一昨日に引き続き、江崎実生監督、小林旭主演「続・女の警察」を見た。主題歌は「女の警察」と同じく青江三奈の「酒場人形」
この続編では、銀座を舞台にホステス引き抜きやレジャービル建設などを描いている。やはり金を儲けようと悪事をはたらく奴等が小林旭に成敗されるのだ。
前作で美人局のせこい「松田」という役だった藤竜也が、今回は事件を追う立場の「早崎」という役だった。シリーズの中で、役者が違う役を演ずるのを見るのは面白い。銭形平次シリーズでも、かつて八五郎を演じていた「佐々木小二郎」という役者が、「夜のえんま帳」では「熊八」というチョイ役に左遷(?)されていたこともある。
この映画で面白かったのは、若手のホステス(長谷川照子)が「はっぱふみふみ」のギャグをとばすシーンだ。巨泉は「みじかびのきゃぷりきとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ」と確か詠んでいたが、この長谷川照子は「さけのびのさけのびすればすぎちょびれのびすぎすらのぽんぽんするする」と詠んでいた。ヒアリングがちゃんと出来ていないので、雰囲気で味わってください。
また、女たちが揃いもそろって小林旭に対して体で恩を返そうとするのがまるで「テンドン」(繰り返しの笑い)で、官能的なシーンのはずなのに、笑ってしまった。

今日は本も読み終えた。
津原泰水の『ルピナス探偵団の当惑』だ。3つの話が収録されている。犯人が殺人の後、被害者の残したピザを食べる「冷えたピザはいかが」(なぜ、犯人はとっとと逃げずに、ピザを食べたのか、というところから推理がはじまり、犯人を特定するのだ)、ダイイングメッセージが裏返しの文字になっており、しかもルビまでふってあった事件「ようこそ雪の館へ」、舞台上で死んだ女優の手がなぜか切り取られていた話「大女優の右手」(死体の移動するルートが面白く、「見えない人」の新トリックもあった)
本格推理としてきちんとしていて感心した。登場人物に「謎の老人」というのが出て来て、これは言うまでもなく「隅の老人」をほうふつとさせるのだが、3つめの話を読んでいるときに、ひらめいたことがあった。「そうか!しまった1まんまと作者の罠にひっかかったぞ!この謎の老人というのは、きっとアレに違いない!そうだ!きっとそうだ!」と勝手に興奮したのだが、読み終えてみると、特にそんな趣向はなかった。いずれ形を変えて、自分で作品にしてみようかと思った。

読み終えた本がもう1冊。高田崇史の『鬼神伝〜神の巻〜』平安時代にタイムスリップしてのファンタジー冒険もの。鬼と呼ばれていた者たちが、実は朝廷に逆らう先住民等であったとする歴史的立場から、主人公たちは鬼の側について、「人」と闘う。出てくるのは平安京を守る四天王や阿修羅、帝釈天、烏天狗などなど。すべてを破壊する「弥勒」を呼び出そうとする「人」たちの陰謀を阻止しようとする「鬼」たちが描かれる。いろは歌を使った暗号や、鬼の中にまぎれこんだスパイの正体など、言葉遊び的トリックが仕掛けてあって、新本格的愉しみもある。
それはいいとして、気になったのは、ストーリーそのものの大時代性とでもいうんだろうか、主人公たちは、自分のチームのためには自己犠牲を厭わず、味方の死に対して「かたきをとってやる!」と誓うのだ。これがせめて昭和の時代に書かれたものなら、そういうのもアリだろうが、今年発表されたこの本、作者の年齢も僕と対して変わらない、となれば、あまりにも感性が古すぎないか。作者がこの本で描いたような感性こそが今まで抗争、紛争、戦争を招いてきた諸悪の根源だったように思うのだ。少なくとも我々はその反省をしたうえで、若い世代に対して小説を書かねばならない。心配せずとも、このような古臭い考えは読者によって淘汰されていくのかもしれないが。せっかく歴史上、「鬼」とされていたものが、時の政権によって名付けられたものでしかない、という設定なのに、結局敵と味方という二元論で話を進めているのがどうにも歯がゆいのだ。

さて、今日はHMVにソニンが来ていたが、とうてい見れる状況じゃないだろう、と思い、パス。前回見に行ったとき、人が多すぎて何も見えなかったのだ。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

日記内を検索