ボルヘスの『七つの夜』を読んだ。ジラーチの話ではない。
1977年にボルヘスがブエノスアイレスのコリセオ劇場で行った講演をまとめた本。
第1夜「神曲」
第2夜「悪夢」
第3夜「千一夜物語」
第4夜「仏教」
第5夜「詩について」
第6夜「カバラ」
第7夜「盲目について」
順番にメモ。
(1)姦通の罪で処刑されたパオロとフランチェスカに、ダンテは問いかける。二人はいかにして愛しあうようになったのか、二人は自分たちが愛しあっていることをどのようにして知ったのか。
二人は愛しあい、その結果、地獄にいる。
ダンテはフランチェスカの愛を得ることができず、地獄にいる二人をむしろうらやましがっている。
愛のためなら、地獄も厭わない二人のいる場所は、本当に地獄なのか?
(2)『オデュッセイア』に、角の門と象牙の門についての一節がある。
象牙の門を通ってくるのは偽りの夢。
角の門を通ってくるのは真のあるいは予言的な夢。
角は黙しているからか?
(3)「千一夜物語」はなぜ「千一」か。偶数は不吉だから。そして、終わりのない物語だということをあらわしている。
バ−ジョン違い、翻訳などで、千一夜物語は変化し、成長している。
原語版には「アラジンと魔法のランプ」の話は無い。
また、ド・クインシイが自伝で語った「千一夜物語」のエピソードは、どのテキストにも見当たらない。物語が今も成長しているのだ。
この章を読んで、「永遠と一日」という言い方が「千一夜物語」のプラス1に通じているのを知った。なるほど。
(4)他の宗教は、信者に軽信を要求する。しかし、仏教は、良き仏教徒でありながらブッダが存在したことを否定することができる。
重要なのは歴史的事実ではなく、教義なのだ。
(5)ケベードとエンリケ・バンクスの詩をとりあげる。
この章でボルヘスは「私にとってフランス語の音は快いものではありません。他のラテン系言語のもつ響きが欠けていると思うのです」「仮に言語をひとつだけ選ばなければならないとすれば、私にとってその言語はドイツ語でしょう。ドイツ語は複合語を形成する可能性を備え、開母音を持ち、素晴らしく音楽的です」と、言っている。
ドイツ語を馬の言葉だと言って蔑んでいたのは誰だっただろう。フランス語を綺麗だと思うのは、「おフランス」趣味なのか。
(6)言葉について、歴史的にまず「音」があり、その後に「文字」が出来たと西洋人は考えているが、カバラでは逆だ。神が道具として必要としたのは文字なのだ。
(7)ホメーロスは存在しなかった。しかし、ギリシア人は詩が何よりもまず音楽であり、何よりもまず竪琴であるという事実、視覚的な要素は詩人の中にあってもなくてもかまわないということを主張するために、盲目のホメーロスを好んで想像した。
ボルヘス読んでいると、古典をちゃんと読まねばならないな〜と宿題を与えられたような気分になる。夏休みの宿題として、古典を読んでみるか!
1977年にボルヘスがブエノスアイレスのコリセオ劇場で行った講演をまとめた本。
第1夜「神曲」
第2夜「悪夢」
第3夜「千一夜物語」
第4夜「仏教」
第5夜「詩について」
第6夜「カバラ」
第7夜「盲目について」
順番にメモ。
(1)姦通の罪で処刑されたパオロとフランチェスカに、ダンテは問いかける。二人はいかにして愛しあうようになったのか、二人は自分たちが愛しあっていることをどのようにして知ったのか。
二人は愛しあい、その結果、地獄にいる。
ダンテはフランチェスカの愛を得ることができず、地獄にいる二人をむしろうらやましがっている。
愛のためなら、地獄も厭わない二人のいる場所は、本当に地獄なのか?
(2)『オデュッセイア』に、角の門と象牙の門についての一節がある。
象牙の門を通ってくるのは偽りの夢。
角の門を通ってくるのは真のあるいは予言的な夢。
角は黙しているからか?
(3)「千一夜物語」はなぜ「千一」か。偶数は不吉だから。そして、終わりのない物語だということをあらわしている。
バ−ジョン違い、翻訳などで、千一夜物語は変化し、成長している。
原語版には「アラジンと魔法のランプ」の話は無い。
また、ド・クインシイが自伝で語った「千一夜物語」のエピソードは、どのテキストにも見当たらない。物語が今も成長しているのだ。
この章を読んで、「永遠と一日」という言い方が「千一夜物語」のプラス1に通じているのを知った。なるほど。
(4)他の宗教は、信者に軽信を要求する。しかし、仏教は、良き仏教徒でありながらブッダが存在したことを否定することができる。
重要なのは歴史的事実ではなく、教義なのだ。
(5)ケベードとエンリケ・バンクスの詩をとりあげる。
この章でボルヘスは「私にとってフランス語の音は快いものではありません。他のラテン系言語のもつ響きが欠けていると思うのです」「仮に言語をひとつだけ選ばなければならないとすれば、私にとってその言語はドイツ語でしょう。ドイツ語は複合語を形成する可能性を備え、開母音を持ち、素晴らしく音楽的です」と、言っている。
ドイツ語を馬の言葉だと言って蔑んでいたのは誰だっただろう。フランス語を綺麗だと思うのは、「おフランス」趣味なのか。
(6)言葉について、歴史的にまず「音」があり、その後に「文字」が出来たと西洋人は考えているが、カバラでは逆だ。神が道具として必要としたのは文字なのだ。
(7)ホメーロスは存在しなかった。しかし、ギリシア人は詩が何よりもまず音楽であり、何よりもまず竪琴であるという事実、視覚的な要素は詩人の中にあってもなくてもかまわないということを主張するために、盲目のホメーロスを好んで想像した。
ボルヘス読んでいると、古典をちゃんと読まねばならないな〜と宿題を与えられたような気分になる。夏休みの宿題として、古典を読んでみるか!
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