今日はとくにどこにも行かず(行けず)、読み終えた本もないので、読んだ漫画の話でも。昨日と今日の2日をかけて、ハロルド作石の『BECK』を18巻まで読んだ。
どしろうとからメジャーになっていくバンド、ミュージシャンの物語で、なんとなく、先のことまで考えずに書きはじめたのではないかと思われるふしがある。「ベック」という名前は犬の名前からとったことになっているが、その犬自体が今までストーリーとはぜんぜん有機的にからんでいないし、その「ベック」をバンド名にするのだが、はっきり言って最低なネ−ミングである。既にある名前を使うなら、いっそのこと「ビートルズ」と名付けてしまった方が面白い。
さて、ストーリーの内容だが。
たとえば、CDを作ってそれがレコード店に並ぶことに喜びを感じたり、大きな野外フェスティバルに出演することに喜んだり、有名バンドに認められて喜んだり、要するに、徹底的にメジャ−志向な少年たちの話なのだ。彼らが成功と考えることのすべてが、僕にはどうでもいいことのように思えて仕方がないのだが、最近のヤングはメジャーになることをもってよしとする傾向があるのだろう。たとえば、その野外フェスだって、かつてはロックスピリットあふれるものだったが、金もうけ主義の男が噛んでから、つまらなくなった、という漫画内の設定がある。でも、その野外フェスというものの考え方(つまり、大勢の人に受け入れられる音楽を前提にしている)ことが、既に終わっている感じがする。ましてや、集客の多寡に一喜一憂するあたりが、全く履き違えているとしか思えない。ミリオンセラーのヒット曲が必ずしもいい歌ではないように、人気のあるバンドがいいバンドというわけではない。でも、彼らは、集客や、売れ行きといった結果を大事に考えているのだ。これは、学校の勉強を試験や受験のために無理矢理やるのと同じ過ちだ。(学校の勉強はそれ自体が楽しくてやるものなのだ。試験でいい点をとるとか、全国で何番になるとか、偏差値なんてつまらないことに頭を使う暇があったら、本の1冊でも読んでいた方がマシだ)一番違和感があったのは、バンドのメンバーたちが、たとえばベースなら、あのバンドのベースが凄いのでうちのバンドに引き抜こう、とかいう話になったり、「俺は、あいつのドラムでないと一緒にやる気がしない」なんて、言うことだ。つまり、メンバーのより好みをするのだ。これは全く意味がわからない。さらに、メンバーたちは、楽器のより好みまでする。ライブハウスに「伝説」なんてつけてみたり、客が少なくてやりにくいとか言ったりする。意味不明だ。
メンバーであれ、楽器であれ、ライブする場所であれ、出番であれ、より好みをするのは僕にとっては、心が狭すぎる神経症的行動にしか見えない。
なぜなら、自分がアーチストであるならば、どんな環境であろうと、自分を十全に表現できて当たり前だからだ。「どんな環境であろうと」と書いたが、環境がよければちゃんとできる、なんて思うこと自体がもうダメだと思う。環境なんて全くどうでもいいことなのだ。自分が何かを表現するにあたって、何らかの条件を必要とするなら、それはアーチストとしては未熟だと証しているだけだ。まだアーチストじゃない。
さらに、「悪条件」なんて判断を下すことは、それ自体負けなのだ。自分がステージに立てば、それだけで、そのステージは「最高」のはずだ。「悪条件」「最悪のステージ」とは、自分が出演しないステージを意味しているはずだ。
ところが、この『BECK』が面白いのは、本筋以外のところに出てくる作者のプロレス趣味が笑わせるからだ。プロレスは身を助く。
録画しておいた「中川家ん」で鈴木亜美。ASAYANのオーディションで選ばれたときの彼女の映像が出ていたが、こりゃ可愛いわ。
どしろうとからメジャーになっていくバンド、ミュージシャンの物語で、なんとなく、先のことまで考えずに書きはじめたのではないかと思われるふしがある。「ベック」という名前は犬の名前からとったことになっているが、その犬自体が今までストーリーとはぜんぜん有機的にからんでいないし、その「ベック」をバンド名にするのだが、はっきり言って最低なネ−ミングである。既にある名前を使うなら、いっそのこと「ビートルズ」と名付けてしまった方が面白い。
さて、ストーリーの内容だが。
たとえば、CDを作ってそれがレコード店に並ぶことに喜びを感じたり、大きな野外フェスティバルに出演することに喜んだり、有名バンドに認められて喜んだり、要するに、徹底的にメジャ−志向な少年たちの話なのだ。彼らが成功と考えることのすべてが、僕にはどうでもいいことのように思えて仕方がないのだが、最近のヤングはメジャーになることをもってよしとする傾向があるのだろう。たとえば、その野外フェスだって、かつてはロックスピリットあふれるものだったが、金もうけ主義の男が噛んでから、つまらなくなった、という漫画内の設定がある。でも、その野外フェスというものの考え方(つまり、大勢の人に受け入れられる音楽を前提にしている)ことが、既に終わっている感じがする。ましてや、集客の多寡に一喜一憂するあたりが、全く履き違えているとしか思えない。ミリオンセラーのヒット曲が必ずしもいい歌ではないように、人気のあるバンドがいいバンドというわけではない。でも、彼らは、集客や、売れ行きといった結果を大事に考えているのだ。これは、学校の勉強を試験や受験のために無理矢理やるのと同じ過ちだ。(学校の勉強はそれ自体が楽しくてやるものなのだ。試験でいい点をとるとか、全国で何番になるとか、偏差値なんてつまらないことに頭を使う暇があったら、本の1冊でも読んでいた方がマシだ)一番違和感があったのは、バンドのメンバーたちが、たとえばベースなら、あのバンドのベースが凄いのでうちのバンドに引き抜こう、とかいう話になったり、「俺は、あいつのドラムでないと一緒にやる気がしない」なんて、言うことだ。つまり、メンバーのより好みをするのだ。これは全く意味がわからない。さらに、メンバーたちは、楽器のより好みまでする。ライブハウスに「伝説」なんてつけてみたり、客が少なくてやりにくいとか言ったりする。意味不明だ。
メンバーであれ、楽器であれ、ライブする場所であれ、出番であれ、より好みをするのは僕にとっては、心が狭すぎる神経症的行動にしか見えない。
なぜなら、自分がアーチストであるならば、どんな環境であろうと、自分を十全に表現できて当たり前だからだ。「どんな環境であろうと」と書いたが、環境がよければちゃんとできる、なんて思うこと自体がもうダメだと思う。環境なんて全くどうでもいいことなのだ。自分が何かを表現するにあたって、何らかの条件を必要とするなら、それはアーチストとしては未熟だと証しているだけだ。まだアーチストじゃない。
さらに、「悪条件」なんて判断を下すことは、それ自体負けなのだ。自分がステージに立てば、それだけで、そのステージは「最高」のはずだ。「悪条件」「最悪のステージ」とは、自分が出演しないステージを意味しているはずだ。
ところが、この『BECK』が面白いのは、本筋以外のところに出てくる作者のプロレス趣味が笑わせるからだ。プロレスは身を助く。
録画しておいた「中川家ん」で鈴木亜美。ASAYANのオーディションで選ばれたときの彼女の映像が出ていたが、こりゃ可愛いわ。
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