『松本恵子探偵小説選』を読んだ。
松本恵子は探偵小説作家の松本泰の妻。1891年生まれ。ディケンズやクリスティーの翻訳で有名だが、この本には創作短編とマッカレーの翻訳や、短い随筆などが収められている。
創作部門について、簡単に感想を書いておこう。例によってネタバレするので、未読の人はここまで。
「皮剥獄門」顔のない死体の珍しいバージョン。真犯人をあぶりだすために、大岡越前守が他の囚人の死体を利用する。
「真珠の首飾り」会社の金の使い込みと真珠の首飾り。ありがちな勘違い。
「白い手」電車内のスリの動機が、痴漢への仕返し。女性らしい発想に思えるが、常日頃から僕は痴漢を極刑に処すべき3大犯罪の1つだと思っている。(あとの2つは万引きと駐車違反)
「万年筆の由来」看板娘目当てに通っていただけなのに、裏で賭博をしていたタバコ屋は主人公を刑事と勘違いする。
「手」轢死体の手を見て、死体の素性に疑問を抱く画家。彼は手にも顔同様の個性を見てとっていたのだ。はたして死体の正体はまったくの別人。別に殺人を犯していた犯人が、轢死者を被害者と認定し、被害者もろとも土葬するもくろみだったのだ。
「無生物がものを云ふとき」現場に落ちていたビラ(生きているときにビラが入っていたら、被害者は必ずそのままにせず机の上に置いていたはず)など、証拠をもとに冤罪をはらす。
「赤い帽子」赤い帽子でモダンガールに変装し、軟派の男を釣ってお灸をすえる。
「子供の日記」ママが毒で死んだのは、ママが殺そうとして毒を仕込んだ箸を、子供が取り替えたため。毒の赤いしるしを綺麗なしるしだと思い、気をきかせてママの箸と交換したのだ。
「雨」男は事件の発見者ではなく、犯人だった。外を歩いてきたなら、雨で靴が濡れていたはずだから。
「黒い靴」万事に常識的な許嫁がふられる。
「ユダの歎き」現世の成功しか考えられないユダは、イエスなら簡単に奇跡で逆襲できると信じて、イエスを裏切る。
地下鉄サムというと、文庫の中でもかなり薄っぺらい方だったので、小学生時代に、僕の本棚に並んでいた。たしか読んだはずなのだが、今から考えるとあの軽妙洒脱なコントを小学生の僕が理解できていたはずがない。読み返したくても、蔵書はほとんど処分した後だ。あたりまえのことだが、捨てることで失うものは大きい。特に精神的なダメージは甚大だ。いつでも図書館や書店などで入手して読み直すことができる、と自分に言い聞かせて捨てたのだが、いったん手放した本はなかなか再会できないことを思い知らされる昨今だ。
こうしてマッカレーの作品を現在読むと、そんなことをつらつら考えた。
捨てたり、処分したりするのは、少なくとも文化的な行為ではないのだ。ビジネス本しか読まない場合は、捨てても支障はないが、ビジネス書やハウツー本はそれ自体、文化的ではないからね。

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