みんな元気。

2005年4月27日 読書
舞城王太郎の『みんな元気。』を読んだ。5つの話が収録されている。
表題作「みんな元気。」は一方的な子供の交換に揺れる空飛ぶ一家の話。流れるような文章の氾濫はいつもどおり。これだけ文章が多いと、ついついひっかかってしまう部分も出てくる、というわけで、ピックアップしたいのは、次の部分。

宮本いさおも野口健司もその他元彼たちも、恋愛の不可能性においてこそ私を惹きつけるらしい。「ゆりちゃんの元彼とか今彼となんて絶対嫌と言いながら、その絶対嫌なところでしか枇杷は相手を選べなかった訳よ」と南田は言う。「と言うか、選ばなかった訳だ。うまくいかないからこそいいんだよな」

恋愛に必ずと言っていいほどつきまとう「恋愛の不可能性」の問題だ。
具体的に不可能な条件を作中人物は選びとって、不可能性をはっきりした形で手にいれる。
でも、どんな恋愛でも、不可能性はつきまとっている。その気持ち悪さをふっきるために、はっきりと不可能なシチュエーションを自分のためにお膳立てするのだ。
それは別の言葉で言うと「臆病」にもつながる。
空を飛べない、という不可能性を確実にするために、足をあらかじめ骨折させるようなものだ。
ところが不思議なことに、恋愛で不可能性が意識されるのは、恋愛こそが「不可能を可能にする」行為だからなのだ。頭がいいと、かえって恋愛はしにくい。ちょっと僕と一緒に愚かになってみませんか?アフターケアはちゃんとしますよ。

「Dead for Good」にも気になる文章があった。

ああなってこうなってって利緒から話を進行してもらってるときには結構へえ、へえと思ってのめり込んだりもするのに、話が終わってみると、で、何だっけ?と俺は思う。何かうまいオチだった気もするのに、それがどう良かったのかが判らない。思うに物語を楽しむ力もまた物語についての知識と経験に大部分を負っているんだろう。

読むのは楽しいのに、それがどう面白いのやらよくわからないし、人に面白さを説明するのもまた困難だ。わが愛しの死神ちゃんなどは、見てきた映画や読んだ漫画の話を説明させたら天下一品で、「これ、きっと原作よりも面白い!」と思わせる。そんな話術なり分析力がほしいところだ。僕の方からも死神ちゃんにお返しで面白かったことを伝えたいのに、僕は自分が楽しむだけで、伝える能力に欠けている。何を伝えたいのかも忘れてしまうしね。うわ、そりゃどうしようもない。

この本についても、全然面白さを伝えることができない。どんな本だった?と聞かれたら、こんなことしか言えない。
「とにかく、根拠なくめちゃくちゃ前向きな作品集です」

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