しりあがり寿&祖父江慎の『オヤジ国憲法でいこう!』を読んだ。
このお二方には、モダンチョキチョキズの時代にたいへんお世話になった。
アルバム「くまちゃん」のときに祖父江さんと一緒に仕事させてもらって、生きることの達人というか、まあ、この本に見られるような、うまい息の抜き方をみせていただき、感銘をうけた。いろいろとよくしていただいて、まったく足を向けて眠れない。
しりあがり寿さんには、宍戸留美ちゃんのライブを企画したときのお土産グッズで、お手をわずらわせた。感謝感激ここに極まり、まったく足を向けて眠れない。
大阪に住む僕は、お二人の暮らす関東の方に足を向けて眠れないのである。

以下、目次と、カッコ内は適当な引用。

オヤジ国憲法前文
(オヤジは底抜けに自由である)

第1条 個性ハ必要ナシ
第1項 「自分忘れ」のススメ
(なにかにうっとりして我を忘れることのススメ)
第2項 個性は捨てるためにあるものである
(自分と他人とはそもそも違っていて当たり前)
第3項 自分の傷は、これを無視する
(自分の不安や自信の無さ、傷を癒すには、自分にとって興味のあることをやり続けること)

第2条 友達ハ大切ナモノニアラズ
第4項 友達となじめないのはあたりまえである
(学校時代の友達は、そもそもの成立が、不自然なものなのである)
第5項 友達とは、寂しさを補うだけのものである
(学生時代は「世の中にはいろんな人間がいる」と知る期間)
第6項 友達は、楽しく利用しあえばよい存在である
(友達は親の発明品かもしれない)

第3条 恋愛ハロクナモノデナシ 
第7項 顔は、意外と問題の本質ではない
(キミのすごさは、ほんとうは「ぜんぜん平均値じゃないところ」にあるのだ)
第8項 モテることは異常事態である
(恋愛の本質はハプニング&アクシデント)
第9項 「愛」なんていいかげんな言葉にふりまわされるべからず
(「愛」は「芸術」なんかと同様に「説明できないけど、良さそうな感じ」を表わすときに使われる言葉)

第4条 真理ヤ理想ハ幻想ナリ 
第10項 「幸せ」は、これを勘違いしている
(幸せな状態というのは、この世にはない。世の中にはただ、幸せな瞬間ばかりがあるのである)
第11項 「若さ」は、これを勘違いしている
(オヤジは、若い頃に比べたら体力がなくなっているだけが残念というだけで、オヤジになってからこそ楽しさの地平が広がるといったことなど、山のようにあるのである)
第12項 「正しさ」と「悪」は、これも勘違いしている
(自分の理解の外側にも世界がある)

第5条 ヤングノ敵ハ隣室ニアリ
第13項 あまり気にしなくても、親はすでに死んでいるのです
(親が言ってる内容にはあんまりピントは合わさずに。ソフトフォーカスで聞いておくのがよいだろう)
第14項 過保護からの逃れ方
(親元を離れるのがいちばん)
第15項 お父さんは家族を守れません
(あらゆるものはすべて、終わったり、解散したり、新しくなったり、ひとつの形には、とどまっていないのである)

オヤジ国憲法補則
(ヤングよ。キミらは、生きているだけでもう、すごいのである)

この本は思春期を迎えたヤングに向けて書かれているが、僕のまわりには、いつまでも思春期のままのような友人たちがうようよしている。
うむ。彼らにも、この本は有効だ!
僕だって半分オヤジ、半分思春期の未熟なミックスなのだ。有効だった。

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