「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか
2006年7月27日 読書
ヴェネチア映画祭のコンペティション部門に、日本から2作品が参加するという。
大友克洋監督の「蟲師」(漫画の実写映画化)と、今敏監督の「パプリカ」(筒井康隆原作のSFのアニメ化)
大友!漫画!筒井!SF!アニメ!サブカルチャーの洪水だ!
そんなニュースを目にしながら読み終わった本がある。
大塚英志、大澤信亮共著による『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』だ。
第1部まんが/アニメから「ジャパニメーション」へ
1、日本のまんが/アニメは何処から来たのか
2、戦後/手塚/手塚の継承者たち
第2部国策の中のジャパニメーション
1、市場規模から見るジャパニメーション
2、産業構造から見るジャパニメーション
3、ナショナリズムから見るジャパニメーション
本書はまんが/アニメーションにとっては決してプラスになるとは思えない「ジャパニメーション」をめぐる「国策」化の動きが、いかに無効であり根拠を欠くものかを第1部ではまんが/アニメ史の視点から、第2部では実際に「国策」として示されたものを検証することで徹底して批判するものである。
以上、「あとがき」から、まんま引用した。
第1部では、最近のジャパニメーションの議論が、いかに歴史的な視点を欠いたものであるかが明らかにされている。
まんがの起源というと、すぐに「鳥獣戯画」が持ち出され、いかにも日本の伝統文化のなかから発生し、成長してきたもののように主張されている。
しかし、実際は、日本のまんがはハリウッド産のアニメーションの二次創作として始まっている。
そして、戦争によって日本のまんがは「兵器的なリアリズム」が導入され、キャラクター的なリアリズムとの共存に矛盾が生じる。手塚治虫はキャラクター的絵柄(記号)を捨てないままに、キャラクターに「死」などのリアリズム的な身体性を持たせることになる。これが戦後まんがの最大の特徴になる。
こんなふうに、ハリウッド(ディズニー)、戦争を経て形成された戦後まんがについて、無邪気に鳥獣戯画から説き起こす、日本人としてのアイデンティティを求めるような議論は、あまりにまんがの歴史を見ていないんじゃないか、と大塚は言う。
まんがが簡単に体制側に利用されてきた歴史も書かれている。
ジャパニメーションが国策とされているのを、多くのアニメファンは「勘違いしてるあいだが花だ」と受け止めていたんじゃないか、と思っていたが、実際は違うんだろうか。
ヴェネチア映画祭の話題を聞いても、やっぱり日本が今世界に誇れる映画は漫画やアニメ絡みのものしかないんじゃないか、と思えてくる。実際、僕が今日本映画のベスト10を選んでみれば、大半はアニメや漫画関係になるはずだ。
ジャパニメーションの根は案外と根深いのかもしれない。
第2部では、「ジャパニメーション」と騒いでいるけど、売り上げに関しては、マイナー映画並みでしかなく(日本での韓流ブーム以下)、技術に関しても「マトリックス」以降、ハリウッドに回収済みだと議論は展開される。世界において、ジャパニメーションが熱狂的に受け入れられる部分もある。でも、それは、海外にもオタクがいる、という程度のことでしかないのだ。
この本に載っていた資料(Box office mojo)を見てびっくりしたのは、アメリカで公開された日本のアニメ映画で、最大の興業収入をあげたのは「ポケモン/ミュウツーの逆襲」だというのは納得できるとして、「攻殻機動隊」が公開されたのが、アメリカ国内で、わずか1館だけ、という事実だ。「アキラ」は、たったの2館。「スチームボーイ」は頑張って46。「イノセンス」は大健闘で55。「もののけ姫」は驚異的な129。ハリウッドのアニメ映画だと、たとえば「アイスエイジ」なら3345館。ケタが違った!
さてさて、映画祭出品の2作品は、海外でどう評価されるのだろうか。
世界の評価とは関係なく、僕が今、見たいのは、井口昇監督の「猫目小僧」かな。「まだらの少女」も面白かったし。大阪では夏休み明けの9月にやっと上映される。
大友克洋監督の「蟲師」(漫画の実写映画化)と、今敏監督の「パプリカ」(筒井康隆原作のSFのアニメ化)
大友!漫画!筒井!SF!アニメ!サブカルチャーの洪水だ!
そんなニュースを目にしながら読み終わった本がある。
大塚英志、大澤信亮共著による『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』だ。
第1部まんが/アニメから「ジャパニメーション」へ
1、日本のまんが/アニメは何処から来たのか
2、戦後/手塚/手塚の継承者たち
第2部国策の中のジャパニメーション
1、市場規模から見るジャパニメーション
2、産業構造から見るジャパニメーション
3、ナショナリズムから見るジャパニメーション
本書はまんが/アニメーションにとっては決してプラスになるとは思えない「ジャパニメーション」をめぐる「国策」化の動きが、いかに無効であり根拠を欠くものかを第1部ではまんが/アニメ史の視点から、第2部では実際に「国策」として示されたものを検証することで徹底して批判するものである。
以上、「あとがき」から、まんま引用した。
第1部では、最近のジャパニメーションの議論が、いかに歴史的な視点を欠いたものであるかが明らかにされている。
まんがの起源というと、すぐに「鳥獣戯画」が持ち出され、いかにも日本の伝統文化のなかから発生し、成長してきたもののように主張されている。
しかし、実際は、日本のまんがはハリウッド産のアニメーションの二次創作として始まっている。
そして、戦争によって日本のまんがは「兵器的なリアリズム」が導入され、キャラクター的なリアリズムとの共存に矛盾が生じる。手塚治虫はキャラクター的絵柄(記号)を捨てないままに、キャラクターに「死」などのリアリズム的な身体性を持たせることになる。これが戦後まんがの最大の特徴になる。
こんなふうに、ハリウッド(ディズニー)、戦争を経て形成された戦後まんがについて、無邪気に鳥獣戯画から説き起こす、日本人としてのアイデンティティを求めるような議論は、あまりにまんがの歴史を見ていないんじゃないか、と大塚は言う。
まんがが簡単に体制側に利用されてきた歴史も書かれている。
ジャパニメーションが国策とされているのを、多くのアニメファンは「勘違いしてるあいだが花だ」と受け止めていたんじゃないか、と思っていたが、実際は違うんだろうか。
ヴェネチア映画祭の話題を聞いても、やっぱり日本が今世界に誇れる映画は漫画やアニメ絡みのものしかないんじゃないか、と思えてくる。実際、僕が今日本映画のベスト10を選んでみれば、大半はアニメや漫画関係になるはずだ。
ジャパニメーションの根は案外と根深いのかもしれない。
第2部では、「ジャパニメーション」と騒いでいるけど、売り上げに関しては、マイナー映画並みでしかなく(日本での韓流ブーム以下)、技術に関しても「マトリックス」以降、ハリウッドに回収済みだと議論は展開される。世界において、ジャパニメーションが熱狂的に受け入れられる部分もある。でも、それは、海外にもオタクがいる、という程度のことでしかないのだ。
この本に載っていた資料(Box office mojo)を見てびっくりしたのは、アメリカで公開された日本のアニメ映画で、最大の興業収入をあげたのは「ポケモン/ミュウツーの逆襲」だというのは納得できるとして、「攻殻機動隊」が公開されたのが、アメリカ国内で、わずか1館だけ、という事実だ。「アキラ」は、たったの2館。「スチームボーイ」は頑張って46。「イノセンス」は大健闘で55。「もののけ姫」は驚異的な129。ハリウッドのアニメ映画だと、たとえば「アイスエイジ」なら3345館。ケタが違った!
さてさて、映画祭出品の2作品は、海外でどう評価されるのだろうか。
世界の評価とは関係なく、僕が今、見たいのは、井口昇監督の「猫目小僧」かな。「まだらの少女」も面白かったし。大阪では夏休み明けの9月にやっと上映される。
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