鬼火、XTC、河原にできた中世の町―へんれきする人びとの集まるところ
2005年6月8日 読書
図書館に寄って、吉屋信子の「鬼火」を読んだ。
映画を見て面白かったので、原作を読んでみたのだ。
数ページの短い小説だったが、こわい。悲しい。
貧乏と病気の夫、肉体を求めるガス集金人。
原作では、帯ひとつない極貧で、ガス集金人のところに出て行くこともできない主人公の追い詰められた姿が、かなしく描かれる。
映画の方では、女性はガス集金人のところまで行くのだが、スケベなガス集金人の下衆さにおそれおののいて、女性は逃げ帰るのだ。
寝たきりの夫は、自分の妻が何のために外出したかを知っている。
帰ってから、夫婦の涙にくれる会話があり、結局は、1つの、不可避の結末に向けて動き出すのだ。
最近、吉屋信子の少女小説を読む機会があったが、こういう大人向けの小説も随分と面白い。
図書館に来たついでに調べたことは、XTCの曲で、僕の一番好きな「トラフィック・ライト・ロック」が、どうすれば今聞けるのか、ということだったが、ヴァージンのアルバム「ギロチン」にしか収録されていないらしい。CD化していないのか?手放すんじゃなかった。
網野善彦(文)司修(絵)の絵本『河原にできた中世の町−へんれきする人びとの集まるところ』を読んだ。
川も河原ももともと無所有であった。そこは生死の境にもなり、市がたち、町ができる。
それらは無所有であるがゆえに、そういう性質をもっていたのだ。
芸能もそこで披露された。
面白いのは、芸能を行う者は、柿色の覆面などで顔を隠していたりして、異装で自ら特徴づけていた。そして、その芸能を見る客の方も、扇などで顔を隠しながら、それを鑑賞するのが普通だったのだ。芸能は神に通じる、という考え方だったせいだろう。
万人に認められ、家庭にもちこんでも無害な芸能など、本来の芸能という視点からは、意味がないのだ。
聖なるものとして、畏れられ、差別の対象にもなるのが、本来の芸能なのだ。
最近、ウィングホールで毎月「HELP!」というイベントを行っているが、このウィングをよく使わせてもらうようになって、芸能の世界に触れ、見聞きする機会が多くなった。スピリッツは河原者の時代と大きく隔たっていない。
国家の支配、所有からするりと抜けていく門が、芸能にはまだ用意されているようだ。
管理されたストリートで事足れりとしていてはいけない。
芸能はどこか危険なものなのだ。
映画を見て面白かったので、原作を読んでみたのだ。
数ページの短い小説だったが、こわい。悲しい。
貧乏と病気の夫、肉体を求めるガス集金人。
原作では、帯ひとつない極貧で、ガス集金人のところに出て行くこともできない主人公の追い詰められた姿が、かなしく描かれる。
映画の方では、女性はガス集金人のところまで行くのだが、スケベなガス集金人の下衆さにおそれおののいて、女性は逃げ帰るのだ。
寝たきりの夫は、自分の妻が何のために外出したかを知っている。
帰ってから、夫婦の涙にくれる会話があり、結局は、1つの、不可避の結末に向けて動き出すのだ。
最近、吉屋信子の少女小説を読む機会があったが、こういう大人向けの小説も随分と面白い。
図書館に来たついでに調べたことは、XTCの曲で、僕の一番好きな「トラフィック・ライト・ロック」が、どうすれば今聞けるのか、ということだったが、ヴァージンのアルバム「ギロチン」にしか収録されていないらしい。CD化していないのか?手放すんじゃなかった。
網野善彦(文)司修(絵)の絵本『河原にできた中世の町−へんれきする人びとの集まるところ』を読んだ。
川も河原ももともと無所有であった。そこは生死の境にもなり、市がたち、町ができる。
それらは無所有であるがゆえに、そういう性質をもっていたのだ。
芸能もそこで披露された。
面白いのは、芸能を行う者は、柿色の覆面などで顔を隠していたりして、異装で自ら特徴づけていた。そして、その芸能を見る客の方も、扇などで顔を隠しながら、それを鑑賞するのが普通だったのだ。芸能は神に通じる、という考え方だったせいだろう。
万人に認められ、家庭にもちこんでも無害な芸能など、本来の芸能という視点からは、意味がないのだ。
聖なるものとして、畏れられ、差別の対象にもなるのが、本来の芸能なのだ。
最近、ウィングホールで毎月「HELP!」というイベントを行っているが、このウィングをよく使わせてもらうようになって、芸能の世界に触れ、見聞きする機会が多くなった。スピリッツは河原者の時代と大きく隔たっていない。
国家の支配、所有からするりと抜けていく門が、芸能にはまだ用意されているようだ。
管理されたストリートで事足れりとしていてはいけない。
芸能はどこか危険なものなのだ。
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