アゴタ・クリストフの自伝『文盲』を読んだ。
アゴタ・クリストフは『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』の三部作で衝撃を与えた作家。『悪童日記』がとても面白い本で、何の気なしに、次の『ふたりの証拠』を読んだときの「えっ!何これ!」感は今でもありありと思い出せる。高木彬光の『帝国の死角』を読んだときに受けた衝撃を遥かにこえて、しかも面白かったのだから、ぶったまげたのだ。
アゴタ・クリストフは言葉の魔術師だ、くらいに思っていたのに、この自伝のタイトルはどうだ。『文盲』
アゴタ・クリストフはハンガリー生まれの作家だが、21才のときに起こったハンガリー動乱で亡命。外国語(フランス語)を一からマスターしなおして、作家になっているのだ。
この『文盲』では幼いときに、なんでもかんでも読まずにはいられない本の虫ぶりが書かれている(本人曰く「病気」)。同時に、自分で物語を編み、書くことの悦びも。
作家になるには、とにかく書き続けることだと言う信念は、この作家の口から出ると血が吹き出るかのようなリアリティーを持つ。
アゴタ・クリストフは、ハンガリー語が母語なのだが、長じてロシア語を押し付けられ、さらにナチスによって押し付けられたドイツ語を「敵語」だと感じる。今では、フランス語も「敵語」だと書いている。
幼いときからその言語の中で育っていない者は、卑近な例では外国人タレントの日本語習熟度でもわかるように、最終的に壁がありそうに思える。
アゴタ・クリストフの場合、何かものを書くときに辞書を使っただけで、その言語に対しての文盲性を感じてしまうほどだから、よけいに鋭く敵語の感覚が襲ってくるのだろう。
それでもアゴタ・クリストフはフランス語をなんとか血肉にしてみせる、と果敢に挑み続ける。
どんなに周囲の人間が、「あなたはフランス語がうまい」「フランス人と遜色ない」と言っても、本人は「わたしは文盲です」と言う。
ここでフランス語に対して「敵語」という言葉をあえて使っているのは、ただ単に外国語だからという意味ではなく、もっと深刻な理由だと書いている。
「フランス語が母語をじわじわと殺しつつある」からだ。
言語を奪われ、言語を押し付けられることに対する傷が、文盲の言葉になってあらわれている。
大阪人が東京に行ったり、人前でトークするときなどに、共通語を使っているのを見ると、悲惨な思いにとらわれる。
彼は文盲なのだ。
アゴタ・クリストフは政治の動きによって外部から強制された文盲だが、自主規制による文盲だってある。大阪人の例などは典型的だろう。奴隷の文盲と呼んでもいい。
いっぱい聞けていっぱいしゃべれるのが価値であるかのような錯覚を持っている者がいる。
その外国語は、強いられて使っているのではないのか。
外国語を達者に使えるようになっても、文盲を自称することができるのか。
そう。彼らの母語はもう自殺しているのである。

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