春日直樹の『ミステリイは誘う』を読んだ。文化人類学者によるミステリー論だ。キーワードを5つ決めて、それぞれ章だてして論じている。キーワードは「死体、探偵、美女、手がかり、推理」で、それに基づいて「なぜ推理小説には死体が登場するのか」と言ったことや、探偵の正体、ミステリーにおける美女の意味などについて、考察されている。この本のいいところは、安易に解釈を1つに決定しないところだ。たとえば、「探偵は呪術師である」という説を展開したあとに、「しかし、ほんとうに、そうなのだろうか?」と疑問を出して、違う考え方への道を示すのだ。以前読んだ高山宏の本で、ミステリーは権力に対する批判に対するガス抜きとして作用している説を読んで、「ああ、僕は事なかれ主義の小市民だ」と思ったのだが、この本では、必ずしもそうとばかりではないことを教えてくれる。ミステリーが結末において不可解な謎の世界を日常に着地させるとしても、1回不可解世界をかいま見た経験、印象は残るのだ。ああ、僕にもまだ可能性がある!
この本に好感が持てるのは、著者のミステリー好きが伝わってくるからだろう。だから、限られた紙幅を裂いてまで綴られたエピローグの悪ノリも、「読んでいる読者の方が恥ずかしい!」と思う一方で、「こうでなくっちゃ」と認めてしまえるのだ。
僕は小説を読んだり、映画を見ることは大好きだが、「小説について」「映画について」の本などを読むことはきわめて少なかった。ミステリー論を1冊読む暇があったら、ミステリーを1冊読みたい、と思っていたのだ。速読法の本を読む時間があったら、普通に本を1冊読め、と考えるのと同様だ。まあ、こういうエッセイや評論は、そこで扱われている作品をどれだけ多く見たり読んだりしているかが、面白く読めるポイントになるので、「もっといっぱい読んでから、評論を読もう」と後まわしにしていた面もある。
この本が読みやすく、面白かったので、ミステリー論なども読んでみようかな、という気分になってきた。でも、その前に、読み残しの古典を読まなくては、なんて逆行して考えてもいるのだ。道はどれも遠く、分岐している。
この本に好感が持てるのは、著者のミステリー好きが伝わってくるからだろう。だから、限られた紙幅を裂いてまで綴られたエピローグの悪ノリも、「読んでいる読者の方が恥ずかしい!」と思う一方で、「こうでなくっちゃ」と認めてしまえるのだ。
僕は小説を読んだり、映画を見ることは大好きだが、「小説について」「映画について」の本などを読むことはきわめて少なかった。ミステリー論を1冊読む暇があったら、ミステリーを1冊読みたい、と思っていたのだ。速読法の本を読む時間があったら、普通に本を1冊読め、と考えるのと同様だ。まあ、こういうエッセイや評論は、そこで扱われている作品をどれだけ多く見たり読んだりしているかが、面白く読めるポイントになるので、「もっといっぱい読んでから、評論を読もう」と後まわしにしていた面もある。
この本が読みやすく、面白かったので、ミステリー論なども読んでみようかな、という気分になってきた。でも、その前に、読み残しの古典を読まなくては、なんて逆行して考えてもいるのだ。道はどれも遠く、分岐している。
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