庖丁人轟桃次郎、花嫁花婿チャンバラ節
2006年6月29日 読書
鯨統一郎の『庖丁人轟桃次郎』を読んだ。
板前桃次郎が、悪人を退治し、料理対決にも勝利していく連作。
「冥福を祈るな」
「死んでゆくのはなぜか」
「悪ふざけは嫌いだ」
「厭なことは忘れよう」
「俺は悪魔か」
「怖い人はいなくなれ」
「いつか罰があたる」
各話で退治される悪人は、もう極悪で、必殺仕掛人に依頼したくなるような奴らばかり。
そして、料理対決では、退治した悪人の肉体の一部を料理に使って、勝利をもぎとっていくのだ。
レバニラ炒め対決では人間の肝臓使ったり、隠し味にザクロを使ったと思わせて実は人肉(ザクロと味が似ているらしい)だった、とか、銀杏がまじっているのかと思ったら指の先だったとか、絶妙なダシのもとが人肉だったとか、ソーセージ対決ではペニスを使うとか。
作品の中で披露される蘊蓄、豆知識は、料理と、酒など。
たとえば、皺のよらない煮豆を作る方法とか。
酒の豆知識で面白かったのは、埼玉県五十嵐酒造の「喜八郎」は、飲めばだれでもベストセラーが書けるのだそうだ。そんなに値の張る酒でもないので、機会があれば、飲んでみたいものだ。
さて、この連作は、悪人の悪さを中心に書かれており、いつもの爽やかさに欠けるように感じた。ストーカーとか、親が子を虐待とか、オヤジ狩りとか、救いようのない犯罪をおかす悪人たち。ところが悪人たちは、年齢が若かったり、心神耗弱を演出したり、マジックマッシュルームでトリップ中で正常な判断ができなかったりして重い刑罰から逃れている。
桃次郎に殺人容疑がかかっていくが、作中、悪人を退治するのが桃次郎だと明記されていたわけではない。料理に人肉を使っているということも、におわせているだけだ。これはひょっとして!最終話で、悪人退治をしていた殺人鬼は、桃次郎ではなかった、とするドンデン返しがあるんじゃないのか。と、期待した。
ところが、最終的には、「いい料理を作るためには食材を愛することだ。逆に言えば、愛する者を料理する。それが一番だ」という考えから、桃次郎は、愛する店の女将を料理してしまう。ドンデンはなかった。
う〜ん、ブラック。
鯨統一郎の本のなかでも、もっともミステリ的カタルシスに乏しい作品かもしれない。
せっかく「ミステリマガジン」に連載されていたシリーズなのに、これはまたどうしたわけだ。
見た映画は、佐伯幸三監督の「花嫁花婿チャンバラ節」1952年。
資産家の息子、長谷部健とビアホールに勤める若尾文子は恋仲。
二人は祝福されて結婚するはずだったが、突然、長谷部健の母親、望月優子が結婚に反対する。
かつて望月優子は若尾文子の父親、劇場の下足番、柳家金語楼と結婚まで約束していたが、金語楼が金をもらって縁談を破棄したことを聞き、失望していたのだ。
だが、それが身分違いの結婚をさせないために親が仕組んだウソだったことが判明し、望月優子は若いふたりの結婚を許す。
他愛無い話だが、若いふたりの周囲を固める役者陣がすごい。
伴淳三郎、森繁久袮、大泉滉、川田晴久。
それぞれの喜劇センスを発揮した演技合戦は見もの。
探偵役の伴淳は例のなまり全開のせりふで、ビールを飲むたびにつけひげが移動するサイレント映画をほうふつとさせるギャグを演じる。
ビアホールで勤める川田晴久は大ジョッキのビールを頭からかぶる。
大泉滉はサイダーしか飲めない男を演じる。
また、水の江滝子のステージも映画用に撮影されたものだが、ちらっと見られる。
ここでも、つけひげがあっちこっちに移動するギャグ。
つい先日見た「夢を召しませ」でも、松竹少女歌劇団のスターが出演していたし、「泉」の有馬稲子は宝塚出身。
1950年代はレビューのスターが映画でも大活躍していたんだなあ。
でも、今も天海祐希とか大活躍してるか。
映画の主題歌でもあり、作中何度も久保幸江が歌う「チャンバラ節」は、チャンバラのときのBGMに面白おかしく歌詞を乗せたもので、今なら小梅太夫とかギター侍のような演芸に通じるものがあると思った。それよりも、アホダラ経が近いけど、最近、あんまりアホダラ経聞かないしね。
板前桃次郎が、悪人を退治し、料理対決にも勝利していく連作。
「冥福を祈るな」
「死んでゆくのはなぜか」
「悪ふざけは嫌いだ」
「厭なことは忘れよう」
「俺は悪魔か」
「怖い人はいなくなれ」
「いつか罰があたる」
各話で退治される悪人は、もう極悪で、必殺仕掛人に依頼したくなるような奴らばかり。
そして、料理対決では、退治した悪人の肉体の一部を料理に使って、勝利をもぎとっていくのだ。
レバニラ炒め対決では人間の肝臓使ったり、隠し味にザクロを使ったと思わせて実は人肉(ザクロと味が似ているらしい)だった、とか、銀杏がまじっているのかと思ったら指の先だったとか、絶妙なダシのもとが人肉だったとか、ソーセージ対決ではペニスを使うとか。
作品の中で披露される蘊蓄、豆知識は、料理と、酒など。
たとえば、皺のよらない煮豆を作る方法とか。
酒の豆知識で面白かったのは、埼玉県五十嵐酒造の「喜八郎」は、飲めばだれでもベストセラーが書けるのだそうだ。そんなに値の張る酒でもないので、機会があれば、飲んでみたいものだ。
さて、この連作は、悪人の悪さを中心に書かれており、いつもの爽やかさに欠けるように感じた。ストーカーとか、親が子を虐待とか、オヤジ狩りとか、救いようのない犯罪をおかす悪人たち。ところが悪人たちは、年齢が若かったり、心神耗弱を演出したり、マジックマッシュルームでトリップ中で正常な判断ができなかったりして重い刑罰から逃れている。
桃次郎に殺人容疑がかかっていくが、作中、悪人を退治するのが桃次郎だと明記されていたわけではない。料理に人肉を使っているということも、におわせているだけだ。これはひょっとして!最終話で、悪人退治をしていた殺人鬼は、桃次郎ではなかった、とするドンデン返しがあるんじゃないのか。と、期待した。
ところが、最終的には、「いい料理を作るためには食材を愛することだ。逆に言えば、愛する者を料理する。それが一番だ」という考えから、桃次郎は、愛する店の女将を料理してしまう。ドンデンはなかった。
う〜ん、ブラック。
鯨統一郎の本のなかでも、もっともミステリ的カタルシスに乏しい作品かもしれない。
せっかく「ミステリマガジン」に連載されていたシリーズなのに、これはまたどうしたわけだ。
見た映画は、佐伯幸三監督の「花嫁花婿チャンバラ節」1952年。
資産家の息子、長谷部健とビアホールに勤める若尾文子は恋仲。
二人は祝福されて結婚するはずだったが、突然、長谷部健の母親、望月優子が結婚に反対する。
かつて望月優子は若尾文子の父親、劇場の下足番、柳家金語楼と結婚まで約束していたが、金語楼が金をもらって縁談を破棄したことを聞き、失望していたのだ。
だが、それが身分違いの結婚をさせないために親が仕組んだウソだったことが判明し、望月優子は若いふたりの結婚を許す。
他愛無い話だが、若いふたりの周囲を固める役者陣がすごい。
伴淳三郎、森繁久袮、大泉滉、川田晴久。
それぞれの喜劇センスを発揮した演技合戦は見もの。
探偵役の伴淳は例のなまり全開のせりふで、ビールを飲むたびにつけひげが移動するサイレント映画をほうふつとさせるギャグを演じる。
ビアホールで勤める川田晴久は大ジョッキのビールを頭からかぶる。
大泉滉はサイダーしか飲めない男を演じる。
また、水の江滝子のステージも映画用に撮影されたものだが、ちらっと見られる。
ここでも、つけひげがあっちこっちに移動するギャグ。
つい先日見た「夢を召しませ」でも、松竹少女歌劇団のスターが出演していたし、「泉」の有馬稲子は宝塚出身。
1950年代はレビューのスターが映画でも大活躍していたんだなあ。
でも、今も天海祐希とか大活躍してるか。
映画の主題歌でもあり、作中何度も久保幸江が歌う「チャンバラ節」は、チャンバラのときのBGMに面白おかしく歌詞を乗せたもので、今なら小梅太夫とかギター侍のような演芸に通じるものがあると思った。それよりも、アホダラ経が近いけど、最近、あんまりアホダラ経聞かないしね。
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