サミュエル・フラー監督の「拾った女」を見た。1953年アメリカ。
スリ(リチャード・ウィドマーク)が掏ったのは、共産主義スパイに渡るはずのフィルムだった。女は何も知らずに運び屋の役目を負わされていたのだ。
スリと女がデキてしまったり、共産主義が無条件に悪だと描かれていたり、共産主義スパイがとことん間抜けでしかも格闘弱いし、スパイからフィルムを取り戻したのでスリが今までに犯した罪が帳消しになったり、まあ、都合のいいこと、いいこと。そこがいい!ということも言えるが、こんな単純な映画ばかり見ていたら、そりゃアフガニスタンとかイラクとか爆撃するわなあ、と納得した。

松屋町のサブタレニアンズに行き、三浦悦子義躰標本室を見た。
サブタレニアンズに行ったのははじめて。
最近、自分の好きな店や場所が次々と消滅していく。
好きな場所というのが、人のいない店とか、古くてギシギシ鳴く建物とかなので、もともと失われる予備軍ばかり好きになっているせいかもしれない。
このサブタレニアンズはほとんど朽ち果てた空き家みたいな場所で、ありえない狭く急な階段や、子供しか入れなさそうな小さな浴槽、高い天井、ギシギシ鳴ってるし!居心地いい!
三浦悦子の人形作品は医療器具を多用したもので、サブタレニアンズが朽ちた医院、病院を思わせた。ドグラマグラやドグママグロの世界だ。
先日、法事で親戚たちの会話を聞いていると、年齢層が高くて、多くの話題は病気や病院で昭和にタイムスリップしたような眩暈を感じた。
僕の父親も祖父も病院に入院して、死んだが、その病院は上本町の赤十字病院だった。まさしく、ドグママグロの世界。病院の怪談話は大半がこの病院から生まれたんじゃないかと思わせるようなたたずまいを見せていた。異常に天井が高く、暗い。外から見ても幽霊病院だったが、中に入るとまさに迷宮だった。(現在は改装済み)
サブタレニアンズにいると、その病院に通っていた頃の自分に戻った。病院ってのは、こうでなくっちゃ。

昨日に引き続き、読書に身が入らない。
バイオリズムってのはあるんだ。きっと。
で、奥浩哉の『変』全13巻を読んだ。90年代前半の作品で、この漫画を読んでいない、ということは、いかに自分の中の漫画生活が80年代でストップしているかがうかがわれる。3巻までは作品集だが、4巻からは鈴木くんと佐藤くんの学園ホモ物語になっている。
後半になると、絵がキモくなってくる。佐藤くんがすっかりうじうじした性格になって、とる行動が女性そのものになる。最初の少年らしさはどこに行ってしまったんだ。これじゃ、連載終わってしまうぞ、と、11巻くらいで思った。
佐藤くん見ると、自分の中学高校時代を思い出してしかたがない。僕はホモじゃないけど、もしもホモであれば、どんなに学園生活をエンジョイできたかしれやしない。今や見る影もない姿に落ちぶれはてたが、あの頃はあの頃で弱い自分がとても嫌だった。戻れるとしても、学生時代には戻りたくない。
この漫画も面白かった。現在人気の漫画を追い掛けなくても、90年代の大量の漫画たちが、僕を待っているのだ。ワクワクしてきた。

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