モップの精は深夜に現れる
2006年3月29日 読書
近藤史恵の『モップの精は深夜に現れる』を読んだ。
『天使はモップを持って』に続く、清掃作業員キリコのミステリー連作集。
以下、各作品を思い出すためのインデックス。
ネタバレなので、要注意。
「悪い芽」
更衣室においてある『超初心者のためのインターネット』
羽振りのいい新入社員
裏紙利用推奨
以上の3つの要因は何を意味しているのか。
上司が、社外秘情報を持ち出すやすい環境をわざとととのえて、その誘惑に乗る人間をつきとめ、早いうちに処分しようとしていたのだ。
「鍵のない扉」
被害者が『葉隠』に関する本を持ち帰ったと思わせたかった犯人。
ところが、それは『忍者と忍術の本』だった。
『葉隠』のことをよく知っている者、全然知らなくていちいち調べなければならない者は除外され、半可通の人間が犯人だとわかる。
「オーバー・ザ・レインボウ」
モデル事務所での嫌がらせの犯人は、マネージャー。
マネージャーがみんなにすすめた歯科医がとんでもない薮で、その無茶苦茶な治療でモデルたちは体調を崩す。
今さら自分がすすめた歯科医のせいだと言えず、歯科医に通っているモデルをそれとなくやめさせるように仕向けた。
「きみに会いたいと思うこと」
キリコが仕事を休み、夫と母親を置いて1ヶ月の旅に出た。
いったいどういう目的で?
母親のかわりに「舞踏会の手帖」よろしく、昔の知人をたずねてまわっていたのだ。
以上、ミステリーとしてのネタを書いておいたが、この連作集のよさは、ミステリーとしてのこういうネタ以外にある。
仕事するにあたってのストレスや、夫婦のあいだの愛情など、日常のもやもやを、解消させてくれるのが、この本のよさだと思う。
仕事や家事のストレスを描く表現も、みごとのひとことで、「だから、普通の会社勤めはいやなんだ」とか「家事に縛られるのはいや」と実感もって思えるほどだ。
それを「いや」のレベルで終わらせず、出口はこちら、と示してくれる。
近藤史恵の本には、こういう「あっ、そういう考え方があるんだ」と、日常の鬱屈をすっと軽くしてくれるようなセラピー的効果がある。
たとえば
「どうせさ。わたしレベルのモデルなんて、いくらでも代わりがいるの。わたしがいなくても、別の子で埋められる穴なんだもの。頑張ったって仕方ないよ」
こんな愚痴に、キリコはこう答える。
「そりゃあ、そうでしょ。どんな仕事をしてたって、代わりの人はいるよ。だって、いなくちゃ困るじゃない。自分が本当に大変で休まなければならなくなったとき、だれも代わってくれないなんて困るよ。本当に困る。代わりがいないのは、友達とか家族とか恋人とか、それだけでいいじゃない」
こんなことを即答してくれる友人を持った人は、本当に幸せだろう。
愚痴に対して、一緒に泣いたり悔しがったりして、愚痴る人間のものの見方をちっとも変えない友人は、それが大多数なのだろうが、何の解決ももたらさない。その場の気は晴れても、まさに、その場かぎりだ。
『天使はモップを持って』に続く、清掃作業員キリコのミステリー連作集。
以下、各作品を思い出すためのインデックス。
ネタバレなので、要注意。
「悪い芽」
更衣室においてある『超初心者のためのインターネット』
羽振りのいい新入社員
裏紙利用推奨
以上の3つの要因は何を意味しているのか。
上司が、社外秘情報を持ち出すやすい環境をわざとととのえて、その誘惑に乗る人間をつきとめ、早いうちに処分しようとしていたのだ。
「鍵のない扉」
被害者が『葉隠』に関する本を持ち帰ったと思わせたかった犯人。
ところが、それは『忍者と忍術の本』だった。
『葉隠』のことをよく知っている者、全然知らなくていちいち調べなければならない者は除外され、半可通の人間が犯人だとわかる。
「オーバー・ザ・レインボウ」
モデル事務所での嫌がらせの犯人は、マネージャー。
マネージャーがみんなにすすめた歯科医がとんでもない薮で、その無茶苦茶な治療でモデルたちは体調を崩す。
今さら自分がすすめた歯科医のせいだと言えず、歯科医に通っているモデルをそれとなくやめさせるように仕向けた。
「きみに会いたいと思うこと」
キリコが仕事を休み、夫と母親を置いて1ヶ月の旅に出た。
いったいどういう目的で?
母親のかわりに「舞踏会の手帖」よろしく、昔の知人をたずねてまわっていたのだ。
以上、ミステリーとしてのネタを書いておいたが、この連作集のよさは、ミステリーとしてのこういうネタ以外にある。
仕事するにあたってのストレスや、夫婦のあいだの愛情など、日常のもやもやを、解消させてくれるのが、この本のよさだと思う。
仕事や家事のストレスを描く表現も、みごとのひとことで、「だから、普通の会社勤めはいやなんだ」とか「家事に縛られるのはいや」と実感もって思えるほどだ。
それを「いや」のレベルで終わらせず、出口はこちら、と示してくれる。
近藤史恵の本には、こういう「あっ、そういう考え方があるんだ」と、日常の鬱屈をすっと軽くしてくれるようなセラピー的効果がある。
たとえば
「どうせさ。わたしレベルのモデルなんて、いくらでも代わりがいるの。わたしがいなくても、別の子で埋められる穴なんだもの。頑張ったって仕方ないよ」
こんな愚痴に、キリコはこう答える。
「そりゃあ、そうでしょ。どんな仕事をしてたって、代わりの人はいるよ。だって、いなくちゃ困るじゃない。自分が本当に大変で休まなければならなくなったとき、だれも代わってくれないなんて困るよ。本当に困る。代わりがいないのは、友達とか家族とか恋人とか、それだけでいいじゃない」
こんなことを即答してくれる友人を持った人は、本当に幸せだろう。
愚痴に対して、一緒に泣いたり悔しがったりして、愚痴る人間のものの見方をちっとも変えない友人は、それが大多数なのだろうが、何の解決ももたらさない。その場の気は晴れても、まさに、その場かぎりだ。
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