アラン・バディウの『倫理 悪の意識についての試論』を読んだ。
倫理が同時多発テロ以来の大問題だというのは、一般的な認識なのだろう。
もともとへそまがりな僕は、一般に「悪」とされる事柄に対して、「何が悪い」と開き直る傾向があった。アニメ「ウラシマン」では物語のクライマックスあたりで、悪人が「悪がなぜ悪い!」と同語反復的な問いかけをするシーンがある。ドストエフスキーなどを読んでみたが、文学的に沈潜してしまい、結局は悪魔主義とか、ゴシックみたいな雰囲気に流されるのがオチだ。
アリストテレスは『ニコマコス倫理学』を、自分の子供にはこんなふうに育ってもらいたい、という観点から書いた。きわめて実践的な、今でいうハウツー本みたいなものだ。倫理の本を読んで、あまりにも難解で、いったい何をどうすればいいのかわからないようであれば、それは役立たずな、非倫理的な書物だということになる。
さて、バディウだ。
この本を読んで、倫理や悪についていろいろとはっきりしてきた。
倫理一般なんてものはない。いろんな場合について、「それについての倫理」という観点があるだけだ。つまり、「その都度考えろ!」ということなのだ。バディウの言葉を引けば「継続せよ!」と言うことなのだ。「それが善なのか悪なのかなんて、どこにも書いてないぞ」と言ってるのだ。
で、悪とは何かを3つにまとめてみると。
1、偽者への追随
2、自分の利害を優先して真理を裏切る
3、真理は複数なのに、唯一で全体的なものとする
うーむ、わかりやすい。
もっとわかりやすい言葉が本書中には散見できる。
「(現代で倫理と呼ばれているものは)実は、いわゆる『西欧』による『西欧』が所有しているものの保全なのだ」
そんな倫理なら廃れてしまえ、と思うが、バディウの言う倫理ならおおいに賛成だ。

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