中山元の『ぼくと世界をつなぐ哲学』を読んだ。
目次に添って
「アイデンティティの迷宮」
ぼくという存在の唯一性を保証するはずのアイデンティティは、一見その唯一性をおびやかすかに見える分身、影、双子によって、閉じ込められる。仮の姿を想定することで、永遠なる本当の自分を明確に輪郭づけるからだ。
「記憶の思想史」
自分が次の瞬間も同一の自分であると言えるのは、記憶によるのか、それとも神によるのか。それとも、そんなことは言えないのか。
「言語と独我論」
世界が意味を持つのは、このぼくが体験するかぎりにおいてだけだ。ぼくが死ねば世界は意味を失う。ただし、他人の心はぼくには届かないところにあり、理解できない。
「言語の起源」
人間は生まれながらに言語能力を持っているのか、また、言語はその社会、民族に特有なものなのか。
「他者と相互承認」
他者からの承認によって、ぼくはぼくになる。
「他者の異貌」
他者は恐ろしき地獄なのかもしれない。しかし、他者によってはじめて、約束したぼくとそれを遂行したぼくが連続していることを証明してくれるのだ。
「共同体と友愛」
人間が複数いるとはどういうことか。群集は醜いが共同体や結社は望ましく思える。その違いは何か。
「共同体の内と外から」
ぼくは共同体無しでは存在できない。では共同体に常に縛られたままなのか。ぼくの唯一性はいったいどこに。
えらいこっちゃ。目次に添って内容を要約しようと思っていたのに、全然要約になってない。
自分の殻という小さな世界から、世界によって居場所を確保し、さらに先へと進む自分への論旨の進行が、ギリシア哲学、デカルトからデリダやレヴィナス等20世紀の哲学へのページ進行に対応しているようだ。
あいにくと風邪がひどくて頭が働かない。
自意識過剰でひきこもり気味のいわゆる「セカイ系」がこだわる「ぼく」なんて、ちょっと哲学を読めば、その何倍も深い考察と新たな視点と反論が転がっているのだと思う。哲学を読むことで世界をこむずかしく考え、暗い思考に陥るのは、その論旨を理解できていないがゆえである。哲学って、とても明晰なのだ。読めば読むほど明るくなってくる。
この本は哲学クロニクルの中山元氏によるざっとした哲学史で、読書案内としても役立つ。読みたい本が何冊も出て来たし。(あまり哲学の本を読んでいないことがバレバレだ)中山元氏のメールマガジンを購読しているが、最近とんと御無沙汰なのが寂しい。本を書くために、メールマガジンやホームページが滞っていると思われるが、せめて本を出したときにその宣伝だけでも送ってほしい。

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