六月の夜、マリア様がみてる
2004年10月6日 読書
BSで放送していた「六月の夜」を見た。
ベル・リンド・ベルイ監督。これもまたスウェーデン時代のイングリッド・バーグマン主演。痴情のもつれの刃傷沙汰で男に撃たれた女(バーグマン)。人生をやりなおそうと、違う名前で違う土地に行くが、撃った男は刑務所を出て追ってくるし、センセーショナルな事件をスクープしたい記者はバーグマンの素性をあばくし、会う男がみんなバーグマンに色目を使ってくるし、休まる暇がない。結局、友人の彼氏とアバンチュールの旅に出てしまう。
バーグマンは自分がひとりぼっちだと孤独を嘆くが、男も女もみんなバーグマンが好きで、新聞記事をボツにしたり、バーグマンを助けに駆け付けたりしてくれる。これで「ひとりぼっち」だなんて言うのはどう考えても心得違いだと思う。
この映画を見て思ったのは、女性はきっとバーグマンに辛い点をつけるんじゃないか、と言うことだ。だって、仲良しの友人の彼氏と旅に出て、友人はふられちゃうのだ。友人はバーグマンの力になってあげることはあったが、悪いことは何もしていない。しかし、よく考えてみると、バーグマンは自らだれも誘惑していない。男たちがかってにバーグマンの魅力にとりつかれて、バーグマンに強引にアタックしている。バーグマンはとことん巻き込まれているだけなのだ。バーグマンのその優柔不断さ、弱さは叱責されてしかるべきだが、それよりも、まわりの男の情けなさを責めるべきなのだ。つきあっている男が肉体関係をせまるとそれを拒み「愛してほしいだけなのに、からだが目当てだったんだわ!」なんて泣く女なんて、不幸になっても当然、それよりも運命を受け入れるかのように男に引っ張られていくバーグマンに幸せが訪れてもかまわないんじゃないか、と思う。1940年の男女では、まだこんなに旧弊な考えに縛られていたのか、と思うと、それを破るバーグマンがますます魅力的に見えてくる。
大河津くんに借りている本、今野緒雪の『マリア様がみてる』を読んだ。1冊目だ。この後18冊ほどこの世界に浸れるかと思うと、わくわくする。
現代の話とは思えない設定だが、ぼくが女子学園に勤めていた10年前には、あり得る世界だった。今では女子学園そのものがすっかり無用な存在だし、キリスト教が世界の厄病神なのもブッシュ大統領のおかげでばれてしまった。貞操には意味がなく、気品は弱さの代名詞になった。よっぽど時代遅れで頭のかたい田舎者でもないかぎり、このような女子学園に価値を認めないだろう。つまり私立リリアン女学園は実際にはありえないユートピアなのだ。リリアン女学園にくらべれば、まだクロマティ高校の方がリアリティがある。ユートピアの物語だから、『マリア様がみてる』シリーズはSFなのだ。ほとんどSFを読んだことのない僕は、やっとここにSFを読むにいたったのである。1冊目の出来は、最高。アニメも見ていたが、小説の方が僕の感性にはあっているようだ。原作をこえる映像作品なんてめったにないけど。
秋の番組改編で新番組が続々と放送されている。いくつか見たうちで注目すべきは「スクールランブル」だった。エンディングを小倉優子が歌っている。かなり面白かったので、原作も読んでみよう。新番組ではないが、「少年チャンプル」でESSEの子たちがダンスを踊っていた。そのキレのいいダンスは賞賛すべきだが、目立ったのは、「レゲエダンス」という奴。洋楽のPVなどで見ていると違和感なかったのだが、日焼けが好き(=センス悪い)な日本人の女が踊るレゲエダンスは、ギャグにしか見えなかった。吉本新喜劇でタツじいがあんな風にこけてたなあ、とかいう印象。あれはみんなで笑うところですよね?
ベル・リンド・ベルイ監督。これもまたスウェーデン時代のイングリッド・バーグマン主演。痴情のもつれの刃傷沙汰で男に撃たれた女(バーグマン)。人生をやりなおそうと、違う名前で違う土地に行くが、撃った男は刑務所を出て追ってくるし、センセーショナルな事件をスクープしたい記者はバーグマンの素性をあばくし、会う男がみんなバーグマンに色目を使ってくるし、休まる暇がない。結局、友人の彼氏とアバンチュールの旅に出てしまう。
バーグマンは自分がひとりぼっちだと孤独を嘆くが、男も女もみんなバーグマンが好きで、新聞記事をボツにしたり、バーグマンを助けに駆け付けたりしてくれる。これで「ひとりぼっち」だなんて言うのはどう考えても心得違いだと思う。
この映画を見て思ったのは、女性はきっとバーグマンに辛い点をつけるんじゃないか、と言うことだ。だって、仲良しの友人の彼氏と旅に出て、友人はふられちゃうのだ。友人はバーグマンの力になってあげることはあったが、悪いことは何もしていない。しかし、よく考えてみると、バーグマンは自らだれも誘惑していない。男たちがかってにバーグマンの魅力にとりつかれて、バーグマンに強引にアタックしている。バーグマンはとことん巻き込まれているだけなのだ。バーグマンのその優柔不断さ、弱さは叱責されてしかるべきだが、それよりも、まわりの男の情けなさを責めるべきなのだ。つきあっている男が肉体関係をせまるとそれを拒み「愛してほしいだけなのに、からだが目当てだったんだわ!」なんて泣く女なんて、不幸になっても当然、それよりも運命を受け入れるかのように男に引っ張られていくバーグマンに幸せが訪れてもかまわないんじゃないか、と思う。1940年の男女では、まだこんなに旧弊な考えに縛られていたのか、と思うと、それを破るバーグマンがますます魅力的に見えてくる。
大河津くんに借りている本、今野緒雪の『マリア様がみてる』を読んだ。1冊目だ。この後18冊ほどこの世界に浸れるかと思うと、わくわくする。
現代の話とは思えない設定だが、ぼくが女子学園に勤めていた10年前には、あり得る世界だった。今では女子学園そのものがすっかり無用な存在だし、キリスト教が世界の厄病神なのもブッシュ大統領のおかげでばれてしまった。貞操には意味がなく、気品は弱さの代名詞になった。よっぽど時代遅れで頭のかたい田舎者でもないかぎり、このような女子学園に価値を認めないだろう。つまり私立リリアン女学園は実際にはありえないユートピアなのだ。リリアン女学園にくらべれば、まだクロマティ高校の方がリアリティがある。ユートピアの物語だから、『マリア様がみてる』シリーズはSFなのだ。ほとんどSFを読んだことのない僕は、やっとここにSFを読むにいたったのである。1冊目の出来は、最高。アニメも見ていたが、小説の方が僕の感性にはあっているようだ。原作をこえる映像作品なんてめったにないけど。
秋の番組改編で新番組が続々と放送されている。いくつか見たうちで注目すべきは「スクールランブル」だった。エンディングを小倉優子が歌っている。かなり面白かったので、原作も読んでみよう。新番組ではないが、「少年チャンプル」でESSEの子たちがダンスを踊っていた。そのキレのいいダンスは賞賛すべきだが、目立ったのは、「レゲエダンス」という奴。洋楽のPVなどで見ていると違和感なかったのだが、日焼けが好き(=センス悪い)な日本人の女が踊るレゲエダンスは、ギャグにしか見えなかった。吉本新喜劇でタツじいがあんな風にこけてたなあ、とかいう印象。あれはみんなで笑うところですよね?
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