「海女の戦慄」(1957年)を見た。志村敏夫監督、志賀弘原案、前田通子、三ツ矢歌子、天城竜太郎などが出ている。
海女のエロスは言うまでもないが、僕がこの映画を見て感心したのは、ヒーローの天城竜太郎のカッコ良さだ。時代劇かと思わせる大時代的な顔だちだが、荒くれ者と闘う際に、ニコニコと爽やかに笑いながら、私は逃げますよ、と宣言して闘わないのだ。勝ち負けなんかどっちでもいい、という態度は僕自身おおいに見習わなくてはならない。変にプライドとか自尊心とかあると、軽く見られたときにムカッとするものだ。でも、それは心の余裕の無さをあわらしているに過ぎない。
反日デモの報道を見ていて、ふとそんなことを思った。中国がそんなにあやまってほしいのなら、爽やかに「中国さん、あんたの言うとおりだ。あんたが正しいですよ。ごめんなさい。これから仲良くやっていきましょう」と言えばいいのに、と思う。「そんなこと何故言わねばならないんだ!」と憤慨するのは、自尊心の罠に囚われている。謝るのは簡単だ。どっちが正しいかなんて、当事者同士で決めずに、第三者が決めればいいことなのだ。国と国の関係、外交は闘いじゃないのだ。弱みを見せまいとすることが弱味そのものだということを、天城竜太郎は教えてくれている。
ほんまかいな。

「キンキンのルンペン大将」(1976年)も見た。石井輝男監督。愛川欣也、坂口良子などが出ている。
これもまた、昨日見た「わが恋せし乙女」同様、恋するキンキンが、坂口良子とうまくくっつくかと思いきや、坂口良子にはそんなつもりが全然なくて、他に恋人を作ってしまうのだ。リメイクかと思ったほどだ。
キンキンの格好ははっきりとチャップリンを意識したもので、ギャグは底抜けシリーズ。ベタ映画のエキスパート、石井輝男の本領が発揮されているのだが、そのギャグが笑えない。これはキンキンではペーソスがききすぎていて、いろんな失敗に素直に笑えないからだ。笑いのセンスが汚くて、キンキンがあぶらぎっているのがダメだ。
ただし、最後に坂口良子の恋を祝福して、キンキンと坂口良子が夜の遊園地で踊るシーンはなかなか見せる。キンキンはその遊園地の蝋人形館のナポレオンの人形のふりをするバイトをしている。そして、シンデレラのようなドレスを坂口良子に着せて、ナポレオンとシンデレラの華麗なダンスが繰り広げられる。遊園地の噴水がバックを彩る。
それと、ひとつ気づいたことがある。
「わが恋せし乙女」の女性は捨て子だった。
「キンキンのルンペン大将」は出稼ぎで都会に出て来て、頼る人のない2人が主人公だ。
「キンキンのルンペン大将」で面白いシーンが出てくる。出稼ぎのため、セーラー服姿で列車に乗って都会に出てきた少女が、都会でトルコ嬢になって働いている。母親がそれを見つけて、田舎に連れて帰ろうとする。だが、少女はきつい言葉で親を帰らせてしまう。母親にあきらめてもらうために、わざときつい言葉を使ったものだ。母親もそれを察して、泣きながら帰っていく。
都会で生活するということ、恋することに、家族は障害であり、邪魔だということがはっきりと描かれる。これは、家族を悪しきものだと言っているのではない。大好きで愛すべきものなのだが、人間として生きていく上では、切り離さねばならないものなのだ。

コメント

nophoto
ニックネーム無し
2007年4月3日14:25

>都会で生活するということ、恋することに、家族は障害であり、邪魔だということがはっきりと描かれる。

そんなこと描いてる訳ちゃうやろ(笑)
おんどれは人間観察が足りんのじゃ。

保山ひャン
保山宗明玉
2007年4月9日4:11

ニックネーム無しさん

コメントありがとうございます。
まったく、あなたのおっしゃる通りです。
ちゃんとツッコんでくださって感謝しています。
この日記は、僕がむちゃくちゃなこと書いていても、たいがいスルーされるんですよ。

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