若者はなぜ怒らなくなったのか―団塊と団塊ジュニアの溝
2005年9月6日 読書
荷宮和子の『若者はなぜ怒らなくなったのか 団塊と団塊ジュニアの溝』を読んだ。
団塊の世代は「誰が言ったか、誰がやったか、誰のためにか等々のみを重視する人々」で、物事の本質よりも、それに関わるのが目上か目下か対等かによって判断するのだという。
団塊の世代は数の論理がまかりとおる。
団塊の世代の子供たち(団塊ジュニア)は、その価値観を持った親たちに育てられた若者たちだ。その特徴は、「決まっちゃったことはしょうがない」とし、ゆえに、怒るべきときに怒らなくなった。
ネットで毒を吐くことでガス抜きしてしまい、しかるべき場所では何も言わない。
この本でも荷宮和子は団塊、団塊ジュニアの世代をこきおろす。いや、この本は世代について真っ向から書いているので、順番としては、これを読んでから、『バリバリのハト派』とか読んだ方が理解しやすかったのかもしれない。どちらにしても、論旨は明解で、文章も読みやすかった。おそらく、僕自身も団塊と団塊ジュニアにはさまれた「くびれの世代」に属しているからかもしれない。
荷宮が世代について語るのは、現実に世代の問題と闘ってきたからなのだ、ということが、この本ではわかる。「なんでもかんでも世代論で片付けていいのか」と心の隅で考えていたことが、「なんでもかんでも世代論じゃないか!」と思い知らされるのだ。
痛快。
団塊の世代は「誰が言ったか、誰がやったか、誰のためにか等々のみを重視する人々」で、物事の本質よりも、それに関わるのが目上か目下か対等かによって判断するのだという。
団塊の世代は数の論理がまかりとおる。
団塊の世代の子供たち(団塊ジュニア)は、その価値観を持った親たちに育てられた若者たちだ。その特徴は、「決まっちゃったことはしょうがない」とし、ゆえに、怒るべきときに怒らなくなった。
ネットで毒を吐くことでガス抜きしてしまい、しかるべき場所では何も言わない。
この本でも荷宮和子は団塊、団塊ジュニアの世代をこきおろす。いや、この本は世代について真っ向から書いているので、順番としては、これを読んでから、『バリバリのハト派』とか読んだ方が理解しやすかったのかもしれない。どちらにしても、論旨は明解で、文章も読みやすかった。おそらく、僕自身も団塊と団塊ジュニアにはさまれた「くびれの世代」に属しているからかもしれない。
荷宮が世代について語るのは、現実に世代の問題と闘ってきたからなのだ、ということが、この本ではわかる。「なんでもかんでも世代論で片付けていいのか」と心の隅で考えていたことが、「なんでもかんでも世代論じゃないか!」と思い知らされるのだ。
痛快。
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