坂本実十里展、ハインツ・ホリガー来日公演
2006年2月19日 趣味
図書館に向かう道すがら、LADS GALLERYで開催中の「坂本実十里展」にふらっと立ち寄った。この人については何も知らず、外から覗き込んだ作品が若さを感じさせたので、中に入ってみようという気にさせたのだ。
彩色された雲形の生物めいた作品。
その形はパレットにも見えるし、キンダーサプライズの木製玩具にも見える。
この不定形の平面の生き物たちは、杉浦茂の描く怪物たちに影響を受けているようだ。
こういうグニャグニャなものは見ているだけで気持いいのだが、気になるところがあった。
彩色が、木製玩具を思わせる、ということは、プラスチックなキッチュな物ではなかった、ということだ。
絵具の手触りがちゃんとあり、そして、その彩色は、先に書道めいた漢字が書いてある板の上から塗られてある。
坂本実十里さんの年齢をまったく知らないので、断言できないのが残念なのだが、もしも還暦を越えたお年寄りの作品だとしたら、驚嘆すべき斬新な作品だと手放しでほめたい。
でも、僕よりも年下であれば、思いきりの悪い作品だという印象が残る。
一見ポップな造形の下地には伝統的な芸術が隠されている、という趣向は、あざといのだ。
これなら、中に何が入っているやら全く見えないデュシャンの境地にも届いていない。
また、下地と作品とのギャップで効果をあげたいのなら、もっと作品はポップでなくてはならないし、下地に選ぶのは日本画壇の大御所作品の切り取りくらいの思いきりがないと、心がふるえない。せめてモナリザを雲形に切り取って作品にするくらいでないと、笑いにつながらない。僕はギャラリーに笑うために行くのである。
とか言いながら、展示されていた作品はじゅうぶんに面白かったので、なぜ、下地をああいう板に求めたのだろう、と、中途半端さをよけいに惜しく感じるのだろう。
襖の下張りに隠されていた歴史を読み取った網野善彦みたいに、表の作品を凌駕するだけの下地を用意してくれたら、と思う。
でも、ひょっとしたら、その下地、僕が無知なだけで、実はめちゃくちゃ凄い作品の切り取りだったかもしれない。空海の書、とか。ヒャー。
今日はせっかく午後6時までに帰宅したのに、FMの「現代の音楽」はお休みで、モーツァルト特集だった。
モーツァルトを聞いていてもよかったのだが、あいにくと僕にはそんな高尚な趣味はない。
昔に録音した現代音楽のテープを見つけてきて、聞いた。
聞いたのは、ハインツ・ホリガー6度めの来日時のコンサート。1979年だ。
ホリガーはドイツのオ−ボエ奏者、作曲家。
ピアノ、ハープシコードは高橋アキ。
シュトックハウゼンの「オーボエ・ソロのためのフロイントシャフト」
リゲティの「ハープシコードのためのコンティヌム」
ホリガ−自身の作曲による「スタディ」
篠原眞の「オブセッション」
アンコールとして、
シャルル・ケクランの「イングリッシュ・ホルンとピアノのための作品」
フランク・マルタンの「小さな哀歌」
タイトルが正しいのかどうか不明。
それにしても、このラインナップ、すごいなあ、と、思った。
さらにごそごそテープを探して、
武満徹の「ユーカリプス2」(ここでもホリガーのオーボエが)
吉松隆の「ドーリアン」(これ、打楽器スゲー!)
田中賢の「オルフェの歌」などを聞いた。
ふだん音楽とは縁のない生活してるくせに、こんなときだけやたらいっぱい聞くのだ。
毎日の習慣として音楽を聞くようにしたいものだ。
彩色された雲形の生物めいた作品。
その形はパレットにも見えるし、キンダーサプライズの木製玩具にも見える。
この不定形の平面の生き物たちは、杉浦茂の描く怪物たちに影響を受けているようだ。
こういうグニャグニャなものは見ているだけで気持いいのだが、気になるところがあった。
彩色が、木製玩具を思わせる、ということは、プラスチックなキッチュな物ではなかった、ということだ。
絵具の手触りがちゃんとあり、そして、その彩色は、先に書道めいた漢字が書いてある板の上から塗られてある。
坂本実十里さんの年齢をまったく知らないので、断言できないのが残念なのだが、もしも還暦を越えたお年寄りの作品だとしたら、驚嘆すべき斬新な作品だと手放しでほめたい。
でも、僕よりも年下であれば、思いきりの悪い作品だという印象が残る。
一見ポップな造形の下地には伝統的な芸術が隠されている、という趣向は、あざといのだ。
これなら、中に何が入っているやら全く見えないデュシャンの境地にも届いていない。
また、下地と作品とのギャップで効果をあげたいのなら、もっと作品はポップでなくてはならないし、下地に選ぶのは日本画壇の大御所作品の切り取りくらいの思いきりがないと、心がふるえない。せめてモナリザを雲形に切り取って作品にするくらいでないと、笑いにつながらない。僕はギャラリーに笑うために行くのである。
とか言いながら、展示されていた作品はじゅうぶんに面白かったので、なぜ、下地をああいう板に求めたのだろう、と、中途半端さをよけいに惜しく感じるのだろう。
襖の下張りに隠されていた歴史を読み取った網野善彦みたいに、表の作品を凌駕するだけの下地を用意してくれたら、と思う。
でも、ひょっとしたら、その下地、僕が無知なだけで、実はめちゃくちゃ凄い作品の切り取りだったかもしれない。空海の書、とか。ヒャー。
今日はせっかく午後6時までに帰宅したのに、FMの「現代の音楽」はお休みで、モーツァルト特集だった。
モーツァルトを聞いていてもよかったのだが、あいにくと僕にはそんな高尚な趣味はない。
昔に録音した現代音楽のテープを見つけてきて、聞いた。
聞いたのは、ハインツ・ホリガー6度めの来日時のコンサート。1979年だ。
ホリガーはドイツのオ−ボエ奏者、作曲家。
ピアノ、ハープシコードは高橋アキ。
シュトックハウゼンの「オーボエ・ソロのためのフロイントシャフト」
リゲティの「ハープシコードのためのコンティヌム」
ホリガ−自身の作曲による「スタディ」
篠原眞の「オブセッション」
アンコールとして、
シャルル・ケクランの「イングリッシュ・ホルンとピアノのための作品」
フランク・マルタンの「小さな哀歌」
タイトルが正しいのかどうか不明。
それにしても、このラインナップ、すごいなあ、と、思った。
さらにごそごそテープを探して、
武満徹の「ユーカリプス2」(ここでもホリガーのオーボエが)
吉松隆の「ドーリアン」(これ、打楽器スゲー!)
田中賢の「オルフェの歌」などを聞いた。
ふだん音楽とは縁のない生活してるくせに、こんなときだけやたらいっぱい聞くのだ。
毎日の習慣として音楽を聞くようにしたいものだ。
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