アステカ・マヤの神話
2005年10月25日 読書
カール・タウベの『アステカ・マヤの神話』を読んだ。似たようなタイトルの本を最近読んだが、別の本だ。
この本を読んで、ふと立ち止まり、考えた箇所。
マヤのキチェ族の『ポポル・ヴフ』では太陽が現れれば、神や恐ろしい獣は石に変わってしまう。夜明けが秩序と安寧の昼を象徴し、夜は神々や魔神の生き返る神話の時間だった。しかし、昼と夜の二元論は善悪の区別を単純にあらあすものではなく、相互補完的なものだった。
アステカ人は一神教的考え方を受け入れない。創造とは二者の対立や衝突の結果として起こる現象だと考えていたからだ。そうした対の思想をあらわすのが、「二元性の神」オメテオトル。オメテオトルは万物を司るが創造はその子供たちにゆだねられている。オメテオトルは人間にとって祖父母のような関係にあたるところから、老人の姿で描かれることが多い。ただ、老いが衰えをあらわしているかというと、そうではない。
アステカをはじめメソアメリカでは、人は加齢とともに強い生命力を持つと考えられているからだ。
その他、いろんな神の話が書かれていて、興味深い。
まだまだマヤ神話を追いかけていくつもりで、発見も多かろうと予想できる。
面白い!
この本を読んで、ふと立ち止まり、考えた箇所。
マヤのキチェ族の『ポポル・ヴフ』では太陽が現れれば、神や恐ろしい獣は石に変わってしまう。夜明けが秩序と安寧の昼を象徴し、夜は神々や魔神の生き返る神話の時間だった。しかし、昼と夜の二元論は善悪の区別を単純にあらあすものではなく、相互補完的なものだった。
アステカ人は一神教的考え方を受け入れない。創造とは二者の対立や衝突の結果として起こる現象だと考えていたからだ。そうした対の思想をあらわすのが、「二元性の神」オメテオトル。オメテオトルは万物を司るが創造はその子供たちにゆだねられている。オメテオトルは人間にとって祖父母のような関係にあたるところから、老人の姿で描かれることが多い。ただ、老いが衰えをあらわしているかというと、そうではない。
アステカをはじめメソアメリカでは、人は加齢とともに強い生命力を持つと考えられているからだ。
その他、いろんな神の話が書かれていて、興味深い。
まだまだマヤ神話を追いかけていくつもりで、発見も多かろうと予想できる。
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