表象の芸術工学、人狼
2004年7月7日 読書
病状は悪化。のどがはれてきたし、下痢はピーク。
暑さに負けてしまい、仕事の行き帰り以外に外に出ることはなかった。安静になんかしていたら、治るものも治らない。
今日読んだ本は高山宏著の『表象の芸術工学』だ。2000年度神戸芸術工科大学での講義をまとめたものだ。話しはじめたら3時間4時間当たり前、レジュメは膨大なビジュアル資料、内容は美術、文学、歴史、心理学、オカルト等々、縦横無尽に語る騙る。
ほんの4年前のことだ。神戸に聞きに行きたかった。アンテナはちゃんとはっておかないと、逃した魚は大きい。この本は講義の1割にも満たない内容なのだろうが、じゅうぶんにビジュアルも多く、闊達な語り口も堪能できる。読みたい本も一気に増えた。
かなり前に録画していた「人狼」を見た。押井守は好きで必ず見るはずなので、あえて後回しにしてしまうことが多い。「イノセンス」も見逃した。まあ、「イノセンス」は映画代がなかったから仕方がないのだが。
昭和のノスタルジックな風景の中で描かれるテロリストと官憲の虚々実々の恋愛。モチーフに選ばれたのは「赤ずきん」の物語だ。
この映画で最も重要なシーンは、うれしそうに風船を持って走っている子供が転んで、風船を空にとばしてしまうところだ。場所はアドバルーンがいくつも上がっている屋上。
重要だという1つの理由は、つながれて自由にならないアドバルーンと、自由に空に向かう風船の対比が、主人公たちの境遇をあらわしているからだ。風船で弱さもあらわしている。くさい演出だ。いや、くさいのは僕の解釈か?
しかし、それよりも重要な理由は、次の通り。
子供が風船を持って喜んで走っていたら、100%、風船を空に飛ばしてしまうものだ。これを紋切り型という。この象徴的なシーンで、この映画は何か新しい物語なのではなく、既にどこかで見た過去の映画や小説等のコラージュであることを宣言したのだ。登場人物のせりふやら物語の展開も、決まり文句やありがちな展開ばかりだし、記憶を探れば絶対に脳みその中にあるものばかりなのである。そう考えれば、なぜノスタルジックな風景を舞台設定として選んだのかもわかる。大甘のメロドラマ宣言なのだ。
なぜ主人公は少女テロリストを撃たずに自爆を許したのか、他の人物をなぜ平気で殺すことができるのか、という問題提起も、誰が敵なのかという当たり前の判断なので、誰にでもわかり深みがない。それがまさに作品の狙いと見た。
将棋の棋聖戦、佐藤棋聖が森内挑戦者を3タテ。森内時代は簡単にはやってこない。
K1は日本人びいきの判定に、視聴者全員があぜんとしたのではなかろうか。
暑さに負けてしまい、仕事の行き帰り以外に外に出ることはなかった。安静になんかしていたら、治るものも治らない。
今日読んだ本は高山宏著の『表象の芸術工学』だ。2000年度神戸芸術工科大学での講義をまとめたものだ。話しはじめたら3時間4時間当たり前、レジュメは膨大なビジュアル資料、内容は美術、文学、歴史、心理学、オカルト等々、縦横無尽に語る騙る。
ほんの4年前のことだ。神戸に聞きに行きたかった。アンテナはちゃんとはっておかないと、逃した魚は大きい。この本は講義の1割にも満たない内容なのだろうが、じゅうぶんにビジュアルも多く、闊達な語り口も堪能できる。読みたい本も一気に増えた。
かなり前に録画していた「人狼」を見た。押井守は好きで必ず見るはずなので、あえて後回しにしてしまうことが多い。「イノセンス」も見逃した。まあ、「イノセンス」は映画代がなかったから仕方がないのだが。
昭和のノスタルジックな風景の中で描かれるテロリストと官憲の虚々実々の恋愛。モチーフに選ばれたのは「赤ずきん」の物語だ。
この映画で最も重要なシーンは、うれしそうに風船を持って走っている子供が転んで、風船を空にとばしてしまうところだ。場所はアドバルーンがいくつも上がっている屋上。
重要だという1つの理由は、つながれて自由にならないアドバルーンと、自由に空に向かう風船の対比が、主人公たちの境遇をあらわしているからだ。風船で弱さもあらわしている。くさい演出だ。いや、くさいのは僕の解釈か?
しかし、それよりも重要な理由は、次の通り。
子供が風船を持って喜んで走っていたら、100%、風船を空に飛ばしてしまうものだ。これを紋切り型という。この象徴的なシーンで、この映画は何か新しい物語なのではなく、既にどこかで見た過去の映画や小説等のコラージュであることを宣言したのだ。登場人物のせりふやら物語の展開も、決まり文句やありがちな展開ばかりだし、記憶を探れば絶対に脳みその中にあるものばかりなのである。そう考えれば、なぜノスタルジックな風景を舞台設定として選んだのかもわかる。大甘のメロドラマ宣言なのだ。
なぜ主人公は少女テロリストを撃たずに自爆を許したのか、他の人物をなぜ平気で殺すことができるのか、という問題提起も、誰が敵なのかという当たり前の判断なので、誰にでもわかり深みがない。それがまさに作品の狙いと見た。
将棋の棋聖戦、佐藤棋聖が森内挑戦者を3タテ。森内時代は簡単にはやってこない。
K1は日本人びいきの判定に、視聴者全員があぜんとしたのではなかろうか。
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