突入せよ!「あさま山荘」事件、裸女と殺人迷路
2006年6月27日 映画
先日読んだスティグレールによると、動物とヒトとの決定的な違いは、「外在化」にあるという。
と、いうとむずかしそうだが、言わんとすることは、簡単。
外在化というのは、文字や映像で自分の経験を残しておくことができるってこと。
後世の人間は、遺伝的要素以外に、そうやって他人の経験を受け継ぐことができるのだ。
僕の場合は、自分の経験をこうやって日記に書くのは、他人にバトンタッチするためじゃなくて、単純に3日後の自分にバトンタッチしてるだけ、ってのが本当のところかな。
映画でも本でも、そのあらすじやデータだけなら、サイトや本でいくらでも調べることができる。でも、僕が見聞きした経験そのものは、自分で書いた文章からでないと甦ってこないのだ。それが本でも、映画でも。
原田眞人監督の「突入せよ!あさま山荘事件」を見た。2002年。
原作本は確か購入したが、未読。これもまた近いうちに読まねば。
1972年のあさま山荘事件を、警察側から描いている。
組織の問題をとりあげているのは、「踊る大捜査線」的。
警察、機動隊が人質救出と、たてこもる連合赤軍を捕らえる目的をいかに遂行していくかが中心で、どんな組織でもボンクラがいるし、やる気のない奴はいるし、責任を転嫁する奴はいるし、メンツを気にする奴がいるし、世間一般の野次馬的無理解もあるし、いろんな障害があるのだ。
仕事一途の人間そのものは面白味に欠けるが、なぜかそういう人は基盤がしっかりしているというか、自分がやっていることに疑いを持っていない強みが、余裕を生み出し、コミカルなムードをかもし出すようだ。
この映画では、主人公の役所広司が自分のやりたいようにやり、動かしたいように人やものを動かせれば、もっとスムーズに事件は終わっていただろう。
それがなかなかそうはいかないのは、まるでロールプレイングゲームで、「シャーリーの実を持ってきたら水門を開けてやる」とか条件言われるみたいなものだ、と思った。やりたいことをやるために、まず違うことを頑張らねばならない。
こんなゲーム風の解釈だと、連合赤軍と警察は、何にでも置き換え可能だ。
そこが、この映画では赤軍の思想が何であるかを説明せずに済んでいる理由だ。
目的を達成するためのゲームが演じられているのであって、正義はどちらにあるとか、哲学的な善悪なんて問われていない。
このあさま山荘事件のとき、僕は中学生だった。テレビも見ていたので、この事件に鉄球以外のアクションシーンなんてなかったのは承知の上だ。だから、映画が変にアクションシーんとか、死者を前にして復讐を誓う正義感昂揚の燃えるシーンなどを盛り込まなかったのは、とてもよかった。
人質を救出したのは、正義のヒーローでも何でもなく、プロフェッショナルだったのだ。
善悪は二の次だ。
小野田嘉幹監督の「裸女と殺人迷路」を見た。1959年。新東宝。
かたぎになった男が再び犯罪の片棒をかつぐ話。
その犯罪とは、プロ野球の球場の売り上げをごっそりいただこう、という強盗の計画だ。
話を持ちかけた清水将夫は、和田桂之助がまっとうな人間(トランペット吹き)になったことを知り、計画からはずす。
しかし、悪の丹波哲郎は、勤め先に和田の前科を暴露し、解雇させてしまう。これで、和田は計画に自ら参加するようになる。
和田の恋人は、水着喫茶リンデンで踊子をする三ツ矢歌子。これがコケティッシュで可愛い!
和田は球場の警備員になって中の様子をさぐり、強奪を成功させる。
その後は、警察の手を逃れるため、じっと潜伏する。
隠れていることに耐えられなくなったウスノロの御木本伸介がまずケツを割り、清水将夫の指揮で動くことに嫌気がさした丹波哲郎も外に出て逃走中に警察に射殺される。
和田は自首しようとする。自分から勝手に計画にからんできて、勝手に自首するなんて、中途半端な奴だ!そもそもこの恋人たち、他人の言葉にいいようにだまされて右往左往しすぎ。
警察に行く前に恋人の三ツ矢歌子に会おうとするが、その途中で警察に撃たれて負傷。
その騒ぎを見に行った清水も警察の目にとまり、逮捕。
結局、和田は巻き込まれただけだから2年もすればおつとめを終えて出てくるだろう、と警察に言われて、ほっとする三ツ矢歌子。
ボスの清水将夫が、まるでジャン・ギャバンみたいで、いい演技をしていた。
ところで、タイトルの「裸女と殺人迷路」だが、彼ら悪人たちが暮らすのが、まるで迷路のようなカスバで、警察のガサ入れがあっても、いろんな抜け道が用意してあるところなのだ。丹波哲郎は、そこで詳しい動機は不明だが女を殺している。それで、「殺人迷路」か。
その殺された女は、肉付きがよくて、化粧が濃い不細工な女。でも、一応下着姿だったので、「裸女」か。乳房や尻が見えるわけではない。
えっ、でもそれじゃ、球場の金を強奪する事件とか、犯罪に巻き込まれるトランペット吹きとか、要するに、本編とタイトルは、何の関係もない!
と、いうとむずかしそうだが、言わんとすることは、簡単。
外在化というのは、文字や映像で自分の経験を残しておくことができるってこと。
後世の人間は、遺伝的要素以外に、そうやって他人の経験を受け継ぐことができるのだ。
僕の場合は、自分の経験をこうやって日記に書くのは、他人にバトンタッチするためじゃなくて、単純に3日後の自分にバトンタッチしてるだけ、ってのが本当のところかな。
映画でも本でも、そのあらすじやデータだけなら、サイトや本でいくらでも調べることができる。でも、僕が見聞きした経験そのものは、自分で書いた文章からでないと甦ってこないのだ。それが本でも、映画でも。
原田眞人監督の「突入せよ!あさま山荘事件」を見た。2002年。
原作本は確か購入したが、未読。これもまた近いうちに読まねば。
1972年のあさま山荘事件を、警察側から描いている。
組織の問題をとりあげているのは、「踊る大捜査線」的。
警察、機動隊が人質救出と、たてこもる連合赤軍を捕らえる目的をいかに遂行していくかが中心で、どんな組織でもボンクラがいるし、やる気のない奴はいるし、責任を転嫁する奴はいるし、メンツを気にする奴がいるし、世間一般の野次馬的無理解もあるし、いろんな障害があるのだ。
仕事一途の人間そのものは面白味に欠けるが、なぜかそういう人は基盤がしっかりしているというか、自分がやっていることに疑いを持っていない強みが、余裕を生み出し、コミカルなムードをかもし出すようだ。
この映画では、主人公の役所広司が自分のやりたいようにやり、動かしたいように人やものを動かせれば、もっとスムーズに事件は終わっていただろう。
それがなかなかそうはいかないのは、まるでロールプレイングゲームで、「シャーリーの実を持ってきたら水門を開けてやる」とか条件言われるみたいなものだ、と思った。やりたいことをやるために、まず違うことを頑張らねばならない。
こんなゲーム風の解釈だと、連合赤軍と警察は、何にでも置き換え可能だ。
そこが、この映画では赤軍の思想が何であるかを説明せずに済んでいる理由だ。
目的を達成するためのゲームが演じられているのであって、正義はどちらにあるとか、哲学的な善悪なんて問われていない。
このあさま山荘事件のとき、僕は中学生だった。テレビも見ていたので、この事件に鉄球以外のアクションシーンなんてなかったのは承知の上だ。だから、映画が変にアクションシーんとか、死者を前にして復讐を誓う正義感昂揚の燃えるシーンなどを盛り込まなかったのは、とてもよかった。
人質を救出したのは、正義のヒーローでも何でもなく、プロフェッショナルだったのだ。
善悪は二の次だ。
小野田嘉幹監督の「裸女と殺人迷路」を見た。1959年。新東宝。
かたぎになった男が再び犯罪の片棒をかつぐ話。
その犯罪とは、プロ野球の球場の売り上げをごっそりいただこう、という強盗の計画だ。
話を持ちかけた清水将夫は、和田桂之助がまっとうな人間(トランペット吹き)になったことを知り、計画からはずす。
しかし、悪の丹波哲郎は、勤め先に和田の前科を暴露し、解雇させてしまう。これで、和田は計画に自ら参加するようになる。
和田の恋人は、水着喫茶リンデンで踊子をする三ツ矢歌子。これがコケティッシュで可愛い!
和田は球場の警備員になって中の様子をさぐり、強奪を成功させる。
その後は、警察の手を逃れるため、じっと潜伏する。
隠れていることに耐えられなくなったウスノロの御木本伸介がまずケツを割り、清水将夫の指揮で動くことに嫌気がさした丹波哲郎も外に出て逃走中に警察に射殺される。
和田は自首しようとする。自分から勝手に計画にからんできて、勝手に自首するなんて、中途半端な奴だ!そもそもこの恋人たち、他人の言葉にいいようにだまされて右往左往しすぎ。
警察に行く前に恋人の三ツ矢歌子に会おうとするが、その途中で警察に撃たれて負傷。
その騒ぎを見に行った清水も警察の目にとまり、逮捕。
結局、和田は巻き込まれただけだから2年もすればおつとめを終えて出てくるだろう、と警察に言われて、ほっとする三ツ矢歌子。
ボスの清水将夫が、まるでジャン・ギャバンみたいで、いい演技をしていた。
ところで、タイトルの「裸女と殺人迷路」だが、彼ら悪人たちが暮らすのが、まるで迷路のようなカスバで、警察のガサ入れがあっても、いろんな抜け道が用意してあるところなのだ。丹波哲郎は、そこで詳しい動機は不明だが女を殺している。それで、「殺人迷路」か。
その殺された女は、肉付きがよくて、化粧が濃い不細工な女。でも、一応下着姿だったので、「裸女」か。乳房や尻が見えるわけではない。
えっ、でもそれじゃ、球場の金を強奪する事件とか、犯罪に巻き込まれるトランペット吹きとか、要するに、本編とタイトルは、何の関係もない!
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