どうせ死んでしまう・・・・・・私は哲学病
2005年2月21日 読書
中島義道の『どうせ死んでしまう…私は哲学病』を読んだ。
雑文を集めた本だというが、内容を見ると、一貫したテーマはないものの、著者の多くの著作のカタログとして読むこともできる。
「ウィーン半隠遁」という文章はウィーンに学び、ウィーンと日本を今も往復している著者のウィーン愛憎を描く『ウィーン愛憎』にリンクしている。ウィーンは20年たっても何も変わらない街なのだそうだ。
「学生たちよ、真剣にぐれよ!」「死ぬ前にぐれてはどうだろう」「上手にぐれるための10冊」は『ぐれる!』を受けての文章だ。やりたいことをやろう、という趣旨だ。著者は冠婚葬祭、親戚づきあい、年賀状も知人からの電話も断って、自分の時間を作っているのだそうだ。それは『人生を半分降りる』にもつながっている。
だが、この本の読みどころは、タイトルにもある「どうせ死んでしまう」について書かれた文章だ。
人間はいつか死んでしまう。ならば、なぜ、今死んではいけないのか。自殺してはいけないのはなぜなのか。著者の結論は「自殺してはいけない理由は論理的にはない」
生きていれば人生、いいことある、というのは自殺を止める理由にはならない。人生、楽しいこともあるだろうことなんかわかっている。それでも、もうそんな人生にうんざりなのだ。
不治の病だと知った人が自殺する場合、その気持ちがわかるとすれば、どうせ人間、必ず死ぬのだ。同じじゃないか。今死んでも納得のはずだ。止める理由はない。
自殺を思いとどまる理由として、周囲の人間、たとえば家族や恋人が悲しむから、というのが最も一般的だが、自分の人生よりも他人の一時的な感情を優先するのか、という話になると、これも納得しがたい。
これら自殺と死について考察を重ねた著者が自殺志願の人にどんな思いを抱き、どう声をかけるのか。
露悪が過ぎるような気もするが、物事をなんでも悲観的にとらえる変わり者の哲学者の考えることはとても面白い。
本書で共感したのは、家族至上主義批判の部分「全力をもって家族から、その暴力から、その支配から、その掟からみずからを解放しよう」、そして、正しいひきこもりの条件「ひきこもっている者が、自分のほうが世間であくせく働いている者より偉い」と思うようならば「ひきこもっている資格はない」と喝破する部分。そんな奴は「さっさと世間に出て、世間に揉まれ、悲嘆に暮れ、いさぎよく抹殺されればいい」
また、「弱いこと自体は美しいが、『自分は弱いから』という自己弁護の刀をいつも懐に忍ばせて謙虚に生きている輩は、いささかも美しくない」とするところ。守りに入りがちなのが、醜いのである。
雑文を集めた本だというが、内容を見ると、一貫したテーマはないものの、著者の多くの著作のカタログとして読むこともできる。
「ウィーン半隠遁」という文章はウィーンに学び、ウィーンと日本を今も往復している著者のウィーン愛憎を描く『ウィーン愛憎』にリンクしている。ウィーンは20年たっても何も変わらない街なのだそうだ。
「学生たちよ、真剣にぐれよ!」「死ぬ前にぐれてはどうだろう」「上手にぐれるための10冊」は『ぐれる!』を受けての文章だ。やりたいことをやろう、という趣旨だ。著者は冠婚葬祭、親戚づきあい、年賀状も知人からの電話も断って、自分の時間を作っているのだそうだ。それは『人生を半分降りる』にもつながっている。
だが、この本の読みどころは、タイトルにもある「どうせ死んでしまう」について書かれた文章だ。
人間はいつか死んでしまう。ならば、なぜ、今死んではいけないのか。自殺してはいけないのはなぜなのか。著者の結論は「自殺してはいけない理由は論理的にはない」
生きていれば人生、いいことある、というのは自殺を止める理由にはならない。人生、楽しいこともあるだろうことなんかわかっている。それでも、もうそんな人生にうんざりなのだ。
不治の病だと知った人が自殺する場合、その気持ちがわかるとすれば、どうせ人間、必ず死ぬのだ。同じじゃないか。今死んでも納得のはずだ。止める理由はない。
自殺を思いとどまる理由として、周囲の人間、たとえば家族や恋人が悲しむから、というのが最も一般的だが、自分の人生よりも他人の一時的な感情を優先するのか、という話になると、これも納得しがたい。
これら自殺と死について考察を重ねた著者が自殺志願の人にどんな思いを抱き、どう声をかけるのか。
露悪が過ぎるような気もするが、物事をなんでも悲観的にとらえる変わり者の哲学者の考えることはとても面白い。
本書で共感したのは、家族至上主義批判の部分「全力をもって家族から、その暴力から、その支配から、その掟からみずからを解放しよう」、そして、正しいひきこもりの条件「ひきこもっている者が、自分のほうが世間であくせく働いている者より偉い」と思うようならば「ひきこもっている資格はない」と喝破する部分。そんな奴は「さっさと世間に出て、世間に揉まれ、悲嘆に暮れ、いさぎよく抹殺されればいい」
また、「弱いこと自体は美しいが、『自分は弱いから』という自己弁護の刀をいつも懐に忍ばせて謙虚に生きている輩は、いささかも美しくない」とするところ。守りに入りがちなのが、醜いのである。
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