水木しげるの『トペトロとの50年』を読んだ。
水木しげるは戦争中にラバウルでトペトロという少年と出会う。
この本は、復員後に入学した武蔵野美術学校時代のスケッチや、ラバウル再訪でトペトロと再会してからの現地での写真などをふんだんに盛り込んだ、一種のアルバムになっている。
戦争が起ころうが世の中がどう変わろうが、水木しげるの生き方の飄々たる部分は保たれる。
子供時代は「毎日遊びの日々だった。そういう生活が一生続くだろうと思っていた」と語り、戦争中、爆弾で片腕をなくし、ラバウルの村に入ってからも「人よりも一秒でもよけい寝ていたいという努力の現れで、昼間もあまり作業をやらず、現地人(トライ族)の家に入りびたっていた」なんてぬけぬけと書いている。
日本に戻ってからも南方に行きたい思いは募り、たびたびトペトロの村に赴くことになる。
南方の土人ののんびりした暮らしに、神秘的な体験。
「防空壕にはお化けが繁殖して困る」と漏らすトペトロ。
ドクドク(カミ)の踊りでトランス状態に入る土人。
食べ物を受け付けなくなる呪いを受けて死んだトペトロの妹。
自給自足で自由な時間のある土人の生活は、ある者にとっては不満だらけの生活でもありうる。(貧乏、不便、粗食等々)
僕などはもはや都会を離れて生活することなんて考えられない。24時間眠らない町でないとつまらなく感じてしまう。逆に言えば、だからこそ、リセットするにはこういう南方の生活はとびきりの良薬になるはずなのだ。
また、この本を読むと、生きて死ぬことを自然なものとして受け止めることができる。
トペトロは水木しげるとの50年の交友のあと、急死してしまう。
親しかった土人の1人は気が狂ってしまい、水木しげるを認識することができない。
さらには、噴火によって、ラバウルの村もトライ族も壊滅してしまう。
でも、水木しげるはこう思うのだ。
「トペトロとの五十年は奇妙な楽しみに満ちた五十年だった」
「すべてが消えてしまったところへ、もう一度行ってみようと思っている」
ノスタルジーは猛毒だ。
昔のことを思い出すと、気が狂いそうになる。
ところが水木しげるが記録した50年は、僕の人生よりも長いのだ。
こうした毒や狂気を受けいれることができる水木しげるは、妖怪そのものなんだな、とあらためて感じさせられた。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

日記内を検索