パラドックス学園 開かれた密室
2006年4月14日 読書
鯨統一郎の『パラドックス学園〜開かれた密室』を読んだ。
ネタバレしているので、注意。
第1章 密室が生じると人が殺される
第2章 最も怪しい人物は犯人ではない
第3章 アリバイのある者が犯人である
第4章 名探偵は事件を防げない
最終章 だませばだますほど喜ばれる
ワンダー・ランド(人名!)は、パラレルワールドに入り込んでしまった。
その世界では、「パラパラ研」(パラドックス学園パラレル研究会)の部員として、ポー、ドイル、アガサ、ルブランという錚々たるミステリ作家たちが、普通の学生として存在していた。また、この世界にはミステリ小説というものが存在していないのだ。
「パラパラ研」の新入部員として、カーが入ってきた。また、フレデリックとマンフレッド(エラリー・クイーン)も入ってきた。
そんなある日、シェルターの中でカーが殺される。
完全な密室殺人だ。
犯人はいったい誰?
この小説もまた、たくらみに満ちた作品だった。
次から次へとよく、これだけアイディアが湧いて出るものだ。
パラパラ研の部員以外でも、ポール・アルテ学園長、ピーター・ラヴゼイ副学園長、スカーペッタ検屍官など、ミステリの読者なら誰でも知っている名前が出てきて、文士劇かと思わせる。(スカーペッタは主人公の名前だけど)
ページの隅にはパラパラ漫画も描かれている。
以前、鯨統一郎は、1冊にこれでもかと回文を織り込んだ長編も書いているが、この本は、いろんなパラドックスが書かれている。
有名なゼノンのパラドックスの紹介はもちろん、囚人のパラドックスも。
冒頭の作者からの注意書き「作品内で、この作品自体の犯人、トリックなどに言及していますので、本作を読了されたかただけこの作品をお読みください」もいきなりパラドックス。
カフェの名前が「キャッチャーライナー」だというのも、おかしい。
ファッションでは、明るい黒が好きというアガサ。
医学が発達すればするほど病気が増える。
「けっして」とはけっして口にするな。
成長するほど教えてもらうことが増えていくものだよ。
この小説はノンフィクションです。
などなど。
さあ、ここから、真相。
ワンダー・ランドは、今自分がいるのは書物の世界だと見抜く。
シェルターには誰も入れなかったはずだが、唯一入れた人物がいた。
読者だ。
カーは一人きりになったと思っていたが、あたかも神の視点で、読者はカーを見ていたのだ。
カーの死因は、板のようなもので何度も叩かれたせいだった。
凶器はすなわち、本のページ。
普通に本を読めばページをめくるスピードもゆっくりだが、この本にはパラパラ漫画がついている。パラパラ漫画で勢いよくページを一気に叩き付けられて、カーは死んでしまったのだ。
読者が犯人なのか!
作者は、さらに黒幕として「読者の親」を持ち出したりするが、これは「最も怪しい人物は犯人ではない」とルールをきめると、誰も犯人になりえない永久運動と同じで、マルチ犯人になってしまう。
僕が面白いと思った推理は、「クイーンは犯人ではない」とする推理のくだりだった。
シェルターは、2人同時に離れた場所にあるスイッチを押すことで、開く仕掛けになっている。フレデリックとマンフレッドはいつも一緒で、怪しいのかな、と思ったら、そうではなかった。フレデリックとマンフレッドはシャム双生児だったのだ。離れた場所のスイッチを同時に押すことはできない。厳密に言えば、3人共犯なら可能なのだが、そんなことはどうでもいい。ここがパラレルワールドだという設定を認識していたのに、実際のエラリー・クイーンがシャム双生児ではないからといって、この世界でもそうだとは言い切れなかったのだ。(これは、シェルターに設置されたカメラで、頭の人数と足の数で矛盾が出たことの解明につながっている)
これって、『十角館の殺人』でやられた〜!と思ったのと同じだ。
昨日読んだ『未来少女アリス』と同様の、「現実の自分」と「想像された自分」の境界がごっちゃになっているシチュエーションだったのも、興味深かった。
「著者のことば」として、「本当におもしろい本ほど壁に叩きつけたくなります」と書いてあるのも面白い。この手の作品に憤慨して、壁に叩き付けたくなる読者を予想しているのだ。僕は、全面的に支持する。面白かったもん!
ネタバレしているので、注意。
第1章 密室が生じると人が殺される
第2章 最も怪しい人物は犯人ではない
第3章 アリバイのある者が犯人である
第4章 名探偵は事件を防げない
最終章 だませばだますほど喜ばれる
ワンダー・ランド(人名!)は、パラレルワールドに入り込んでしまった。
その世界では、「パラパラ研」(パラドックス学園パラレル研究会)の部員として、ポー、ドイル、アガサ、ルブランという錚々たるミステリ作家たちが、普通の学生として存在していた。また、この世界にはミステリ小説というものが存在していないのだ。
「パラパラ研」の新入部員として、カーが入ってきた。また、フレデリックとマンフレッド(エラリー・クイーン)も入ってきた。
そんなある日、シェルターの中でカーが殺される。
完全な密室殺人だ。
犯人はいったい誰?
この小説もまた、たくらみに満ちた作品だった。
次から次へとよく、これだけアイディアが湧いて出るものだ。
パラパラ研の部員以外でも、ポール・アルテ学園長、ピーター・ラヴゼイ副学園長、スカーペッタ検屍官など、ミステリの読者なら誰でも知っている名前が出てきて、文士劇かと思わせる。(スカーペッタは主人公の名前だけど)
ページの隅にはパラパラ漫画も描かれている。
以前、鯨統一郎は、1冊にこれでもかと回文を織り込んだ長編も書いているが、この本は、いろんなパラドックスが書かれている。
有名なゼノンのパラドックスの紹介はもちろん、囚人のパラドックスも。
冒頭の作者からの注意書き「作品内で、この作品自体の犯人、トリックなどに言及していますので、本作を読了されたかただけこの作品をお読みください」もいきなりパラドックス。
カフェの名前が「キャッチャーライナー」だというのも、おかしい。
ファッションでは、明るい黒が好きというアガサ。
医学が発達すればするほど病気が増える。
「けっして」とはけっして口にするな。
成長するほど教えてもらうことが増えていくものだよ。
この小説はノンフィクションです。
などなど。
さあ、ここから、真相。
ワンダー・ランドは、今自分がいるのは書物の世界だと見抜く。
シェルターには誰も入れなかったはずだが、唯一入れた人物がいた。
読者だ。
カーは一人きりになったと思っていたが、あたかも神の視点で、読者はカーを見ていたのだ。
カーの死因は、板のようなもので何度も叩かれたせいだった。
凶器はすなわち、本のページ。
普通に本を読めばページをめくるスピードもゆっくりだが、この本にはパラパラ漫画がついている。パラパラ漫画で勢いよくページを一気に叩き付けられて、カーは死んでしまったのだ。
読者が犯人なのか!
作者は、さらに黒幕として「読者の親」を持ち出したりするが、これは「最も怪しい人物は犯人ではない」とルールをきめると、誰も犯人になりえない永久運動と同じで、マルチ犯人になってしまう。
僕が面白いと思った推理は、「クイーンは犯人ではない」とする推理のくだりだった。
シェルターは、2人同時に離れた場所にあるスイッチを押すことで、開く仕掛けになっている。フレデリックとマンフレッドはいつも一緒で、怪しいのかな、と思ったら、そうではなかった。フレデリックとマンフレッドはシャム双生児だったのだ。離れた場所のスイッチを同時に押すことはできない。厳密に言えば、3人共犯なら可能なのだが、そんなことはどうでもいい。ここがパラレルワールドだという設定を認識していたのに、実際のエラリー・クイーンがシャム双生児ではないからといって、この世界でもそうだとは言い切れなかったのだ。(これは、シェルターに設置されたカメラで、頭の人数と足の数で矛盾が出たことの解明につながっている)
これって、『十角館の殺人』でやられた〜!と思ったのと同じだ。
昨日読んだ『未来少女アリス』と同様の、「現実の自分」と「想像された自分」の境界がごっちゃになっているシチュエーションだったのも、興味深かった。
「著者のことば」として、「本当におもしろい本ほど壁に叩きつけたくなります」と書いてあるのも面白い。この手の作品に憤慨して、壁に叩き付けたくなる読者を予想しているのだ。僕は、全面的に支持する。面白かったもん!
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