サミラ・マフマルバフ監督の「午後の五時」を見た。2003年。
先日見たハナ・マフマルバフの「ハナのアフガンノート」はこの映画撮影時のドキュメンタリーだった。
「午後の五時」を見ると、「ハナのアフガンノート」で見た市井の人々の言葉が、映画に生かされているのがよくわかる。
主人公の女性は、将来大統領になって、戦争のない世界を築こうと考えている。
しかし、アフガニスタンの現状は、女性に教育など必要ない、というような言辞が堂々とまかりとおっており、壁となってたちふさがっている。
雫の音をたよりにいつまでも水を探し求める主人公、破壊された建物に布1枚の間仕切りでいくつもの家族が勝手に住み着き、ストレスはたまる一方。
ラストでは沙漠のまんなかで、首都をめざす老人とすれちがう。老人は指導者に会って、苦境を訴えるとともに、応援のエールを送りたいのだ。だが、彼もロバも何日も飲み食いしておらず、疲れ果てて動けない。また、ラジオも持たぬ老人には、既に首都がアメリカの爆撃によって壊滅状態だという情報も入っていない。たどりついても焼け野原しかない。八方ふさがりだ。
この映画は3年前の作品だが、現在にいたるも、状況は改善されたとは言い難い。
普通に生活していては、アフガニスタンの現状なんて、これっぽっちも入ってこない。イラク戦争がはじまった頃には、もうアフガニスタンの話題なんて、古い話題になってしまった感がある。遺跡の爆破とかテロや虐殺でもないと、アフガニスタンは再び忘れ去られていくのか。
タイトルの「午後の五時」は、ガルシア・ロルカの詩「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀悼歌」からとられている。
死のイメージが強烈な詩で、映画でうつしだされたアフガニスタンの現状をあらわしている。一部引用しておこう。(訳:小海永二)
午後の五時。
午後のきっかり五時だった。
一人の子どもが白いシーツを持ってきた。
午後の五時。
石炭が一籠 もう用意され
午後の五時。
あとは死を 死を待つだけになっていた。
(中略)
午後の五時。
骨とフルートとが彼の耳の中で鳴り響く
午後の五時。
雄牛がすでに彼の額で鳴いていた
午後の五時。
部屋は末期の苦悶で虹色に光っていた
午後の五時。
すでに遠くに壊疽がやって来ている
午後の五時。
緑の腿のつけ根には百合のラッパが
午後の五時。
傷が太陽のように燃えていた
午後の五時。
そして 群衆が窓という窓を割っていた
午後の五時。
午後の五時。
アーイ なんという無惨な午後の五時!
あらゆる時計が五時だった!
午後の影も五時だった!
ロルカの詩には、「死」を題材にしたものが多い。
「別れ」という詩の冒頭はこんな風。
わたしが死んだら
露台は開けたままにしておいて
これ、いろいろ引用されてたりして、かなり有名。
ガルシア・ロルカは今年で没後70年になる。
ロルカが詩で描いた死と、スペイン内乱で38歳の命を失ったロルカ自身の死と、アフガニスタンの死のイメージを重ね合わせて、時計を見たら、まさに午後5時。
先日見たハナ・マフマルバフの「ハナのアフガンノート」はこの映画撮影時のドキュメンタリーだった。
「午後の五時」を見ると、「ハナのアフガンノート」で見た市井の人々の言葉が、映画に生かされているのがよくわかる。
主人公の女性は、将来大統領になって、戦争のない世界を築こうと考えている。
しかし、アフガニスタンの現状は、女性に教育など必要ない、というような言辞が堂々とまかりとおっており、壁となってたちふさがっている。
雫の音をたよりにいつまでも水を探し求める主人公、破壊された建物に布1枚の間仕切りでいくつもの家族が勝手に住み着き、ストレスはたまる一方。
ラストでは沙漠のまんなかで、首都をめざす老人とすれちがう。老人は指導者に会って、苦境を訴えるとともに、応援のエールを送りたいのだ。だが、彼もロバも何日も飲み食いしておらず、疲れ果てて動けない。また、ラジオも持たぬ老人には、既に首都がアメリカの爆撃によって壊滅状態だという情報も入っていない。たどりついても焼け野原しかない。八方ふさがりだ。
この映画は3年前の作品だが、現在にいたるも、状況は改善されたとは言い難い。
普通に生活していては、アフガニスタンの現状なんて、これっぽっちも入ってこない。イラク戦争がはじまった頃には、もうアフガニスタンの話題なんて、古い話題になってしまった感がある。遺跡の爆破とかテロや虐殺でもないと、アフガニスタンは再び忘れ去られていくのか。
タイトルの「午後の五時」は、ガルシア・ロルカの詩「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀悼歌」からとられている。
死のイメージが強烈な詩で、映画でうつしだされたアフガニスタンの現状をあらわしている。一部引用しておこう。(訳:小海永二)
午後の五時。
午後のきっかり五時だった。
一人の子どもが白いシーツを持ってきた。
午後の五時。
石炭が一籠 もう用意され
午後の五時。
あとは死を 死を待つだけになっていた。
(中略)
午後の五時。
骨とフルートとが彼の耳の中で鳴り響く
午後の五時。
雄牛がすでに彼の額で鳴いていた
午後の五時。
部屋は末期の苦悶で虹色に光っていた
午後の五時。
すでに遠くに壊疽がやって来ている
午後の五時。
緑の腿のつけ根には百合のラッパが
午後の五時。
傷が太陽のように燃えていた
午後の五時。
そして 群衆が窓という窓を割っていた
午後の五時。
午後の五時。
アーイ なんという無惨な午後の五時!
あらゆる時計が五時だった!
午後の影も五時だった!
ロルカの詩には、「死」を題材にしたものが多い。
「別れ」という詩の冒頭はこんな風。
わたしが死んだら
露台は開けたままにしておいて
これ、いろいろ引用されてたりして、かなり有名。
ガルシア・ロルカは今年で没後70年になる。
ロルカが詩で描いた死と、スペイン内乱で38歳の命を失ったロルカ自身の死と、アフガニスタンの死のイメージを重ね合わせて、時計を見たら、まさに午後5時。
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