海を失った男

2006年1月3日 読書
シオドア・スタージョンの『海を失った男』を読んだ。略して『ウミウシ』
日本で独自に編まれた短編集。
スタ−ジョンは『不思議のひと触れ』と『盤面の敵』しか読んでなくて、どういう作家なのか、印象が一定していなかった。今回、この本を読んで、1つのイメージを得ることができたように思う。もっちゃりとした人間関係を書くのが得意な作家だということだ。名前はなんだかキラキラしたSFのイメージがあるのに、作風はぜんぜん違った。
以下、各作品のメモを残しておくので、未読の人は要注意。

「ミュージック」この作品は、僕には残念ながら何のことやらさっぱりわからなかった。病院の地縛霊と化した入院患者の幽体離脱にも似た共感力のことか、とも思ったが、それにしては、煙草を吸ったりしているし、猫が出入りしている。つまり、ここは病院ではありえない。すると、自分の引きこもった世界を病院であらわしているのかとも思えるが、そんな感じではなくて、自由に浮遊しているイメージが強いのだ。意味などにとらわれず、詩として味わうのかとも思ったが、そんな文体でもなかった。

「ビアンカの手」人体に寄生する両手。これは面白い!

「成熟」オールマイティ!何をやっても超一流。さて、成熟とはいったい何なのか。答えは出ない。本書の中で一番面白かった。

「シジジイじゃない」自分の恋愛が脳内恋愛だったことに気づく男。しかも、妄想によって作られた夢人間は、自分の方だったのだ。この「シジジイ」が僕の読んだ初版では、ページの上に記された作品名では「ジジジイ」に誤植されていた。「ジ、ジジイじゃない」って、どういうことだ!爺いじゃないぞ!この「シジジイ」は2つの有機体が1つの細胞核を共有することで、この作品の内容からすると、「恣似自慰」と当て字したくなる。

「三の法則」宇宙人が地球人に寄生して、地球を滅ぼすべきか、見守るべきか、なんて決める。宇宙人は3分割して寄生し、3人が融合することで元の宇宙人に戻ることができるのだが、地球人は一夫一婦の呪縛に囚われていて、3人で1つの関係をなかなかとらない。
3の法則は、その設定からは手塚治虫の「W3」みたいだし、3人による愛の形を描くのに、宇宙人なんて出してきたもんだから、滑稽なストーリーになってしまった。現代なら、3人で1つの恋愛関係なんて、ごく普通のように思える。

「そして私のおそれはつのる」東洋の神秘を体現するババアが少年を導こうとする。ところがこのババアが全然達観してなくて、嫉妬したりする。少年はババアは尊敬しながらも、少女に愛情を注ぐのだ。少女はババアよりも強かった。ババアのはえせ東洋の神秘だったが、少女はマジ超能力者だったのだ。少女は全能だしなあ。

「墓読み」象形文字を解読するように、秘密のアルファベットを発見して、墓そのものを読む。墓を読むことで、死者が語る言葉を解読することができるのだ。必死で頭を悩ませて、やっと解読できるようになった男は、その墓碑銘にこう刻む。「安らかに眠れ」それは、墓から男へのメッセージだったのだ。

「海を失った男」海の恐怖と崇高さを思い出しながら、男は砂に埋もれている。男は海を失った。だって、火星に遭難して埋もれているんだも〜ん。

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