先般「小説は読むが小説論を読むことは少ない」と書いたが、その空隙を埋めようと思い、『ミステリよりもおもしろいベスト・ミステリ論18』(小森収編)を読んだ。法月綸太郎の「『わが子は殺人者』解説」や、北上次郎の『冒険小説論』から2編、中条省平の「夢野久作『瓶詰地獄』書簡体を用いる」、石上三登志の『男たちのための寓話』から1編、若島正の「古典探訪」から1編など、本格から冒険小説、サスペンス、エスピオナージュ、ハードボイルド等にいたる名論考が並んでいる。
中には、北村薫(『謎物語』から)、都筑道夫(『黄色い部屋はいかに改装されたか』から)、瀬戸川猛資(『世界ミステリ全集月報』から)、丸谷才一(『深夜の散歩』から)、各務三郎(『赤い鰊のいる海』から)と、既読のものもあったが、例によって、何も覚えていなかったので、「ほほーっ」と感心しながら読めた。
意外なことに、ミステリにおける「男女」の問題が深いものだという説が多かった。しかし、それはいずれも論考としては20年以上前のものであり、現代ではどうなのか。かつてはヒーローも名探偵も男性のためのものだったが、今ではヒーローも名探偵も女性のためのものなのではないか。男性読者はヒーローも名探偵も望んでいないような気がするのだが、どうだろう。
この本の中にはミステリを読むにあたっての新たな視点を得た文章が多々あり、ミステリを読みたくなってきた。近々、読み逃している古典などを集中的に読むつもりだ。その際はこのblogに書くかどうかは未定だが、もしも書けばまさに「旬じゃない話題」が連日続くことになろう。

柴田ヨクサルの『エアマスター』22巻を読んだ。格闘はえんえんと続いている。とても面白いのだが、もともと『エアマスター』を面白いと思ったのは、ガチガチの格闘がソフトな理由で勝負がついたりする、ほのぼのとした作風だった。今ではそのおもかげもないが、かろうじて、単行本のおまけでついている「その頃誰それは」のエピソードで救われる。ドラゴンボール風の最強レベルの無限上昇じゃなくて、「おい、爆弾当たっても平気な奴が、くすぐられてギブアップなのかよ!」的展開がほしいところだ。かつての『エアマスター』にはそれがあったんだけどね。

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