ラッシュアワー2、メダリオン、HINOKIO、アイス・エイジ
2006年4月10日 映画
今日は仕事もないし、録画しておいた映画などを見て過ごした。
「ラッシュアワー2」(2001)
ジャッキー・チェン、クリス・タッカー主演。ブレット・ラトナー監督。
チャン・ツィイーがクールな悪役で出て来る。(「初恋のきた道」「グリーン・デスティニー」「ヒーローズ」)
大ボスはジョン・ローン。(「アイスマン」「ラスト・ジゴロ」「ラストエンペラー」「モダーンズ」「Mバタフライ」)
香港からラスベガスと、アクション三昧。
ジャッキーが車がビュンビュン行き交う車道をタタタッと無造作に走って渡るシーンは、目立たないけど、すごい技だと思う。「クーロンズアイ」では車にドーンと衝突するけど、何事もなかったように、走り出すシーンもあった。当り屋は、こんなジャッキーと同様の技術を持っているのだろうか。
ところで、クリス・タッカーって、今、何をしているんだろう。この「ラッシュアワー2」以降、映画に出たという話題も特に聞いていないし。
この映画では、コメディ部分をクリス・タッカーが担当しているので、ジャッキーは真面目な性格設定。たまには、こういうのもいいか、と思うけど、やっぱり、ジャッキーのコミカルな演技をもっと見たいなあ、と思った。
「メダリオン」(2003)
ジャッキー・チェン主演、ゴードン・チャン監督。
SFXを使って、ジャッキーアクションをドラゴンボールかと思わせる超絶技巧に仕立て上げている。
メダルの力で、超人になっちゃうのだ。墜落して地面に激突しても、「いてて」程度で回復してしまう。
相棒のリー・エヴァンス(柳沢慎吾似)のコミカル演技は、頑張っているのだが、直前にクリス・タッカーの陽性の演技を見ていたので、地味に見えた。
ただ、ラッシュアワー2とは違って、リー・エヴァンスがお笑いを担当していても、ジャッキーのコミカル演技は健在だった。
ジャッキー映画のアクションにはアイディア満載なので、見ていて本当に面白い。
このとき、ジャッキーは50歳。
いいかげん若い世代でジャッキーを継ぐ人材があらわれればいいのに、と思わないでもない。体術だけを見るとジャッキー以上の人はもちろんいるのだが、サーヴィス精神とか、人なつっこさのようなアイドル性を持っている人を思いつかない。
なぜかジャッキー・チェンの映画をよく放送している時期だったので、自分の中で勝手にジャッキー特集と決めて見ようとしたが、もったいなくて、今日は2本だけ。
ジャッキー映画としては、いろんな要素が加わっていて、純正ジャッキーアクション映画とは言えない2本だが、21世紀になってもジャッキーがアクションを引退できないところに、孤高の天才の孤独を見る。
でもそんなこと、映画見ているあいだはちっとも考えずにすむ肩の凝らない楽しい映画だった。2本ともにね。
「HINOKIO」(2005)
秋山貴彦監督。
小学校に遠隔操作のロボットが登校して、授業とか受ける。
素材の一部に檜を使っているので、ついたあだ名が「ヒノキオ」
主人公のひきこもり少年は本郷奏多。少年の父親は中村雅俊、仕事のアシスタントに牧瀬里穂。少年が憧れる少女は堀北真希。
ニコモの小林涼子が嫉妬の炎を燃やす憎まれ役。
少年を外に引っ張り出す原動力になるヒロインは多部未華子。彼女は最初は男かと間違うような恰好だが、ラスト、中学に進学すると制服を着てすっかり少女になる。その変貌ぶりたるや目をみはるほどで、つくづく、人間、ファッションで様変わりするんだな、と思い知った。
ストーリーは意外と仕掛けがあって、ゲーム世界と現実がリンクしているミステリ的設定。ゲームで起きたことが現実になる現象を逆手にとって、現実でゲームの中のお約束を実行して、魔法的解決をはかろうとする。これはワクワクした。
気になったのは、クラスメイトだったはずのヒノキオが、ヤキモチを焼いたニコモの告発によって、一気に仲間はずれにされるシーン。ニコモはヒノキオが軍事用ロボットだと教室で暴露し、ヒノキオを責める。情報元はネット。
ネットで得た情報を鵜のみにして、ころりと態度を豹変させてしまう子供たちの姿が描かれているのだ。
人間には各自、脳がついているのに、ネットの情報など、あてにならない外部に判断までもゆだねてしまっている。
こいつはどうしたわけだ。
普通、たとえネットで何を言っていようと、本がどう書いていようと、他人が何を思っていようと、判断するのは自分自身ではないのか。
そのとおり。子供はその多くの判断を自分自身で下す環境におかれていないのが現状だ。そして、大人になって、自分で何でも判断してかまわない身分になっても、判断を他にゆだねようとする者が多い。それを大人である証しのように勘違いしているものまでいるので、ことは厄介だ。
突破口はどこに?
「アイス・エイジ」(2002)
クリス・ウェッジ監督の氷河期アニメ。
山寺宏一、太田光、竹中直人が吹き替え版の声をあてている。
人間のこどもを拾ってしまったナマケモノ、サーベルタイガー、マンモスが人間のところに届ける話。(ナマケモノ、サーベルタイガー、マンモスの最初の2文字を拾っていくと、「ナマ・サー・マン」になる。映画見てる最中、彼らを「ユマ・サーマン」と頭の中では変換していた)
最初、善意からなされた行動ではなく、自分の身を守るため、とか、こどもを奪って親分に届けるため、など動機は不純なのだが、共に行動するうちに仲間意識もわいてきて、こどもに対する愛情も湧いて来る。その過程はおしつけの偽善らしさがなくて好感が持てた。
これが、動物と人間を逆転させても成立する話なのかどうか、考えてみた。
氷河期を迎えて、動物たちは一所懸命に生きようとしている。
そんな切羽詰まったときに、人間のこどもは無力すぎる。
動物たちにとって、そんな、群れを離れた幼児は、貴重な餌であるはずだ。
もしも、氷河期を迎える人間たちの中に、鶏がまぎれこんだとしよう。
人間は迷わずに、食糧として鶏を見るはずだ。
反対の立場からは成立しないな、と思った。
マンモスやサーベルタイガーなど、絶滅した種の生物が主人公だというのも面白いな、と思った。そんなお人好しなことしているから、絶滅したんだ、とツッコンだ。
映画のみどころは、スクラットが木の実をどこかに隠そうとするところ。ストーリーとは何の関係もないけど、そこに一番アニメの面白さが出ていたように思う。
スクラット以外は、キャラクターとして、イマイチ面白味に欠けるように思えた。
全部まとめて凍りついてしまっても、何とも感じないくらい。
「ラッシュアワー2」(2001)
ジャッキー・チェン、クリス・タッカー主演。ブレット・ラトナー監督。
チャン・ツィイーがクールな悪役で出て来る。(「初恋のきた道」「グリーン・デスティニー」「ヒーローズ」)
大ボスはジョン・ローン。(「アイスマン」「ラスト・ジゴロ」「ラストエンペラー」「モダーンズ」「Mバタフライ」)
香港からラスベガスと、アクション三昧。
ジャッキーが車がビュンビュン行き交う車道をタタタッと無造作に走って渡るシーンは、目立たないけど、すごい技だと思う。「クーロンズアイ」では車にドーンと衝突するけど、何事もなかったように、走り出すシーンもあった。当り屋は、こんなジャッキーと同様の技術を持っているのだろうか。
ところで、クリス・タッカーって、今、何をしているんだろう。この「ラッシュアワー2」以降、映画に出たという話題も特に聞いていないし。
この映画では、コメディ部分をクリス・タッカーが担当しているので、ジャッキーは真面目な性格設定。たまには、こういうのもいいか、と思うけど、やっぱり、ジャッキーのコミカルな演技をもっと見たいなあ、と思った。
「メダリオン」(2003)
ジャッキー・チェン主演、ゴードン・チャン監督。
SFXを使って、ジャッキーアクションをドラゴンボールかと思わせる超絶技巧に仕立て上げている。
メダルの力で、超人になっちゃうのだ。墜落して地面に激突しても、「いてて」程度で回復してしまう。
相棒のリー・エヴァンス(柳沢慎吾似)のコミカル演技は、頑張っているのだが、直前にクリス・タッカーの陽性の演技を見ていたので、地味に見えた。
ただ、ラッシュアワー2とは違って、リー・エヴァンスがお笑いを担当していても、ジャッキーのコミカル演技は健在だった。
ジャッキー映画のアクションにはアイディア満載なので、見ていて本当に面白い。
このとき、ジャッキーは50歳。
いいかげん若い世代でジャッキーを継ぐ人材があらわれればいいのに、と思わないでもない。体術だけを見るとジャッキー以上の人はもちろんいるのだが、サーヴィス精神とか、人なつっこさのようなアイドル性を持っている人を思いつかない。
なぜかジャッキー・チェンの映画をよく放送している時期だったので、自分の中で勝手にジャッキー特集と決めて見ようとしたが、もったいなくて、今日は2本だけ。
ジャッキー映画としては、いろんな要素が加わっていて、純正ジャッキーアクション映画とは言えない2本だが、21世紀になってもジャッキーがアクションを引退できないところに、孤高の天才の孤独を見る。
でもそんなこと、映画見ているあいだはちっとも考えずにすむ肩の凝らない楽しい映画だった。2本ともにね。
「HINOKIO」(2005)
秋山貴彦監督。
小学校に遠隔操作のロボットが登校して、授業とか受ける。
素材の一部に檜を使っているので、ついたあだ名が「ヒノキオ」
主人公のひきこもり少年は本郷奏多。少年の父親は中村雅俊、仕事のアシスタントに牧瀬里穂。少年が憧れる少女は堀北真希。
ニコモの小林涼子が嫉妬の炎を燃やす憎まれ役。
少年を外に引っ張り出す原動力になるヒロインは多部未華子。彼女は最初は男かと間違うような恰好だが、ラスト、中学に進学すると制服を着てすっかり少女になる。その変貌ぶりたるや目をみはるほどで、つくづく、人間、ファッションで様変わりするんだな、と思い知った。
ストーリーは意外と仕掛けがあって、ゲーム世界と現実がリンクしているミステリ的設定。ゲームで起きたことが現実になる現象を逆手にとって、現実でゲームの中のお約束を実行して、魔法的解決をはかろうとする。これはワクワクした。
気になったのは、クラスメイトだったはずのヒノキオが、ヤキモチを焼いたニコモの告発によって、一気に仲間はずれにされるシーン。ニコモはヒノキオが軍事用ロボットだと教室で暴露し、ヒノキオを責める。情報元はネット。
ネットで得た情報を鵜のみにして、ころりと態度を豹変させてしまう子供たちの姿が描かれているのだ。
人間には各自、脳がついているのに、ネットの情報など、あてにならない外部に判断までもゆだねてしまっている。
こいつはどうしたわけだ。
普通、たとえネットで何を言っていようと、本がどう書いていようと、他人が何を思っていようと、判断するのは自分自身ではないのか。
そのとおり。子供はその多くの判断を自分自身で下す環境におかれていないのが現状だ。そして、大人になって、自分で何でも判断してかまわない身分になっても、判断を他にゆだねようとする者が多い。それを大人である証しのように勘違いしているものまでいるので、ことは厄介だ。
突破口はどこに?
「アイス・エイジ」(2002)
クリス・ウェッジ監督の氷河期アニメ。
山寺宏一、太田光、竹中直人が吹き替え版の声をあてている。
人間のこどもを拾ってしまったナマケモノ、サーベルタイガー、マンモスが人間のところに届ける話。(ナマケモノ、サーベルタイガー、マンモスの最初の2文字を拾っていくと、「ナマ・サー・マン」になる。映画見てる最中、彼らを「ユマ・サーマン」と頭の中では変換していた)
最初、善意からなされた行動ではなく、自分の身を守るため、とか、こどもを奪って親分に届けるため、など動機は不純なのだが、共に行動するうちに仲間意識もわいてきて、こどもに対する愛情も湧いて来る。その過程はおしつけの偽善らしさがなくて好感が持てた。
これが、動物と人間を逆転させても成立する話なのかどうか、考えてみた。
氷河期を迎えて、動物たちは一所懸命に生きようとしている。
そんな切羽詰まったときに、人間のこどもは無力すぎる。
動物たちにとって、そんな、群れを離れた幼児は、貴重な餌であるはずだ。
もしも、氷河期を迎える人間たちの中に、鶏がまぎれこんだとしよう。
人間は迷わずに、食糧として鶏を見るはずだ。
反対の立場からは成立しないな、と思った。
マンモスやサーベルタイガーなど、絶滅した種の生物が主人公だというのも面白いな、と思った。そんなお人好しなことしているから、絶滅したんだ、とツッコンだ。
映画のみどころは、スクラットが木の実をどこかに隠そうとするところ。ストーリーとは何の関係もないけど、そこに一番アニメの面白さが出ていたように思う。
スクラット以外は、キャラクターとして、イマイチ面白味に欠けるように思えた。
全部まとめて凍りついてしまっても、何とも感じないくらい。
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