毒蛇のお蘭

2006年6月7日 映画
加戸野五郎監督の「毒蛇のお蘭」を見た。1958年。大蔵貢製作の新東宝映画。
原作は谷井敬『剣豪列伝集』からとっている。
幕末。お嬢さんの小畑絹子は勤皇の志士、中村龍三郎に恋をするが、時代の動乱に2人の連絡は断たれる。
時は流れて、明治。小畑絹子は消息のわからぬ中村龍三郎を探しに東京へ行こうとする。
途中、箱根で、美形のワル、天知茂にさらわれる。
小畑絹子はレイプされ、どっぷり悪の世界に漬かり、背中一面に毒蛇の刺青を彫った「毒蛇のお蘭」と呼ばれる毒婦に変貌する。
スリ、誘惑、美人局、賭場荒らし、強盗、殺人。
中村龍三郎は警察署長になっており、毒蛇のお蘭をつかまえてみると、昔恋した小畑絹子だったことが判明。
罪をつぐなって、元の小畑絹子になって出てきなさい、いつまでも待っている。なんて言う。
ストーリーはよそみしていても把握できるほど単純なものだが、見どころは、悪の演技。
天知茂の水もしたたるいい男ぶりが、悪の魅力をひきたてる。
これがのちに悪をとりしまる側の役柄を主に演ずることになるとは。ただし、この映画からも「非情」はじゅうぶんに汲み取れる。
馬車に小畑絹子と女中を乗せ、山中にさしかかったところで正体をあらわすシーンには鳥肌がたった。切れ長の目にパラリとかかる前髪、冷酷な笑み。どうあがいても逃げようがない、と思わせるような、蛇を睨む蛙のような妖しい眼力を発揮している。
小畑絹子も、最初のなよなよしたお嬢さんと、賭場で背中の彫り物見せて「毒蛇のお蘭とは、あたしのことだよ!」と啖呵きったり、男をたぶらかす際のわる〜いニヤリ笑いなどのワル演技のギャップが凄い。
両者のワル演技は、やり過ぎとも見えるベタベタ演技なのだが、これが見ていて面白い。
何も知らずにそのシーンだけ見ても、だれが悪いのかが一目瞭然。
一方、善の側の中村龍三郎は、まるでのぞきからくりの押絵みたいな記号化された表情。
浮世絵を見ているみたいだった。仁丹を演じさせたらきっと右に出る者はいないだろう。
中村龍三郎は物語の主役ではなかった。毒蛇が自滅する横に、その世界とは無縁な仁丹が転がっていたような話だった。

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