたカボチャが1つ。
「怪獣YUME」
毛皮が珍重されるめずらしい動物YUME。
育てるのに何度か失敗した後、毛皮にせずにずっとペットとして飼おうとしたら、巨大化。
餌と一緒に飼い主まで食べてしまう。
「角姫」
頭に角がはえてきた娘。
角のおかげで下らぬ相手と結ばれず、恋人とうまく行く。
「帰り来ぬ」
死んだ父と同じようにみかんを隠す犬。
「蛇恋」
男の怪しい行動がすべて善意から出たものだったと知り、誤解だとわかったとき、女は池に身を投げた。
「歯型」
恨みが生霊となって人を襲う。
夢で襲われた女がとっさに生霊の膝を噛むと、実際に膝に歯型のついた人物が。
「影」
自分が死んだことに気づかぬ男。
足元に影がないのにやっと気づく。
「鬼の末裔」
大江山の鬼は、漂着した外人たちのことだった。
その血をひく私は、鬼の血を断つために自殺する。
「あそこにもう一人の君が」
沼向こう。
死後もピアノの音が。
「暗殺者」
白い手袋の暗殺者から逃げようとする男。
それは自分自身。
「三井寺の鐘つき男」
愛する妻は蛇の化身だった。
正体がバレて、蛇は片目を渡す。
その目玉を口に含んでいると、赤ん坊は乳もいらず、むずがりもしない。
両目ともなくしてしまった蛇は、息子に鐘つきになってもらい、せめて音だけでも聞かせてほしいと願う。
「女怪」
間男に夫を殺させる女
「沈黙の塔」
夫をさがしてチベット、ブータンに行く女性。
生き別れの娘をさがす男。
埋めた財宝を取り戻しに行く男。
「帰って来た男」
浦地間太郎と、いじめられた亀吉などで、南洋ヤップ島で天国のような暮らしをする。
以上。
こういう、思い出すために書き出したポイント以外に面白い箇所が多々ある。
たとえば、表題作の「鬼の末裔」。
中心になるのは、鬼とは昔日本に漂着した外人だった、という点であることは間違いないが、その納得のさせかたがいちいち面白い。
日焼けの激しいものは顔が赤くなり、日焼けしないものは青い、ということで赤鬼青鬼を説明する。
「鬼は肉を手づかみで食い、大盃で血を飲んでいた」というのは、鳥肉を手づかみで食べる習慣があり、日本人のように小さな盃で飲む習慣はなく、赤ワインを飲んでいたから。などなど。
それ以外の部分で、物語に深みを加えるため、あるいは雰囲気作りのくだりがすごい。
この物語では、まず、死んだ父が残した仏像がケタケタ笑う描写から話がはじまっている。
そして、自分の恋い慕う女性が下らない男と結婚してしまう話が展開し、そのあと、おもむろに仏像からスペイン語で書かれた文書が発見されて、鬼の正体が明かされるのだ。
鬼がどうのとかいうことと、女性との悲恋は直接関係ないように思えるのだが、これがあってこそ鬼が人を不幸にする忌わしい存在だということが強調されて、自殺によって血を絶つ唐突な結末に説得力が出ているのだ。
短い話でも、ちょっとしたドラマが用意されていて、小説として成り立っているのが、心地よい。
ふしぎ小説の本もこれで3冊め。
「不思議な帰宅」
1年に1度の帰宅。
その日はお盆。
「湯河原奇遊」
便所に行ったまま姿を消し、数年後に出て来た男。
その間、男は記憶喪失で違う人生を送っていた。
「二人のユリ」
影に刺されて死んだユリ
「殺されるのは嫌だ」
小説の登場人物が作者を訪れ、殺さないでくれと嘆願する。
ことわると、登場人物は作者を殺してしまう。
「白鷺魔女」
掛け軸から抜け出してきた如来様と、楽しい日々。
白鷺の掛け軸にかけかえると、悪女につかまってしまう。
「カボチャ奇譚」
女房が駆け落ちするのを止めようとして、たたき殺してしまったと自白する男。
実は、既に妻には逃げられていて、頭がおかしくなっていたのだ。
死体があるべき場所には、たたきつぶされたカボチャが1つ。
「怪獣YUME」
毛皮が珍重されるめずらしい動物YUME。
育てるのに何度か失敗した後、毛皮にせずにずっとペットとして飼おうとしたら、巨大化。
餌と一緒に飼い主まで食べてしまう。
「角姫」
頭に角がはえてきた娘。
角のおかげで下らぬ相手と結ばれず、恋人とうまく行く。
「帰り来ぬ」
死んだ父と同じようにみかんを隠す犬。
「蛇恋」
男の怪しい行動がすべて善意から出たものだったと知り、誤解だとわかったとき、女は池に身を投げた。
「歯型」
恨みが生霊となって人を襲う。
夢で襲われた女がとっさに生霊の膝を噛むと、実際に膝に歯型のついた人物が。
「影」
自分が死んだことに気づかぬ男。
足元に影がないのにやっと気づく。
「鬼の末裔」
大江山の鬼は、漂着した外人たちのことだった。
その血をひく私は、鬼の血を断つために自殺する。
「あそこにもう一人の君が」
沼向こう。
死後もピアノの音が。
「暗殺者」
白い手袋の暗殺者から逃げようとする男。
それは自分自身。
「三井寺の鐘つき男」
愛する妻は蛇の化身だった。
正体がバレて、蛇は片目を渡す。
その目玉を口に含んでいると、赤ん坊は乳もいらず、むずがりもしない。
両目ともなくしてしまった蛇は、息子に鐘つきになってもらい、せめて音だけでも聞かせてほしいと願う。
「女怪」
間男に夫を殺させる女
「沈黙の塔」
夫をさがしてチベット、ブータンに行く女性。
生き別れの娘をさがす男。
埋めた財宝を取り戻しに行く男。
「帰って来た男」
浦地間太郎と、いじめられた亀吉などで、南洋ヤップ島で天国のような暮らしをする。
以上。
こういう、思い出すために書き出したポイント以外に面白い箇所が多々ある。
たとえば、表題作の「鬼の末裔」。
中心になるのは、鬼とは昔日本に漂着した外人だった、という点であることは間違いないが、その納得のさせかたがいちいち面白い。
日焼けの激しいものは顔が赤くなり、日焼けしないものは青い、ということで赤鬼青鬼を説明する。
「鬼は肉を手づかみで食い、大盃で血を飲んでいた」というのは、鳥肉を手づかみで食べる習慣があり、日本人のように小さな盃で飲む習慣はなく、赤ワインを飲んでいたから。などなど。
それ以外の部分で、物語に深みを加えるため、あるいは雰囲気作りのくだりがすごい。
この物語では、まず、死んだ父が残した仏像がケタケタ笑う描写から話がはじまっている。
そして、自分の恋い慕う女性が下らない男と結婚してしまう話が展開し、そのあと、おもむろに仏像からスペイン語で書かれた文書が発見されて、鬼の正体が明かされるのだ。
鬼がどうのとかいうことと、女性との悲恋は直接関係ないように思えるのだが、これがあってこそ鬼が人を不幸にする忌わしい存在だということが強調されて、自殺によって血を絶つ唐突な結末に説得力が出ているのだ。
短い話でも、ちょっとしたドラマが用意されていて、小説として成り立っているのが、心地よい。
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