2月4日、森ノ宮ピロティホールで、赤堀雅秋作・演出・出演の「世界」を見てきた。
どこにでもいるぼやき親父に、小さな町の小さな世界で日々繰り返される、どこにでもある出来事。劇的なことは起こらず、ファンタジーとも無縁なストーリー。それが愛しい物語になっているのは、日頃、ごく普通の生活をこそ、自分は見ていなかった証拠なんだと思う。日常的な生活ほど空想冒険なのだろう。
そのあと、神戸のギャラリー5で開催中の僕の個展「アババアババギャッ」でパフォーマンスとトークショー。
パフォーマンスのお品書きは、以下のとおりでした。
1.パフォーマンス始
2.アオアオ
3.物真似
4.ハートキャッチ♥️パン何個
5.BPBP
6.聾の為の音楽
トークは、僕と藤本由紀夫さん、吉岡洋さん。
どこにでもいるぼやき親父に、小さな町の小さな世界で日々繰り返される、どこにでもある出来事。劇的なことは起こらず、ファンタジーとも無縁なストーリー。それが愛しい物語になっているのは、日頃、ごく普通の生活をこそ、自分は見ていなかった証拠なんだと思う。日常的な生活ほど空想冒険なのだろう。
そのあと、神戸のギャラリー5で開催中の僕の個展「アババアババギャッ」でパフォーマンスとトークショー。
パフォーマンスのお品書きは、以下のとおりでした。
1.パフォーマンス始
2.アオアオ
3.物真似
4.ハートキャッチ♥️パン何個
5.BPBP
6.聾の為の音楽
トークは、僕と藤本由紀夫さん、吉岡洋さん。
しりあがり寿の現代美術「回・転・展」@伊丹市美術館~バリ島の影絵人形芝居「パンダワの奴らは何処へ消えた?」@神戸芸術工科大学~「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」@兵庫県立美術館
2017年1月28日 芸術
28日、伊丹市美術館に行って、しりあがり寿の現代美術「回・転・展」を見てきた。
1.マンガの代表作原画
80年代の『エレキな春』『おらぁロココだ!』掲載作品から、朝日新聞夕刊の「地球防衛家のヒトビト」まで、テーマをわけて展示してあった。
パロディ
サラリーマン・OL
ホラー
愛と死
弥次喜多
終末論
時事
イラストレーションの仕事
これら漫画を見ていると、現代美術というより、80年代から文学だったことがわかる。
2.墨絵、ゆるめ~しょん、回転作品など
墨絵は巨大な作品で、それが崩して展示してあった。
2015年に制作された金箔マンガは「大きい人」とか「よゆうこいてる女」とか、タイトルだけでも笑いの予感に満ち満ちている。
映像インスタレーションの「ゆるめ~しょん」の各作品でも人物が回転をしていて、回転展のイントロダクションにもなっていた。
展示場を変えての回転の部屋では、まずしりあがり寿さん、緒川たまきさんらが出演する「回転道場」の映像からはじまり、中に入ってみたら、ダルマやらヤカンやら、ネジなどが回り、アニメーション「まわる歴史」も流れていた。
この部屋はまさしく遊園地にあったびっくりハウスのようで、イリンクスの愉しさを味わえた。ヘルタースケルターというよりも、びっくりハウス。
地下の展示場では「回る白昼夢」と題して、日常の物がとにかく回りまくっていた。
そして薄暗い会場で展示されていた「ピリオド」は暗闇に目がなれてくると、会場奥でゆっくりと回る巨大な黒の碁石のようなものが見えてくる。なるほど、これがピリオドなのか。
特別作品として、刈谷市美術館からまわるエビフライが展示してあり、また、「回る地元」として、関西スーパーのレジかごや伊丹市交通局のバス停、小西酒造の酒樽が回っていた。
こうして見ると、マンガの原画以外はだいたい回転したり、動きがあったりする作品が多く、現代美術の特徴のひとつである「動き」をそれだけ抽出しても美術たりうるのかを問いかけてもいるようだった。
面白かった!
http://saruhage.com/kaiten/
神戸芸術工科大学クリエイティブセンターに行って、バリ島の影絵人形芝居「パンダワの奴らは何処へ消えた?」─ウィラタ国に身をひそめるパンダワ五兄弟の物語─を見てきた。
まず、杉浦康平さんによる映像をつかった、アジアの山車の紹介。
これは、最近読んだばかりの『動く山』で記されていたもので、その本もカラーページや図版が豊富で楽しかったが、実際に動く映像を見ると感動もひとしおだった
中国の抬閣、インドの寺院馬車、イランのナクル(糸杉の形の巨大な山車)、その他、ミャンマーの黄金の霊鳥船山車、バリのガルーダ葬儀山車、タイの象葬儀山車など。
すごいのは、これら葬儀山車は、遺体を動物の形の柩(?)に入れて練り歩いたあと、焼いてしまうところ。砂のマンダラといい、作り上げた壮麗なものを惜しげもなく崩してなくしてしまう。この姿勢に感銘を受けて、というか、僕もそういう姿勢であることが多いので、近々ある個展のために作った作品は、個展の終わりとともに、焼くなりして捨ててしまおうか、と思い立った。
当日配られたフライヤーに、工作舎刊の『霊獣が運ぶアジアの山車』もあった。内容をみると、僕が読んだ『動く山』がタイトル変えただけのような気もするが、また確認しておこう。
杉浦さんのレクチャー(これだけでも神戸に行った甲斐はあったというもの!)のあとは、いよいよワヤン上演。
マハ・バーラタ物語からのストーリー。
第一幕:パンダワの五兄弟、ウィラタ国に身をひそめる
第二幕:パンダワの奴らはどこにいる?-コラワの合議
第三幕:北の国境にて-国王マツィオパティの出陣
第四幕:東の国境にて-王子ウッタラの出陣
事前に簡単なストーリー解説があったせいか、今回見たワヤンは、今までに何度か見たワヤンのなかでもわかりやすく、手に汗握って見ることができた。
音楽も人形の美術もすばらしいが、基本は話芸であり、物語のなかで学校の話が出てきたり、時事ネタがはさまれていたりするところは、まさに落語のようだった。
最初は椅子席でちんまりと見ていたのだが、影絵のスクリーンの裏にまわって演奏や人形使いの様子を見に行ったりして、もう前のほうの桟敷で坐って観劇した。リラックスして見れたのが楽しさの一因だったのかもしれない。
季節ごとに、祭りのようにワヤン上演をしてくれたら、さぞや楽しいだろうな、と感じた。神戸だけでなく、大阪でも!
http://www.kobe-du.ac.jp/2017/01/54475/
兵庫県立美術館で「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」を見てきた。アドルフ・ヴェルフリは人生の半分以上を精神病院で過ごした男で、その作品を見ると、絵に記号に印に音符に文字に切り抜き貼り付けに、と、空間をとにかく埋めて埋めて埋めまくる典型的なアール・ブリュットともいえそうなものだった。過剰な創作意欲で、1日で鉛筆を1本使いきったりしていたらしい。
作品を見て受けた印象は、これら作品はまるで思春期の男子が何を見てもセックスに結び付けたくなるような情熱、というか、どうしようもないパワーで描かれていて、それらは作品を描くというよりも、作業と呼ぶに等しいものだったんじゃないか、ということだった。実際、仕事でデスクワークしていると、このアドルフ・ヴェルフリの作品にも似たグラフや表、データの打ち込みなどを日々実践していることに気づく。
1章:初期のドローイング/楽譜(1904-1907)
2章:『揺りかごから墓場まで』(1908-1912)
3章:『地理と代数の書』(1912-1916)
4章:『歌と舞曲の書』(1917-1922)/『歌と行進のアルバム』(1924-1928)
5章:『葬送行進曲』(1928-1930)
6章:ブロートクンスト-日々の糧のための作品(1916-1930)
途中、アドルフ・ヴェルフリの「アルファベット・シリーズ」をパッドの操作で見ることが出来たり、映像資料として、ベルンハルト・ルギンヒュール監督による「芸術家アドルフ・ヴェルフリ」、メレット・マッターの朗読による「葬送行進曲」、あと、本のページをめくって見せてくれる映像があった。
これらの映像資料が非常に面白くて、これなら1日中、美術館のなかにいても快適に過ごせるんじゃないかと思えるほどだった。『葬送行進曲』の朗読をずっと聞いていたいという誘惑にもとらわれる。
しかし、強姦未遂でとりおさえられて病院送りになった、というエピソードはなんとも単なるおっさん的だなあ、と思ったのも確かで、映像資料で見たティンゲリーの一筋縄ではいかない狂いっぷりを見ると、アドルフ・ヴェルフリの純朴さがきわだった。
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1701/
1.マンガの代表作原画
80年代の『エレキな春』『おらぁロココだ!』掲載作品から、朝日新聞夕刊の「地球防衛家のヒトビト」まで、テーマをわけて展示してあった。
パロディ
サラリーマン・OL
ホラー
愛と死
弥次喜多
終末論
時事
イラストレーションの仕事
これら漫画を見ていると、現代美術というより、80年代から文学だったことがわかる。
2.墨絵、ゆるめ~しょん、回転作品など
墨絵は巨大な作品で、それが崩して展示してあった。
2015年に制作された金箔マンガは「大きい人」とか「よゆうこいてる女」とか、タイトルだけでも笑いの予感に満ち満ちている。
映像インスタレーションの「ゆるめ~しょん」の各作品でも人物が回転をしていて、回転展のイントロダクションにもなっていた。
展示場を変えての回転の部屋では、まずしりあがり寿さん、緒川たまきさんらが出演する「回転道場」の映像からはじまり、中に入ってみたら、ダルマやらヤカンやら、ネジなどが回り、アニメーション「まわる歴史」も流れていた。
この部屋はまさしく遊園地にあったびっくりハウスのようで、イリンクスの愉しさを味わえた。ヘルタースケルターというよりも、びっくりハウス。
地下の展示場では「回る白昼夢」と題して、日常の物がとにかく回りまくっていた。
そして薄暗い会場で展示されていた「ピリオド」は暗闇に目がなれてくると、会場奥でゆっくりと回る巨大な黒の碁石のようなものが見えてくる。なるほど、これがピリオドなのか。
特別作品として、刈谷市美術館からまわるエビフライが展示してあり、また、「回る地元」として、関西スーパーのレジかごや伊丹市交通局のバス停、小西酒造の酒樽が回っていた。
こうして見ると、マンガの原画以外はだいたい回転したり、動きがあったりする作品が多く、現代美術の特徴のひとつである「動き」をそれだけ抽出しても美術たりうるのかを問いかけてもいるようだった。
面白かった!
http://saruhage.com/kaiten/
神戸芸術工科大学クリエイティブセンターに行って、バリ島の影絵人形芝居「パンダワの奴らは何処へ消えた?」─ウィラタ国に身をひそめるパンダワ五兄弟の物語─を見てきた。
まず、杉浦康平さんによる映像をつかった、アジアの山車の紹介。
これは、最近読んだばかりの『動く山』で記されていたもので、その本もカラーページや図版が豊富で楽しかったが、実際に動く映像を見ると感動もひとしおだった
中国の抬閣、インドの寺院馬車、イランのナクル(糸杉の形の巨大な山車)、その他、ミャンマーの黄金の霊鳥船山車、バリのガルーダ葬儀山車、タイの象葬儀山車など。
すごいのは、これら葬儀山車は、遺体を動物の形の柩(?)に入れて練り歩いたあと、焼いてしまうところ。砂のマンダラといい、作り上げた壮麗なものを惜しげもなく崩してなくしてしまう。この姿勢に感銘を受けて、というか、僕もそういう姿勢であることが多いので、近々ある個展のために作った作品は、個展の終わりとともに、焼くなりして捨ててしまおうか、と思い立った。
当日配られたフライヤーに、工作舎刊の『霊獣が運ぶアジアの山車』もあった。内容をみると、僕が読んだ『動く山』がタイトル変えただけのような気もするが、また確認しておこう。
杉浦さんのレクチャー(これだけでも神戸に行った甲斐はあったというもの!)のあとは、いよいよワヤン上演。
マハ・バーラタ物語からのストーリー。
第一幕:パンダワの五兄弟、ウィラタ国に身をひそめる
第二幕:パンダワの奴らはどこにいる?-コラワの合議
第三幕:北の国境にて-国王マツィオパティの出陣
第四幕:東の国境にて-王子ウッタラの出陣
事前に簡単なストーリー解説があったせいか、今回見たワヤンは、今までに何度か見たワヤンのなかでもわかりやすく、手に汗握って見ることができた。
音楽も人形の美術もすばらしいが、基本は話芸であり、物語のなかで学校の話が出てきたり、時事ネタがはさまれていたりするところは、まさに落語のようだった。
最初は椅子席でちんまりと見ていたのだが、影絵のスクリーンの裏にまわって演奏や人形使いの様子を見に行ったりして、もう前のほうの桟敷で坐って観劇した。リラックスして見れたのが楽しさの一因だったのかもしれない。
季節ごとに、祭りのようにワヤン上演をしてくれたら、さぞや楽しいだろうな、と感じた。神戸だけでなく、大阪でも!
http://www.kobe-du.ac.jp/2017/01/54475/
兵庫県立美術館で「アドルフ・ヴェルフリ 二萬五千頁の王国」を見てきた。アドルフ・ヴェルフリは人生の半分以上を精神病院で過ごした男で、その作品を見ると、絵に記号に印に音符に文字に切り抜き貼り付けに、と、空間をとにかく埋めて埋めて埋めまくる典型的なアール・ブリュットともいえそうなものだった。過剰な創作意欲で、1日で鉛筆を1本使いきったりしていたらしい。
作品を見て受けた印象は、これら作品はまるで思春期の男子が何を見てもセックスに結び付けたくなるような情熱、というか、どうしようもないパワーで描かれていて、それらは作品を描くというよりも、作業と呼ぶに等しいものだったんじゃないか、ということだった。実際、仕事でデスクワークしていると、このアドルフ・ヴェルフリの作品にも似たグラフや表、データの打ち込みなどを日々実践していることに気づく。
1章:初期のドローイング/楽譜(1904-1907)
2章:『揺りかごから墓場まで』(1908-1912)
3章:『地理と代数の書』(1912-1916)
4章:『歌と舞曲の書』(1917-1922)/『歌と行進のアルバム』(1924-1928)
5章:『葬送行進曲』(1928-1930)
6章:ブロートクンスト-日々の糧のための作品(1916-1930)
途中、アドルフ・ヴェルフリの「アルファベット・シリーズ」をパッドの操作で見ることが出来たり、映像資料として、ベルンハルト・ルギンヒュール監督による「芸術家アドルフ・ヴェルフリ」、メレット・マッターの朗読による「葬送行進曲」、あと、本のページをめくって見せてくれる映像があった。
これらの映像資料が非常に面白くて、これなら1日中、美術館のなかにいても快適に過ごせるんじゃないかと思えるほどだった。『葬送行進曲』の朗読をずっと聞いていたいという誘惑にもとらわれる。
しかし、強姦未遂でとりおさえられて病院送りになった、というエピソードはなんとも単なるおっさん的だなあ、と思ったのも確かで、映像資料で見たティンゲリーの一筋縄ではいかない狂いっぷりを見ると、アドルフ・ヴェルフリの純朴さがきわだった。
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1701/
第1回文学フリマ京都@みやこめっせ~とくおかまほ個展「恋愛」@KUNST ARTZ~「華厳の世界~『華厳経』と南方マンダラ」@響都ホール~カワイオカムラ展覧会「ムード・ホール」@@KCUA
2017年1月22日 芸術
京都市勧業館みやこめっせで開催された「第1回文学フリマ京都」をのぞいてきた。
京都らしく、和装の体験コーナーや、京都グッズ販売もあり、また妖怪堂雑貨販売と百鬼夜行絵巻展示もあった。
アトリエサードや、垂野創一郎氏のエディション・プヒプヒなども出店しており、スイッチ入ったらいくらでも買いあさってしまいそうな予感に翻弄された。
試し読みコーナーでひととおりジャブを繰り出してみるが、面白そうな本が多くて、いやまさに読書欲はかきたてられる。
結局、試し読みで何が何やらさっぱりわからなかった『gamu vol.2』と、実験アキレスの勝さんが出していた歌集の最新刊を買った。
『gamu』の雨宮音夢氏の長編力作「天地創造」は、因果律の定義からはじまっていて、なにやらビビッときたのは、文学フリマのあとに行く予定にしている「華厳経と南方マンダラ」からの磁力だったかもしれない。華厳の世界では、因果を越える縁起について語られることになったからだ。
あと、各ブースからの目に見えないおいてけ堀の招く手を振り切って、会場を後にした。
地域アートに関するシンポジウムや、哲学サロン、ライブといったイベントも魅力的で、時間がなくて参加できなかったのが、なんとも残念だった。
http://bunfree.net/?kyoto_bun01
京都東山のKUNST ARTZでとくおかまほ個展「恋愛」見てきた。
展覧会の紹介文に「タブーを恐れない大胆な表現を通して、偽善社会を嗤う」とあった。確かに!
性や政治にからんだ表現をとっていたが、その発想が批判とかいう次元のものを越えていて、面白い。笑った。
場所、文脈を変えることで、驚きをもたらすアートで、各作品ごとに「なんでやねん」とツッコミを入れたくもなる。ある意味、転用の面白さで、すわシチュアシオニストの今の展開かと興奮もした。
http://kunstarzt.com/Artist/TOKUOKA/TOKUOKA.htm
京都の響都ホールで学術講演会「華厳の世界~『華厳経』と南方マンダラ」聞きにいってきた。
プログラムは次のとおり。
総合司会:亀山隆彦(世界仏教文化研究センターリサーチ・アシスタント)
開会挨拶:能仁正顕(世界仏教文化研究センター長)
イントロダクション:「南方熊楠とは何者か」唐澤太輔(世界仏教文化研究センター博士研究員)
講演:「『華厳経』と南方マンダラ」中沢新一(明治大学野生の科学研究所所長)
鼎談:中沢新一、唐澤太輔、野呂靖(龍谷大学文学部講師)
唐澤氏によるイントロでは、熊楠の異名の多さから、柳田國男による「日本人の可能性の極限」の熊楠像を語られた。
中沢氏は「レンマ科学の創造にむけて-発端としての南方熊楠-」と題した講演をされた。
1.現代の「ノヴム・オルガヌム」としてのレンマ科学
2.南方熊楠は新しい論理機関(ノヴム・オルガヌム)を備えた「新しい学」が創造されなければならないと考えていた。
3.「新しい学」の土台に据えられるのは「縁起の論理」である。
4.「ロゴス」と「レンマ」
5.「縁起の論理」としての「レンマ」
6.四種法界
7.「四種法界」と南方熊楠「五種不思議」の対応
ノブム・オルガヌムは、フランシス・ベーコンの試みで、それをさらに拡張したレンマ科学について語られた。
言語の深層構造に合致する「ロゴス」(原義は「目の前にあるものを並べる」)が西欧科学を支えてきたギリシア~アリストテレス論理であるのに対して、「レンマ」(原義は「ひと掴みにする」「まるごとすくいとる」)は、部分と全体、主客を全体性でとらえ、すべての事象は縁起によって起こる、とする大乗仏教の論理である。
華厳経はそれ自体非常にとらえづらいものだが、唐代の法蔵は『華厳五教章』で華厳経のエッセンスを天才的にピックアップし、それを熊楠も読んでいた、というので、ちょっと読んでみたくもなった。
鼎談では、野呂氏による華厳の解説や、唐澤氏が作成した「南方マンダラ解釈図」について、など。熊楠研究に対する西日本と東日本の違いなども語られた。
悟りへの道筋を語る際に、「通路」という用語を使ったのは道元と凝然だけだ、という野呂氏の発見や、熊楠が顕微鏡で粘菌などを見ることが一種の瞑想体験だったのではないか、など、話題は時間を超過して、いくらでも出てきていた。
中沢氏によると、瞑想によって得られる心の状態は、裸眼立体視で像が浮かび上がるときの感覚に似ている、ということだった。
中沢氏は、若い研究者に「これからは華厳だ!」とハッパをかけるようなスタンスだったようだ。奈良時代以降、華厳についてはそれほど研究が深化していない、というのだ。中沢氏によると、華厳でいう「事々無凝法界」(理と事とばかりでなく、事と事がまた相即相入して、一即一切・一切即一となり、円融無凝なる世界をなす)に一番迫ったのは量子力学で、しかし、その地点からかれこれ百年近く、進展がない。そろそろ飛躍の起こりそうな時機を迎えているんじゃないか、と述べられていた。中沢氏は熊楠のいう「大日如来大不思議」の大日となって若手を導こうとしているのだ、というようなことを冗談で言われていた。
ユーモアたっぷりで、しかも刺激的なイベントだったように思う。
テレビで心配していた中沢氏の語りも明晰そのもので、安心した。
http://rcwbc.ryukoku.ac.jp/activity/lecture
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAでカワイオカムラ展覧会「ムード・ホール」を見てきた。
ライトボックスにペインティングの作品からはじまり、家のアルバムを見せられているような「カワイオカムラ年譜」、作成した人形の「肖像写真」、映像作品に登場するキャラクターの人形「Y.I.ロードブレアース」をはさみながら、映像作品をいちどきに見れる個展だった。
映像作品は、以下のとおり。
「コロンボス」2012(刑事コロンボ)
「ヘコヒョン・ドリル」2002
「HOLY & CHEAP」1999(やすし・きよし!英訳するとこうなるか)
「ヘッドレス3001シリーズ」2001(プロレス好きにはたまらん)
「ヘコヒョン7」2004
「AIRS」2005
「ヘコヒョン・ナイン」2009
「ムード・ホール」2016
まるで「フィクション」のような「ヘコヒョン」という言葉が出てくると、脱臼しているがちょっと芸術や主張っぽいものがうっすら感じられてくる。
しかし、漫才、プロレス、刑事ドラマ、といったテレビからインスピレーションを受けた作品が多いのは、男子中学生の大好きなものがそのまんまアートに昇華したような面白さだった。イベントやライブは見に行けなかったけど、きっと面白かったんだろうなあ。
http://gallery.kcua.ac.jp/exhibitions/20161217_id=8760#ja
京都らしく、和装の体験コーナーや、京都グッズ販売もあり、また妖怪堂雑貨販売と百鬼夜行絵巻展示もあった。
アトリエサードや、垂野創一郎氏のエディション・プヒプヒなども出店しており、スイッチ入ったらいくらでも買いあさってしまいそうな予感に翻弄された。
試し読みコーナーでひととおりジャブを繰り出してみるが、面白そうな本が多くて、いやまさに読書欲はかきたてられる。
結局、試し読みで何が何やらさっぱりわからなかった『gamu vol.2』と、実験アキレスの勝さんが出していた歌集の最新刊を買った。
『gamu』の雨宮音夢氏の長編力作「天地創造」は、因果律の定義からはじまっていて、なにやらビビッときたのは、文学フリマのあとに行く予定にしている「華厳経と南方マンダラ」からの磁力だったかもしれない。華厳の世界では、因果を越える縁起について語られることになったからだ。
あと、各ブースからの目に見えないおいてけ堀の招く手を振り切って、会場を後にした。
地域アートに関するシンポジウムや、哲学サロン、ライブといったイベントも魅力的で、時間がなくて参加できなかったのが、なんとも残念だった。
http://bunfree.net/?kyoto_bun01
京都東山のKUNST ARTZでとくおかまほ個展「恋愛」見てきた。
展覧会の紹介文に「タブーを恐れない大胆な表現を通して、偽善社会を嗤う」とあった。確かに!
性や政治にからんだ表現をとっていたが、その発想が批判とかいう次元のものを越えていて、面白い。笑った。
場所、文脈を変えることで、驚きをもたらすアートで、各作品ごとに「なんでやねん」とツッコミを入れたくもなる。ある意味、転用の面白さで、すわシチュアシオニストの今の展開かと興奮もした。
http://kunstarzt.com/Artist/TOKUOKA/TOKUOKA.htm
京都の響都ホールで学術講演会「華厳の世界~『華厳経』と南方マンダラ」聞きにいってきた。
プログラムは次のとおり。
総合司会:亀山隆彦(世界仏教文化研究センターリサーチ・アシスタント)
開会挨拶:能仁正顕(世界仏教文化研究センター長)
イントロダクション:「南方熊楠とは何者か」唐澤太輔(世界仏教文化研究センター博士研究員)
講演:「『華厳経』と南方マンダラ」中沢新一(明治大学野生の科学研究所所長)
鼎談:中沢新一、唐澤太輔、野呂靖(龍谷大学文学部講師)
唐澤氏によるイントロでは、熊楠の異名の多さから、柳田國男による「日本人の可能性の極限」の熊楠像を語られた。
中沢氏は「レンマ科学の創造にむけて-発端としての南方熊楠-」と題した講演をされた。
1.現代の「ノヴム・オルガヌム」としてのレンマ科学
2.南方熊楠は新しい論理機関(ノヴム・オルガヌム)を備えた「新しい学」が創造されなければならないと考えていた。
3.「新しい学」の土台に据えられるのは「縁起の論理」である。
4.「ロゴス」と「レンマ」
5.「縁起の論理」としての「レンマ」
6.四種法界
7.「四種法界」と南方熊楠「五種不思議」の対応
ノブム・オルガヌムは、フランシス・ベーコンの試みで、それをさらに拡張したレンマ科学について語られた。
言語の深層構造に合致する「ロゴス」(原義は「目の前にあるものを並べる」)が西欧科学を支えてきたギリシア~アリストテレス論理であるのに対して、「レンマ」(原義は「ひと掴みにする」「まるごとすくいとる」)は、部分と全体、主客を全体性でとらえ、すべての事象は縁起によって起こる、とする大乗仏教の論理である。
華厳経はそれ自体非常にとらえづらいものだが、唐代の法蔵は『華厳五教章』で華厳経のエッセンスを天才的にピックアップし、それを熊楠も読んでいた、というので、ちょっと読んでみたくもなった。
鼎談では、野呂氏による華厳の解説や、唐澤氏が作成した「南方マンダラ解釈図」について、など。熊楠研究に対する西日本と東日本の違いなども語られた。
悟りへの道筋を語る際に、「通路」という用語を使ったのは道元と凝然だけだ、という野呂氏の発見や、熊楠が顕微鏡で粘菌などを見ることが一種の瞑想体験だったのではないか、など、話題は時間を超過して、いくらでも出てきていた。
中沢氏によると、瞑想によって得られる心の状態は、裸眼立体視で像が浮かび上がるときの感覚に似ている、ということだった。
中沢氏は、若い研究者に「これからは華厳だ!」とハッパをかけるようなスタンスだったようだ。奈良時代以降、華厳についてはそれほど研究が深化していない、というのだ。中沢氏によると、華厳でいう「事々無凝法界」(理と事とばかりでなく、事と事がまた相即相入して、一即一切・一切即一となり、円融無凝なる世界をなす)に一番迫ったのは量子力学で、しかし、その地点からかれこれ百年近く、進展がない。そろそろ飛躍の起こりそうな時機を迎えているんじゃないか、と述べられていた。中沢氏は熊楠のいう「大日如来大不思議」の大日となって若手を導こうとしているのだ、というようなことを冗談で言われていた。
ユーモアたっぷりで、しかも刺激的なイベントだったように思う。
テレビで心配していた中沢氏の語りも明晰そのもので、安心した。
http://rcwbc.ryukoku.ac.jp/activity/lecture
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAでカワイオカムラ展覧会「ムード・ホール」を見てきた。
ライトボックスにペインティングの作品からはじまり、家のアルバムを見せられているような「カワイオカムラ年譜」、作成した人形の「肖像写真」、映像作品に登場するキャラクターの人形「Y.I.ロードブレアース」をはさみながら、映像作品をいちどきに見れる個展だった。
映像作品は、以下のとおり。
「コロンボス」2012(刑事コロンボ)
「ヘコヒョン・ドリル」2002
「HOLY & CHEAP」1999(やすし・きよし!英訳するとこうなるか)
「ヘッドレス3001シリーズ」2001(プロレス好きにはたまらん)
「ヘコヒョン7」2004
「AIRS」2005
「ヘコヒョン・ナイン」2009
「ムード・ホール」2016
まるで「フィクション」のような「ヘコヒョン」という言葉が出てくると、脱臼しているがちょっと芸術や主張っぽいものがうっすら感じられてくる。
しかし、漫才、プロレス、刑事ドラマ、といったテレビからインスピレーションを受けた作品が多いのは、男子中学生の大好きなものがそのまんまアートに昇華したような面白さだった。イベントやライブは見に行けなかったけど、きっと面白かったんだろうなあ。
http://gallery.kcua.ac.jp/exhibitions/20161217_id=8760#ja
1月15日、今日は1日、国立国際美術館にいたような。
国立国際美術館で、ボリス・グロイス来日記念講演シリーズ「アートに力(パワー)は内在するか?」の大阪イベント「アートと共同性」を聞いてきた。最初にことわっておくが、この講演の内容はほとんど頭に入っていないので、どなたかのレポートを心待ちに待っている。せめて当日配信された動画をもう1回見れないものか、と希望する。
ボリス・グロイス
田中功起(アーティスト)
石田圭子(神戸大学)
モデレータ:アンドリュー・マークル(ART iT)
通訳:横田佳世子
まず田中氏は、「アートと共同性」を「共同体」と読み替えて、自らのプロジェクトを紹介。
ボリス・グロイスの『アート・パワー』の翻訳者のひとりでもある石田准教授は「アートにおける『美学の平等性』と『プロパガンダ』をめぐって」と題し、大浦伸行「遠近を抱えて」、小野具定「第二ブーゲンビル島沖航空戦」、会田誠「ここは誰の場所?」を例にとり、平等性とプロパガンダという相反するものの関係をテーマに問題提起された。アートの成功例として、シュリンゲンジーフの「オーストリアを愛せよ」をあげられていた。
ボリス・グロイスの応答を受けてディスカッション、質疑応答。
アートと批評の密接な関係を説くボリス・グロイスは、レニ・リーフェンシュタールの批評性を認め、アートにおいては今ここへの関わりだけでなく、未来からの目を担保して作品がつくられると言う。
全体に「参加型アート」と言ったときにボリス・グロイスがどういうものを想定しているのかが、うまくつかめず、議論がよく頭に入ってこなかったのが僕の限界だったが、聞いていて頭に「?」を浮かべながらも楽しかった。
質疑応答では、アートの新しい観客はどのようなものであるのか、や、批評についてなどが聴衆から質問された。
ボリス・グロイスは、デリダのように、なんでもかんでも批判するスタンスが好きなのだと言い、会場には笑いも起きていた。
http://groysinjapan.tumblr.com/
国立国際美術館B3Fでアカデミア美術館所蔵「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」を見てきた。
フィレンツェについで15世紀から17世紀に展開されたヴェネツィアのルネサンス美術の展覧会。
1.ルネサンスの黎明-15世紀の画家たち
ベッリーニ、バスティアーニ、クリヴェッリ、カルパッチョなど
2.黄金時代の幕開け-ティチアーノとその周辺
日本初公開になるティチアーノ・ヴェチェッリオの「受胎告知」のほか、ロッコ・マルコーニ、ボニファーチョ・ヴェロネーゼ、パリス・ボルドーネなど。
3.三人の巨匠たち-ティントレット、ヴェロネーゼ、バッサーノ
ヤコポ・ティントレット、ヤコポ・パッサーノ、パオロ・ヴェロネーゼの他、アンドレア・スキアヴォーネ。
4.ヴェネツィアの肖像画
マルコ・バザイーティ、カリアーニ、ベルナルディーノ・リチーニオなどの他、ヤコポ・ティントレットの作品も。
5.ルネサンスの終焉-巨匠たちの後継者
アンドレア・ヴィチェンティーノ、パルマ・イル・ジョーヴァネ、ドメニコ・ティントレット、パドヴァニーノなど。
つい昨日、SUNABAギャラリーでの鈴木創士さんのトークショーでもルネサンスが語られており、タイムリーな展覧会だと思った。もちろん描かれているのは聖母子や受胎告知、ノアの箱舟、アベルを殺害するカイン、放蕩息子の帰還、キリストの復活、枢機卿や財務官の肖像であって、不衛生きわまりない生活の場は描かれてはいなかったわけだが。
http://www.tbs.co.jp/venice2016/outline/osaka.html
国立国際美術館B2Fで「THE PLAY since1967 まだ見ぬ流れの彼方へ」を見てきた。
10年間落雷を待ち続けた「雷」や、矢印形の筏を使った「現代美術の流れ」といった代表作をはじめ、海に巨大な卵を浮かべる「VOYAGE:Happening In An Egg」、山に白い十字の「白十字宣言」、黄色いパイプをたてる「イエローパイプ」、旗をたてる「旗」、羊をつれて歩く「羊飼い」、「口永良部のまるいくぼ地をみにいく」「屋久島海面を切り取る」など、行動の記録、個展の資料などが集められていた。
会場内には「現代美術の流れ」のイカダや、「雷」の木組みや、「IE:THE PLAY HAVE A HOUSE」の家が再現されていた。
また、記録映像も流されており、音声記録も聞けた。
THE PLAYは関西を拠点に活動しており、音声記録聞いていると、関西弁で語られているのがなんとも親近感がわく。その音声記録で、彼らのやっていることは「ハプニング」と言われているが、一般に言う「ハプニング」とは随分違うことをしていて、なんと名づけていいやらわからず考え中、とか言ってた。
本来、形の残らない行為をしつづけてきたTHE PLAYが、こうして資料や記録で追体験、回顧できるのは非常に貴重だった。なんでも残しておかないといけないな、と感じた。いや、逆に、記録や記憶によって、それがアートたりえているのかも、とかいろいろ考えた。
そして、1969年に3号まで出た「PLAY新聞」の特別号が新たに出ており、自由に持ち帰ることができた。これはうれしい。内容はメンバーによる「私とプレイ」というざっくりとしたテーマによるレポートだった。
肩の力を抜いていて、しかも行動力は充分、というこのありようは、見習いたい。
http://www.nmao.go.jp/exhibition/2016/play.html
今朝は「大相撲今日の取組」~「サエキけんぞうの素晴らしき80’s:山下達郎」~「現代の音楽:スティーブ・ライヒ」~「NHK杯将棋トーナメント:佐藤名人VS渡辺竜王」と、テレビ、ラジオともNHKの午前を過ごし、あとは美術館。
図書館にも本を返しにだけ行った。
寒波到来で寒さに弱い僕はほとんど行動力HPが0に近い。早く暖かくなってくれないものか。
国立国際美術館で、ボリス・グロイス来日記念講演シリーズ「アートに力(パワー)は内在するか?」の大阪イベント「アートと共同性」を聞いてきた。最初にことわっておくが、この講演の内容はほとんど頭に入っていないので、どなたかのレポートを心待ちに待っている。せめて当日配信された動画をもう1回見れないものか、と希望する。
ボリス・グロイス
田中功起(アーティスト)
石田圭子(神戸大学)
モデレータ:アンドリュー・マークル(ART iT)
通訳:横田佳世子
まず田中氏は、「アートと共同性」を「共同体」と読み替えて、自らのプロジェクトを紹介。
ボリス・グロイスの『アート・パワー』の翻訳者のひとりでもある石田准教授は「アートにおける『美学の平等性』と『プロパガンダ』をめぐって」と題し、大浦伸行「遠近を抱えて」、小野具定「第二ブーゲンビル島沖航空戦」、会田誠「ここは誰の場所?」を例にとり、平等性とプロパガンダという相反するものの関係をテーマに問題提起された。アートの成功例として、シュリンゲンジーフの「オーストリアを愛せよ」をあげられていた。
ボリス・グロイスの応答を受けてディスカッション、質疑応答。
アートと批評の密接な関係を説くボリス・グロイスは、レニ・リーフェンシュタールの批評性を認め、アートにおいては今ここへの関わりだけでなく、未来からの目を担保して作品がつくられると言う。
全体に「参加型アート」と言ったときにボリス・グロイスがどういうものを想定しているのかが、うまくつかめず、議論がよく頭に入ってこなかったのが僕の限界だったが、聞いていて頭に「?」を浮かべながらも楽しかった。
質疑応答では、アートの新しい観客はどのようなものであるのか、や、批評についてなどが聴衆から質問された。
ボリス・グロイスは、デリダのように、なんでもかんでも批判するスタンスが好きなのだと言い、会場には笑いも起きていた。
http://groysinjapan.tumblr.com/
国立国際美術館B3Fでアカデミア美術館所蔵「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」を見てきた。
フィレンツェについで15世紀から17世紀に展開されたヴェネツィアのルネサンス美術の展覧会。
1.ルネサンスの黎明-15世紀の画家たち
ベッリーニ、バスティアーニ、クリヴェッリ、カルパッチョなど
2.黄金時代の幕開け-ティチアーノとその周辺
日本初公開になるティチアーノ・ヴェチェッリオの「受胎告知」のほか、ロッコ・マルコーニ、ボニファーチョ・ヴェロネーゼ、パリス・ボルドーネなど。
3.三人の巨匠たち-ティントレット、ヴェロネーゼ、バッサーノ
ヤコポ・ティントレット、ヤコポ・パッサーノ、パオロ・ヴェロネーゼの他、アンドレア・スキアヴォーネ。
4.ヴェネツィアの肖像画
マルコ・バザイーティ、カリアーニ、ベルナルディーノ・リチーニオなどの他、ヤコポ・ティントレットの作品も。
5.ルネサンスの終焉-巨匠たちの後継者
アンドレア・ヴィチェンティーノ、パルマ・イル・ジョーヴァネ、ドメニコ・ティントレット、パドヴァニーノなど。
つい昨日、SUNABAギャラリーでの鈴木創士さんのトークショーでもルネサンスが語られており、タイムリーな展覧会だと思った。もちろん描かれているのは聖母子や受胎告知、ノアの箱舟、アベルを殺害するカイン、放蕩息子の帰還、キリストの復活、枢機卿や財務官の肖像であって、不衛生きわまりない生活の場は描かれてはいなかったわけだが。
http://www.tbs.co.jp/venice2016/outline/osaka.html
国立国際美術館B2Fで「THE PLAY since1967 まだ見ぬ流れの彼方へ」を見てきた。
10年間落雷を待ち続けた「雷」や、矢印形の筏を使った「現代美術の流れ」といった代表作をはじめ、海に巨大な卵を浮かべる「VOYAGE:Happening In An Egg」、山に白い十字の「白十字宣言」、黄色いパイプをたてる「イエローパイプ」、旗をたてる「旗」、羊をつれて歩く「羊飼い」、「口永良部のまるいくぼ地をみにいく」「屋久島海面を切り取る」など、行動の記録、個展の資料などが集められていた。
会場内には「現代美術の流れ」のイカダや、「雷」の木組みや、「IE:THE PLAY HAVE A HOUSE」の家が再現されていた。
また、記録映像も流されており、音声記録も聞けた。
THE PLAYは関西を拠点に活動しており、音声記録聞いていると、関西弁で語られているのがなんとも親近感がわく。その音声記録で、彼らのやっていることは「ハプニング」と言われているが、一般に言う「ハプニング」とは随分違うことをしていて、なんと名づけていいやらわからず考え中、とか言ってた。
本来、形の残らない行為をしつづけてきたTHE PLAYが、こうして資料や記録で追体験、回顧できるのは非常に貴重だった。なんでも残しておかないといけないな、と感じた。いや、逆に、記録や記憶によって、それがアートたりえているのかも、とかいろいろ考えた。
そして、1969年に3号まで出た「PLAY新聞」の特別号が新たに出ており、自由に持ち帰ることができた。これはうれしい。内容はメンバーによる「私とプレイ」というざっくりとしたテーマによるレポートだった。
肩の力を抜いていて、しかも行動力は充分、というこのありようは、見習いたい。
http://www.nmao.go.jp/exhibition/2016/play.html
今朝は「大相撲今日の取組」~「サエキけんぞうの素晴らしき80’s:山下達郎」~「現代の音楽:スティーブ・ライヒ」~「NHK杯将棋トーナメント:佐藤名人VS渡辺竜王」と、テレビ、ラジオともNHKの午前を過ごし、あとは美術館。
図書館にも本を返しにだけ行った。
寒波到来で寒さに弱い僕はほとんど行動力HPが0に近い。早く暖かくなってくれないものか。
D’×HIGASHI OSAKA SPECIAL LIVE Vol.33@イトーヨーカドー東大阪~インフローレ女学院@ポルックスシアター~鈴木創士トークショー、墨三姿@SUNABAギャラリー
2017年1月14日 芸術
天気予報は、寒波だとか雪だとか。
傘を持って出かけたけど、傘の出番はなかった。
冬眠するかな、と思っていたが、家でじっとしていると、かえって寒さが身にしみるので、出かけることにした。
まず、イトーヨーカドー東大阪店で、アイドルイベントを見てきた。
正午からはじまり、午後5時過ぎまでやっていたようだが、僕が見たのは時間の都合上、正午~午後3時15分まで。なんとしても、CHOCO★MILQだけは2ステージ見たくて、ちょうどCHOCO★MILQの2ステージめが終わったのが15時15分頃だったは、まさに天の配剤かと感謝した。
見たアイドルは次のとおり。
KissBeeWEST4.5期生
京都flavor
CHOCO★MILQ
Re:birth
大阪flavor
Culumi
加茂川マコト
KissBeeWEST
AnimalBeast
Miniature Garden
Re:birth(2ステージめ)
CHOCO★MILQ(2ステージめ)
CHOCO★MILQのセットリストは、
1ステージめ
1.キボウ
2.ヒミツヲクダサイ
3.Believer
2ステージめ
1.きゅん!きゅん!きゅん!
2.涙キラリ☆
3.チョコチョコレインボー
http://chocomilq.com/
Re:birthは、ダイコクドラッグのアイドルDDプリンセスの一期生卒業生で結成された3人組のアイドルで、今月末にメンバーのちはるが脱退、3月にはRe:birth解散、という、今しか見れないステージになった。
https://twitter.com/rebirth_osaka?lang=ja
KissBeeWESTは、清純派アイドルKissBeeの関西メンバーで構成されたユニット。
今回はその研究生ユニットKissBeeWEST4.5期生も出演していた。
http://kissbee.net/kissbeewest/
京都flavorは以前平安神宮ライブも見たことのあるアイドルユニットだった。今回は大阪flavorも出演しており、全国のflavorのうちの2つが東大阪に集結したことになる。
http://ameblo.jp/flavor-official/theme-10096600698.html
http://ameblo.jp/o-flavor/
加茂川マコトは京都を中心に活動している2.9次元アイドル。職人芸とも言えるステージを展開。
https://twitter.com/kamogawa_makoto
AnimalBeastは、動物アイドルの「あにまどーる」の進化系。道頓堀のライブを近々復活させるとのこと。あにまどーるがなくなって、名前だけはさらに獣度を増したAnimalBeastで復活するあたり、スペクトルマンを思い起こした。
http://animalbeast.jp/
Miniature Gardenは、同じ事務所の群青のユリシーズの兼任メンバーを加えての4人でのライブ。衣装のコンセプトも違っていたので、群青のメンバーは単なる助っ人なのか、と思っていたがちゃんとした新メンバーなのだった。
http://mg-hakoniwa.com/index.html
今回見てCHOCO★MILQが最強なのは再確認できたのだが、他にも注目すべきユニットがあった。
堺のアイドルCulumiだ。
曲調のバラエティというかメリハリ、というか、ヘッドバンギングにアクロバットしたかと思うと、乙女チックな歌も歌う。なによりお客さんに対するアプローチの仕方が真摯だな、と感じた。Culumiなら、また見に行きたい、と思わせるに足るステージであり、オフステージだったと思う。
http://culumi.com/
ポルックスシアターでインフローレ女学院公演を見てきた。
2時限目で、内容は「マリー改造計画」
マリーはサンタクロースを家族にもつ少女で、ダンスが得意。
お客さんからも意見を聞きながら、普段スカートはかない、というマリーの初デートを応援するため、メイクやファッションを決めていく、という企画だった。
以前、「らん改造計画」で男っぽいメンバー、らんのメイクやファッションを決めたもののマリーバージョンになる。
かなり可憐なファッションに決まり、マリー本人はてれて嫌がっていたが、可愛く変身していた。
今回は1時限目が「インフローレ・クエスト」で、その影響か、この「マリー改造計画」でも研究生というか新メンバーが数人出てきて、お客さん相手に「お兄ちゃんトーク」するミッションをこなし、ライブでも参加していた。
ライブもはさみながらの公演で、約1時間半、ドリンクつきの500円という破格の値段で見れるのはありがたい。
次回公演は28日(土)で、インフローレ女学院のワンマンライブになる。(演劇、ストーリーはなし、ということか)
https://twitter.com/inflore_
SUNABAギャラリーで、鈴木創士さんのトークショーを聞いてきた。
ギャラリー満員。
ギャラリーの樋口ヒロユキさんによると、新年早々に縁起でもない話をしてもらおうと企んだとのこと。
フライヤーに誤記されていた鈴木さんの誕生年「1554年」から、不衛生なルネッサンスの話からはじまった。
ルネサンスが訪れなかった世界を描いたというふれこみのアレクセイ・ゲルマンの「神々のたそがれ」(「ストーカー」などのストルガツキー兄弟原作で、僕が見たイメージフォーラムフェスティバルでの日本での初上映時は「神様はつらい」というタイトルがついていた)はルネサンスそのものだったという話。
ペストの話、そしてアルトーの話へと。
アルトー以外にも、ジュネやランボーなど鈴木さんが訳された作家についてのコメントも聞けて、楽しかった。
中盤からはアルトーを軸に狂気、死者の話が中心となり、樋口さんの思惑どおりの展開になったように思う。
このトークショーはまた、狂気すれすれの場所で創作を続ける作家さんを数多くギャラリーで取り扱ってこられた樋口さんへのカウンセリングのような役割も果たしていたようだ。
http://sunabagallery.com/upcoming/20170114_soushi/soushi.html
SUNABAギャラリーで東學、新竹季次、新田美佳 三人展「墨三姿」を見た。
墨をする、という行為が既に形の変容をあらわしているせいか、墨で描かれた絵は単に描かれた絵で終わらず、何かに変容しようとしている気配を感じさせる。
墨は生きている、とでも言えばいいのか。
そのせいか、今回の展示作品を見ても、メタモルフォーゼを感じさせるようなものが多かったように思える。
新年のかき初め、のような展覧会だったが、書初めというものも、そもそも呪術的なものなのかも、と思いを馳せることができた。
http://sunabagallery.com/upcoming/20170107_sumi/sumi.html
傘を持って出かけたけど、傘の出番はなかった。
冬眠するかな、と思っていたが、家でじっとしていると、かえって寒さが身にしみるので、出かけることにした。
まず、イトーヨーカドー東大阪店で、アイドルイベントを見てきた。
正午からはじまり、午後5時過ぎまでやっていたようだが、僕が見たのは時間の都合上、正午~午後3時15分まで。なんとしても、CHOCO★MILQだけは2ステージ見たくて、ちょうどCHOCO★MILQの2ステージめが終わったのが15時15分頃だったは、まさに天の配剤かと感謝した。
見たアイドルは次のとおり。
KissBeeWEST4.5期生
京都flavor
CHOCO★MILQ
Re:birth
大阪flavor
Culumi
加茂川マコト
KissBeeWEST
AnimalBeast
Miniature Garden
Re:birth(2ステージめ)
CHOCO★MILQ(2ステージめ)
CHOCO★MILQのセットリストは、
1ステージめ
1.キボウ
2.ヒミツヲクダサイ
3.Believer
2ステージめ
1.きゅん!きゅん!きゅん!
2.涙キラリ☆
3.チョコチョコレインボー
http://chocomilq.com/
Re:birthは、ダイコクドラッグのアイドルDDプリンセスの一期生卒業生で結成された3人組のアイドルで、今月末にメンバーのちはるが脱退、3月にはRe:birth解散、という、今しか見れないステージになった。
https://twitter.com/rebirth_osaka?lang=ja
KissBeeWESTは、清純派アイドルKissBeeの関西メンバーで構成されたユニット。
今回はその研究生ユニットKissBeeWEST4.5期生も出演していた。
http://kissbee.net/kissbeewest/
京都flavorは以前平安神宮ライブも見たことのあるアイドルユニットだった。今回は大阪flavorも出演しており、全国のflavorのうちの2つが東大阪に集結したことになる。
http://ameblo.jp/flavor-official/theme-10096600698.html
http://ameblo.jp/o-flavor/
加茂川マコトは京都を中心に活動している2.9次元アイドル。職人芸とも言えるステージを展開。
https://twitter.com/kamogawa_makoto
AnimalBeastは、動物アイドルの「あにまどーる」の進化系。道頓堀のライブを近々復活させるとのこと。あにまどーるがなくなって、名前だけはさらに獣度を増したAnimalBeastで復活するあたり、スペクトルマンを思い起こした。
http://animalbeast.jp/
Miniature Gardenは、同じ事務所の群青のユリシーズの兼任メンバーを加えての4人でのライブ。衣装のコンセプトも違っていたので、群青のメンバーは単なる助っ人なのか、と思っていたがちゃんとした新メンバーなのだった。
http://mg-hakoniwa.com/index.html
今回見てCHOCO★MILQが最強なのは再確認できたのだが、他にも注目すべきユニットがあった。
堺のアイドルCulumiだ。
曲調のバラエティというかメリハリ、というか、ヘッドバンギングにアクロバットしたかと思うと、乙女チックな歌も歌う。なによりお客さんに対するアプローチの仕方が真摯だな、と感じた。Culumiなら、また見に行きたい、と思わせるに足るステージであり、オフステージだったと思う。
http://culumi.com/
ポルックスシアターでインフローレ女学院公演を見てきた。
2時限目で、内容は「マリー改造計画」
マリーはサンタクロースを家族にもつ少女で、ダンスが得意。
お客さんからも意見を聞きながら、普段スカートはかない、というマリーの初デートを応援するため、メイクやファッションを決めていく、という企画だった。
以前、「らん改造計画」で男っぽいメンバー、らんのメイクやファッションを決めたもののマリーバージョンになる。
かなり可憐なファッションに決まり、マリー本人はてれて嫌がっていたが、可愛く変身していた。
今回は1時限目が「インフローレ・クエスト」で、その影響か、この「マリー改造計画」でも研究生というか新メンバーが数人出てきて、お客さん相手に「お兄ちゃんトーク」するミッションをこなし、ライブでも参加していた。
ライブもはさみながらの公演で、約1時間半、ドリンクつきの500円という破格の値段で見れるのはありがたい。
次回公演は28日(土)で、インフローレ女学院のワンマンライブになる。(演劇、ストーリーはなし、ということか)
https://twitter.com/inflore_
SUNABAギャラリーで、鈴木創士さんのトークショーを聞いてきた。
ギャラリー満員。
ギャラリーの樋口ヒロユキさんによると、新年早々に縁起でもない話をしてもらおうと企んだとのこと。
フライヤーに誤記されていた鈴木さんの誕生年「1554年」から、不衛生なルネッサンスの話からはじまった。
ルネサンスが訪れなかった世界を描いたというふれこみのアレクセイ・ゲルマンの「神々のたそがれ」(「ストーカー」などのストルガツキー兄弟原作で、僕が見たイメージフォーラムフェスティバルでの日本での初上映時は「神様はつらい」というタイトルがついていた)はルネサンスそのものだったという話。
ペストの話、そしてアルトーの話へと。
アルトー以外にも、ジュネやランボーなど鈴木さんが訳された作家についてのコメントも聞けて、楽しかった。
中盤からはアルトーを軸に狂気、死者の話が中心となり、樋口さんの思惑どおりの展開になったように思う。
このトークショーはまた、狂気すれすれの場所で創作を続ける作家さんを数多くギャラリーで取り扱ってこられた樋口さんへのカウンセリングのような役割も果たしていたようだ。
http://sunabagallery.com/upcoming/20170114_soushi/soushi.html
SUNABAギャラリーで東學、新竹季次、新田美佳 三人展「墨三姿」を見た。
墨をする、という行為が既に形の変容をあらわしているせいか、墨で描かれた絵は単に描かれた絵で終わらず、何かに変容しようとしている気配を感じさせる。
墨は生きている、とでも言えばいいのか。
そのせいか、今回の展示作品を見ても、メタモルフォーゼを感じさせるようなものが多かったように思える。
新年のかき初め、のような展覧会だったが、書初めというものも、そもそも呪術的なものなのかも、と思いを馳せることができた。
http://sunabagallery.com/upcoming/20170107_sumi/sumi.html
MuDA EXHIBITION@江之子島文化芸術創造センター
2015年1月17日 芸術
enocoでMuDA EXHIBITIONを見てきた。
肉弾ダンス集団。
この日はダンスパフォーマンスがあり、まさに間近でバシバシのダンスを見ることができた。
見た印象は、プロレスとか、ジャッキー・チェンが剛健な身体を手に入れて不死身のアクション見せるシーンとか。
http://www.enokojima-art.jp/event/20150110_muda/
肉弾ダンス集団。
この日はダンスパフォーマンスがあり、まさに間近でバシバシのダンスを見ることができた。
見た印象は、プロレスとか、ジャッキー・チェンが剛健な身体を手に入れて不死身のアクション見せるシーンとか。
http://www.enokojima-art.jp/event/20150110_muda/
阪急百貨店うめだ本店10階うめだスーク行って、「フシギナオチャカイ~きらめく昼下がり」をのぞいてきた。不思議の国のアリスの期間限定ショップ。
アリス関連のグッズが山ほど売っていて、同時に作家さんの展示もされていた。販売されているものもあり、また、非売品の展示作品もあった。
アメリカ村にできた、水曜日のアリスは、テニエルのアリスの商品展開がされているが、このフシギナオチャカイでは、作家さんの個性で描かれているものが中心だった。村澤美独の原画展がミニギャラリーで開催されていたが、その作品は、テニエルの絵を下敷きにして、独自のアングルなどで素敵な作品が描かれていた。ぴこうさの立体作品は、安定の奇妙な可愛さにあふれていて、遊び心たっぷり。とうもりゆみ、横山浪漫、中野夕衣、などなど。うさぎ先生のスペースもあった。
それに併設してあった、カウントダウン・アリス・150thアニバーサリーでは、アリス・グッズがこれもまた充実。
うさぎの穴は、百貨店の10階にあった!
「穴」は「空」に含まれている、というのは、漢字を見ても、一目瞭然。
http://aliceexhibition.web.fc2.com/index.html
深江橋のギャラリー・ノマルに行って、「渡辺信子 Nobuko Watanabe作品集出版記念展 In - Between」を見てきた。
ここちよい布張りの張力が、なんだかちょっといびつだったりして、ただ安楽なのではなく、緊張感も覚える、面白い形の数々。
見た目、寝具なので、ついつい、ラカンの「クッションの綴じ目」と関連づけて解釈したくなるけど、そういう他愛ない想像をベッドタイムストーリーがわりにするのが、僕の就眠儀式。
で、ギャラリー・ノマルには、8月からはじまる展覧会のために作品を搬入しに行ったのだが、その展覧会の詳細については、また!
http://www.nomart.co.jp/gallery/exhibition/2014_watanabe.php
フランス映画祭2014in関西、2日から開催されていたが、やっと1本見に行くことができた。トニー・ガトリフ監督の「ジェロニモ-愛と灼熱のリズム」
ジェロニモは、女性の名前で、少年少女たちの更生のようなことをしている。
若い男女の駆け落ちが巻き起こす、両家の抗争。
愛と憎しみ、生と死、その情熱、いや~、熱い暑い!
いがみあう派閥によるダンスバトル、そして、工場の跡地に描きたおされたグラフィック・アート。ロマの音楽にラップ、ブレイクダンスにカポエラに床運動。見たこともない熱い身体の動き。
憎しみに囚われて、拳銃を用意して乗り込む人物は、途中でエネルギーをもてあまして、なんでもない場所でひとしきりブレイクダンスを踊りまくる。
こういう問題ある若者たちを描く際は、ふつうは、酒を飲んだりするのだが、この映画では、あまりにも暑くて、飲むのは大きなペットボトルに入った水だった。
映画見終わったとき、すっかり暑気あたりした気分になっていた。帰宅して、まっさきに入浴して汗を流したのは、言うまでもない。
http://unifrance.jp/festival/2014/fr/selection/03.html
「横尾探検隊」~神戸文学館企画展「物語る動物たち」~王子動物園
2014年6月29日 芸術横尾忠則現代美術館で、「横尾探検隊」を見てきた。最終日のすべりこみ。
少年時代の読書、映画を含む体験が読み取れる作品を集めて展示。
「少年時代」「都会探検」「洞窟・地底探検」「海洋探検」「密林体験」
南洋一郎、江戸川乱歩、少年倶楽部、梁川剛一、ファントマ、宮本武蔵、ヴェルヌ、ターザン、山川惣治、原節子、ポー、ランボー。
やはり、少年時代というのは、極私的な領域なのに、共通のものなのだ、ということがよくわかる。
上記のすべては、僕自身の少年時代のリストでもあるのだ。
一つ一つの作品について、自分の体験として語ることも出来そうなレベル。
母校、関西学院大学発祥の地、神戸文学館企画展「物語る動物たち」を見てきた。
王子動物園や、動物文学、ノンフィクションなどを中心に、資料が集められていた。
ゾウの諏訪子の爪や、チンパンジーのチェリーが描いた絵画、飼育日誌などなど。
動物園が娯楽見世物から、種の保存を目的にするものにシフトした現代にふさわしく、展示を見て感じたのは、「可愛い」、「面白い」ももちろんあるのだが、それ以上に、「守らなきゃ」だった。
その後、王子動物園にも遊びに行った。
ここには、コアラ、パンダがおり、チンパンジーのチェリー(51歳)にも会えた。大好きな夜行性動物ももちろん見に行って、堪能した。
ただ、朝から一日中遊べる規模の場所なので、まだまだ見ていないエリアがあるのに閉園時間になってしまったのは、残念。また機会があれば、のぞきに行きたい。
乙画廊に行って、山際マリ展「born to be wild」を見てきた。
ガジェットを過剰に貼り付けた2013年作品と、2014年の油絵を中心に展示されていた。
デコラティブ・コラージュのほうは、以前に見たことがあって、そのインパクトに驚いたものだが、今回、2014年の油絵を見て、さらに驚いた。
技法でいえば、コラージュのほうが僕好みなのに、明らかに、2014年の油絵のほうが、よく思えるのだ。「よい」というのは難しいけど、明らかに、コラージュにつきまとう「おばさん」臭さが抜けているのだ。
うむ。これは面白い!
http://oto-gallery.no-blog.jp/otoblog/2014/05/born_to_be_wild.html
yod Galleryに行って、細江英公「薔薇刑」展を見てきた。
何年か前に尼崎で細江英公の写真展を見たことがあって、つい2年くらい前かな、と思ってたら、けっこう昔でびっくりした。
本展は、三島由紀夫を撮った「薔薇刑」の展示。
写真集『薔薇刑』に収録されなかった写真もあわせて展示されていた。
三島由紀夫と言えば、われわれ少年の目から見れば、とうのたった大人があがいている、手遅れナルシシズムの面白さが際立つのだが、この『薔薇刑』は、その魅力をみごとに体現している。
ギャラリーに入った瞬間、別の世界に足を踏み入れた気分が味わえるのは、その魔力のなせるわざ。
http://www.yodgallery.com/current.html
アートエリアB1に行って、アパートメント・ワンワンワン見てきた。
様々な表現活動の集合空間。
これは3月末からはじまって、いよいよ7月6日で終わる、長期の変化しつつあるプロジェクト。
僕は、今日、見に行ったのが最初だったので、育ち、変化していく経過は味わえないが、ある意味、面白いものが次々と集まっていいぐあいになったときに見に来ているのかな、と思った。
写真あり、映像あり、音楽あり、でほんと、面白かった。
アパートのような体裁をとっているので、(住んでいるわけではないけど)、アートのトキワ荘を公開して、自由に見てまわってるような感じ。
http://artarea-b1.jp/archive/2014/0706418.php
アートスペース亜蛮人に行ってきた。
1階:うらがん×とらさん写真展「コス撮」
2階:橘蔵人企画グループ展「少女のドグマ~眉をしかめ展~」
1階は、コスプレ写真の大展覧会。
2階は、空亜、ささべ翔太、魚子、psycho、ゆげによる、 少女のドグマや気違いエロがテーマの企画展。
上下のギャップが、まるでチョウチンアンコウの罠のような展示なのだが、さて、1階で被写体になっている女の子と、2階で描かれる女の子と、どちらが怖いのかと言えば、意外と、1階の少女達のほうなんじゃないか、と思っている。
今日は、2階でささべさんが、無料で似顔絵を描いてくれる、という特典もあったが、時間の都合で見送った。ちょっと、惜しかったな、と今になって思っている。
ガジェットを過剰に貼り付けた2013年作品と、2014年の油絵を中心に展示されていた。
デコラティブ・コラージュのほうは、以前に見たことがあって、そのインパクトに驚いたものだが、今回、2014年の油絵を見て、さらに驚いた。
技法でいえば、コラージュのほうが僕好みなのに、明らかに、2014年の油絵のほうが、よく思えるのだ。「よい」というのは難しいけど、明らかに、コラージュにつきまとう「おばさん」臭さが抜けているのだ。
うむ。これは面白い!
http://oto-gallery.no-blog.jp/otoblog/2014/05/born_to_be_wild.html
yod Galleryに行って、細江英公「薔薇刑」展を見てきた。
何年か前に尼崎で細江英公の写真展を見たことがあって、つい2年くらい前かな、と思ってたら、けっこう昔でびっくりした。
本展は、三島由紀夫を撮った「薔薇刑」の展示。
写真集『薔薇刑』に収録されなかった写真もあわせて展示されていた。
三島由紀夫と言えば、われわれ少年の目から見れば、とうのたった大人があがいている、手遅れナルシシズムの面白さが際立つのだが、この『薔薇刑』は、その魅力をみごとに体現している。
ギャラリーに入った瞬間、別の世界に足を踏み入れた気分が味わえるのは、その魔力のなせるわざ。
http://www.yodgallery.com/current.html
アートエリアB1に行って、アパートメント・ワンワンワン見てきた。
様々な表現活動の集合空間。
これは3月末からはじまって、いよいよ7月6日で終わる、長期の変化しつつあるプロジェクト。
僕は、今日、見に行ったのが最初だったので、育ち、変化していく経過は味わえないが、ある意味、面白いものが次々と集まっていいぐあいになったときに見に来ているのかな、と思った。
写真あり、映像あり、音楽あり、でほんと、面白かった。
アパートのような体裁をとっているので、(住んでいるわけではないけど)、アートのトキワ荘を公開して、自由に見てまわってるような感じ。
http://artarea-b1.jp/archive/2014/0706418.php
アートスペース亜蛮人に行ってきた。
1階:うらがん×とらさん写真展「コス撮」
2階:橘蔵人企画グループ展「少女のドグマ~眉をしかめ展~」
1階は、コスプレ写真の大展覧会。
2階は、空亜、ささべ翔太、魚子、psycho、ゆげによる、 少女のドグマや気違いエロがテーマの企画展。
上下のギャップが、まるでチョウチンアンコウの罠のような展示なのだが、さて、1階で被写体になっている女の子と、2階で描かれる女の子と、どちらが怖いのかと言えば、意外と、1階の少女達のほうなんじゃないか、と思っている。
今日は、2階でささべさんが、無料で似顔絵を描いてくれる、という特典もあったが、時間の都合で見送った。ちょっと、惜しかったな、と今になって思っている。
22日、国立民族学博物館に行って、「音楽の祭日2014inみんぱく」見てきた。
午前中からはじまっていたが、到着したら、お昼前。
特別展示場と、本館エントランスホールとをこまめに往復して、プログラムを見たので、必ずしも演奏を全部見れたわけではないが、じゅうぶんに堪能した。
以下、ほぼ見たもの順に。タイムテーブルに多少の変更があったかな。
バンチャ・パリワール
サーランギと太鼓マーダルなどを使ってネパールの民族音楽を演奏。
パシール・ビンタン
インドネシア民族楽器アンクロン等のアンサンブル。
Pulse
打弦楽器ダルシマーでのバロックとクラシックの演奏。
ライアーアンサンブル ジルフェ
竪琴ライアーの、繊細で優しい音色や響きでやすらぎの曲を演奏。
Sol de las Indias
ボリビアのダンス。
SWEET HERMONY
歌のシルクロード。中村宏&山本純子がやまとごころを歌う。
Africa We go
ウガンダ・ケニアからの留学生たちによるダンスパフォーマンス。
チャンドラ・バスカラ、パドマ・サリ、スワ・ギタ・プルティウィ・ジャパン
バリ島の舞踊とガムラン音楽に魅せられ各地で活動するグループの共演。
ハラウ フラ オ マカナアロハ
ハワイの楽器イプヘケ、ウリウリ等を用いて歌の意味を踊りとともに表現。
ÁNIMO
様々な珍しい民族楽器を使って、フォルクローレを中心に演奏。
芸能The"新志"
三線、三味線、笛、太鼓、鉦等を用いた、阿波踊りなどの演奏と踊り。
ゆや
小さなアコーディオン「コンサーティナ」でシャンソンやオリジナルを歌う。
大阪大学インターナショナルバンド
中国の横笛や沖縄の三線、南米アンデス地方の楽器などを用いて演奏。
叩研(TATA QUEM)
ブラジル北東部に伝わる、お祭り太鼓「マラカトゥ」等を使って賑やかに演奏。
加藤敬徳
パンフルートの演奏。
ダルマ・ブダヤ
インドネシア中部ジャワの民族音楽、ジャワ・ガムランの演奏。
1.ランチャラン・クイ・オポ・クイ
2.ドラナン・モントル・モントル・チレッ
3.ラドラン・ムギ・ラハユ
4. ランガム・チャピン・グヌン
THE ENGINES
クレズマーなどの音楽を演奏。
神奈川馬匠と締組
和太鼓のオリジナル曲を演奏。
終わったのは、午後4時半。
全部のプログラムをハシゴできなかった理由は、途中、展示を見に入ったため。22日は無料観覧日だったので、気軽な気分で入ったのだが、これがもう圧巻。何回も展示見たことあったので、さらっと回るつもりが、もう、1時間でも2時間でも足りない。1日まるまるかけても、半分見切れないほどの充実ぶり。
東アジアの展示が変わったとは聞いていたけど、これはすごい。
「朝鮮半島の文化」展示では、クイズラリーに答えて、ポストカードをプレゼント!この「朝鮮半島の文化」のセクションだけでも、半日過ごせるものすごさ。
http://www.minpaku.ac.jp/museum/event/fetedelamusique/2014/index
アートスペース亜蛮人に行って、
1階:山本桃水個展「青空と少女」
2階:微生物個展「イロニー」
を見てきた。
2階のイロニーは、銀箔の空間に銀の鳥居、サイケデリックな映像。
電波が充満したようなインスタレーションで、ありもしない静電気をビリビリ感じるような、隠れ家的楽しさを味わった。
1階の「青空と少女」は、制服の少女たちを中心にした展示。
入るなり、女子ばっかりのクラスに転入したような、なんともいえぬ、甘酸っぱい、居心地がいいやら悪いやら、きやきやした気持ちにとらわれた。
女子の卒業アルバムに迷い込んだような印象で、ここでは、逆に僕のほうが、女子の国のアリスの役割を得たのだった。
あ、あまずっぱい、というのは、山本桃水さんにいただいた「いちごみるく」の効果もあったかも。
午前中からはじまっていたが、到着したら、お昼前。
特別展示場と、本館エントランスホールとをこまめに往復して、プログラムを見たので、必ずしも演奏を全部見れたわけではないが、じゅうぶんに堪能した。
以下、ほぼ見たもの順に。タイムテーブルに多少の変更があったかな。
バンチャ・パリワール
サーランギと太鼓マーダルなどを使ってネパールの民族音楽を演奏。
パシール・ビンタン
インドネシア民族楽器アンクロン等のアンサンブル。
Pulse
打弦楽器ダルシマーでのバロックとクラシックの演奏。
ライアーアンサンブル ジルフェ
竪琴ライアーの、繊細で優しい音色や響きでやすらぎの曲を演奏。
Sol de las Indias
ボリビアのダンス。
SWEET HERMONY
歌のシルクロード。中村宏&山本純子がやまとごころを歌う。
Africa We go
ウガンダ・ケニアからの留学生たちによるダンスパフォーマンス。
チャンドラ・バスカラ、パドマ・サリ、スワ・ギタ・プルティウィ・ジャパン
バリ島の舞踊とガムラン音楽に魅せられ各地で活動するグループの共演。
ハラウ フラ オ マカナアロハ
ハワイの楽器イプヘケ、ウリウリ等を用いて歌の意味を踊りとともに表現。
ÁNIMO
様々な珍しい民族楽器を使って、フォルクローレを中心に演奏。
芸能The"新志"
三線、三味線、笛、太鼓、鉦等を用いた、阿波踊りなどの演奏と踊り。
ゆや
小さなアコーディオン「コンサーティナ」でシャンソンやオリジナルを歌う。
大阪大学インターナショナルバンド
中国の横笛や沖縄の三線、南米アンデス地方の楽器などを用いて演奏。
叩研(TATA QUEM)
ブラジル北東部に伝わる、お祭り太鼓「マラカトゥ」等を使って賑やかに演奏。
加藤敬徳
パンフルートの演奏。
ダルマ・ブダヤ
インドネシア中部ジャワの民族音楽、ジャワ・ガムランの演奏。
1.ランチャラン・クイ・オポ・クイ
2.ドラナン・モントル・モントル・チレッ
3.ラドラン・ムギ・ラハユ
4. ランガム・チャピン・グヌン
THE ENGINES
クレズマーなどの音楽を演奏。
神奈川馬匠と締組
和太鼓のオリジナル曲を演奏。
終わったのは、午後4時半。
全部のプログラムをハシゴできなかった理由は、途中、展示を見に入ったため。22日は無料観覧日だったので、気軽な気分で入ったのだが、これがもう圧巻。何回も展示見たことあったので、さらっと回るつもりが、もう、1時間でも2時間でも足りない。1日まるまるかけても、半分見切れないほどの充実ぶり。
東アジアの展示が変わったとは聞いていたけど、これはすごい。
「朝鮮半島の文化」展示では、クイズラリーに答えて、ポストカードをプレゼント!この「朝鮮半島の文化」のセクションだけでも、半日過ごせるものすごさ。
http://www.minpaku.ac.jp/museum/event/fetedelamusique/2014/index
アートスペース亜蛮人に行って、
1階:山本桃水個展「青空と少女」
2階:微生物個展「イロニー」
を見てきた。
2階のイロニーは、銀箔の空間に銀の鳥居、サイケデリックな映像。
電波が充満したようなインスタレーションで、ありもしない静電気をビリビリ感じるような、隠れ家的楽しさを味わった。
1階の「青空と少女」は、制服の少女たちを中心にした展示。
入るなり、女子ばっかりのクラスに転入したような、なんともいえぬ、甘酸っぱい、居心地がいいやら悪いやら、きやきやした気持ちにとらわれた。
女子の卒業アルバムに迷い込んだような印象で、ここでは、逆に僕のほうが、女子の国のアリスの役割を得たのだった。
あ、あまずっぱい、というのは、山本桃水さんにいただいた「いちごみるく」の効果もあったかも。
兵庫県立美術館で、ピーター・グリーナウェイ監督の「レンブラントの夜警」を見てきた。
これは「レンブラントの夜警論」とも言うべき作品だった。
レンブラントは「夜警」で何を描こうとしたのか、そして、「夜警」以降、レンブラントの没落がはじまったのはなぜなのか。
うむ。これはレンブラントについてちょっと調べてみたくなった。
映画は、きわめて人工的な演劇調で演出されていたが、映画後半に至って、登場人物がレンブラントに向かって「この作品は肖像画ではなく、俳優を描いた演劇だ」と見抜くシーンが出てきて、ああ、この言葉に効果を与えるための演出だったのか、と愕然とした。
ナダール大阪に行って、植田正治写真展「Illusion」を見てきた。
ミニチュアや小さなオブジェを使った合成写真を中心に展示されていた。
幻想的なあるいはシュルレアリスムのような世界だが、諧謔精神にも富んでいて、マン・レイっぽいな、と思った。
テヅカヤマギャラリーに行って、瀧口修造展を見てきた。
造形作家としての瀧口修造にスポットをあて、ドローイングやデカルコマニーを中心に集められた。
7日は午後3時からイベントもあった。
「瀧口修造の講演を聞く会」
1962年に瀧口修造が母校の富山高校で行った講演「美というもの」の録音を聞く。
瀧口修造の研究家で収集家の土渕信彦氏による解説と、講演内容にそった資料的画像と解説の註釈上映もあった。
内容は、自伝的なものが多く含まれていた。
瀧口修造の写真や映像は目にしたことがあるが、講演はほとんどされておらず、声を聞くのは、これがはじめて。
「トークショー」
土渕信彦氏と、国立国際美術館副館長の島敦彦氏とのトーク。
島氏は富山出身。
貴重な資料もさらに投入されて、興奮した。
あべのキューズモールに行って、Berryz工房のライブを見てきた。
午後6時の回。
到着時、既にはじまっており、聞いたところからの曲名は、以下のとおり。
シャイニング・パワー
恋の呪縛
雄叫びボーイ WAO!
普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?
ハロプロ好きの前方のファンと、同じ楽曲でもカバーやDJで聞いて盛り上がってきた後方のオタクとの間で、くっきりとノリの違いがあらわれており、面白かった。
途中のMCでは、桃子が、メンバーに「10年続けている自慢できること」を聞いていた。清水が「500円玉貯金」と答えたのが唯一のそれらしい答えだったかな。
ウェス・アンダーソン監督の「グランド・ブダペスト・ホテル」を見てきた。
こりゃ面白い!
遺産をめぐるミステリー。
残酷なシーンもときどき出てくる、可愛くて笑える楽しい映画だった。
同じ日に見た「レンブラントの夜警」もそうだったけど、謎解きには、こういうアーティフィシャルな作りがハマるように思った。
http://www.foxmovies.jp/gbh/
これは「レンブラントの夜警論」とも言うべき作品だった。
レンブラントは「夜警」で何を描こうとしたのか、そして、「夜警」以降、レンブラントの没落がはじまったのはなぜなのか。
うむ。これはレンブラントについてちょっと調べてみたくなった。
映画は、きわめて人工的な演劇調で演出されていたが、映画後半に至って、登場人物がレンブラントに向かって「この作品は肖像画ではなく、俳優を描いた演劇だ」と見抜くシーンが出てきて、ああ、この言葉に効果を与えるための演出だったのか、と愕然とした。
ナダール大阪に行って、植田正治写真展「Illusion」を見てきた。
ミニチュアや小さなオブジェを使った合成写真を中心に展示されていた。
幻想的なあるいはシュルレアリスムのような世界だが、諧謔精神にも富んでいて、マン・レイっぽいな、と思った。
テヅカヤマギャラリーに行って、瀧口修造展を見てきた。
造形作家としての瀧口修造にスポットをあて、ドローイングやデカルコマニーを中心に集められた。
7日は午後3時からイベントもあった。
「瀧口修造の講演を聞く会」
1962年に瀧口修造が母校の富山高校で行った講演「美というもの」の録音を聞く。
瀧口修造の研究家で収集家の土渕信彦氏による解説と、講演内容にそった資料的画像と解説の註釈上映もあった。
内容は、自伝的なものが多く含まれていた。
瀧口修造の写真や映像は目にしたことがあるが、講演はほとんどされておらず、声を聞くのは、これがはじめて。
「トークショー」
土渕信彦氏と、国立国際美術館副館長の島敦彦氏とのトーク。
島氏は富山出身。
貴重な資料もさらに投入されて、興奮した。
あべのキューズモールに行って、Berryz工房のライブを見てきた。
午後6時の回。
到着時、既にはじまっており、聞いたところからの曲名は、以下のとおり。
シャイニング・パワー
恋の呪縛
雄叫びボーイ WAO!
普通、アイドル10年やってらんないでしょ!?
ハロプロ好きの前方のファンと、同じ楽曲でもカバーやDJで聞いて盛り上がってきた後方のオタクとの間で、くっきりとノリの違いがあらわれており、面白かった。
途中のMCでは、桃子が、メンバーに「10年続けている自慢できること」を聞いていた。清水が「500円玉貯金」と答えたのが唯一のそれらしい答えだったかな。
ウェス・アンダーソン監督の「グランド・ブダペスト・ホテル」を見てきた。
こりゃ面白い!
遺産をめぐるミステリー。
残酷なシーンもときどき出てくる、可愛くて笑える楽しい映画だった。
同じ日に見た「レンブラントの夜警」もそうだったけど、謎解きには、こういうアーティフィシャルな作りがハマるように思った。
http://www.foxmovies.jp/gbh/
6月5日 「ノスタルジー&ファンタジー 現代美術の想像力とその源泉」~「柄澤齊展」
2014年6月12日 芸術国立国際美術館で、「ノスタルジー&ファンタジー 現代美術の想像力とその源泉」を見てきた。
北辻良央
柄澤齊
山本桂輔
小西紀行
橋爪彩
小橋陽介
須藤由希子
棚田康司
横尾忠則
淀川テクニック
以上10人の作家の作品が展示されていたが、これが、もうめっちゃすごかった。どの作家のコーナーでも、そこには独自の宇宙が広がっていて、「ウワー、スゲー」と感動しまくった。こんな体験は久々。
世界の独自性だけでなく、物量でも圧倒された。
ギャラリーでのグループ展だと、作品を出品してもせいぜい数はしれているが、この展覧会では、北辻良央が30点を展示、続く部屋では柄澤齊が30点以上を展示。すごいなあ、と思ってたら、小西紀行は87点展示。ウワー!さらに小橋陽介は118点展示!
最後の淀川テクニックの作品では、顔出しで記念写真を撮れるものもあった。コインロッカーに全部預けて入ってしまったのをこれほど悔やんだことはない。
とにかく、これは必見。
南堀江のギャルリプチボワに行って、「柄澤齊展」を見てきた。
絵画とコラージュを中心とした展示。
と、いうことは、ルネ・マグリットとマックス・エルンストのキメラと考えてよいのでしょうか。よくないのでしょうか。
ちなみに、このギャルリプチボワ、わかりやすい場所にあるのに、なぜか僕はたどりつくのに、2時間も迷った。日曜日に2時間かけて迷って場所を特定していたのにもかかわらず、だ。
ロプ・ノールみたいだ。
http://petitbois.mond.jp/index.html/index.html/pages/140526.html
北辻良央
柄澤齊
山本桂輔
小西紀行
橋爪彩
小橋陽介
須藤由希子
棚田康司
横尾忠則
淀川テクニック
以上10人の作家の作品が展示されていたが、これが、もうめっちゃすごかった。どの作家のコーナーでも、そこには独自の宇宙が広がっていて、「ウワー、スゲー」と感動しまくった。こんな体験は久々。
世界の独自性だけでなく、物量でも圧倒された。
ギャラリーでのグループ展だと、作品を出品してもせいぜい数はしれているが、この展覧会では、北辻良央が30点を展示、続く部屋では柄澤齊が30点以上を展示。すごいなあ、と思ってたら、小西紀行は87点展示。ウワー!さらに小橋陽介は118点展示!
最後の淀川テクニックの作品では、顔出しで記念写真を撮れるものもあった。コインロッカーに全部預けて入ってしまったのをこれほど悔やんだことはない。
とにかく、これは必見。
南堀江のギャルリプチボワに行って、「柄澤齊展」を見てきた。
絵画とコラージュを中心とした展示。
と、いうことは、ルネ・マグリットとマックス・エルンストのキメラと考えてよいのでしょうか。よくないのでしょうか。
ちなみに、このギャルリプチボワ、わかりやすい場所にあるのに、なぜか僕はたどりつくのに、2時間も迷った。日曜日に2時間かけて迷って場所を特定していたのにもかかわらず、だ。
ロプ・ノールみたいだ。
http://petitbois.mond.jp/index.html/index.html/pages/140526.html
アートスペース亜蛮人で、幻想浪漫展「春宵ファンタスマゴリア」を見てきた。
牧田紗季、染、詩布、南真樹、枝李子、一紅、前川ルチオ、月夜乃散歩、psycho、三上ともか、越智紫、おおうえなおこ、RocoAsada
内面が可視化されると、いかに心を動かされるかを体験。
ギャラリーパライソで「スクールフェティッシュ」後半の「学校性癖週間」を見てきた。前半の「学校制服週間」(学ラン、セーラー服、ブレザーなど)は、ぼやぼやしている間に見逃してしまった。
この「学校性癖週間」はスクール水着、ランドセル、ブルマ、リコーダーなどの学校フェチ要素をテーマにした作品展。
近藤宗臣、白翠皇夜、夜乃雛月、前川ルチオ、Roco、津川まぁ子、とうもりゆみ、山本桃水、黒色テリーヌ、えりっくえいりあん、ヤマヂ、おくだみほ、詩布、染、魚子
学校の囲いの中が、楽園なのか地獄なのかは、人ぞれぞれだが、「囲い」の中での鬱屈こそが学校フェチの淵源なので、最近の学級崩壊にみられるような「殺伐」からは、フェティッシュは生れない。スクールフェティッシュというテーマも、今や失われつつある、ノスタルジックな領域に足を突っ込みかけているのかもしれない。
牧田紗季、染、詩布、南真樹、枝李子、一紅、前川ルチオ、月夜乃散歩、psycho、三上ともか、越智紫、おおうえなおこ、RocoAsada
内面が可視化されると、いかに心を動かされるかを体験。
ギャラリーパライソで「スクールフェティッシュ」後半の「学校性癖週間」を見てきた。前半の「学校制服週間」(学ラン、セーラー服、ブレザーなど)は、ぼやぼやしている間に見逃してしまった。
この「学校性癖週間」はスクール水着、ランドセル、ブルマ、リコーダーなどの学校フェチ要素をテーマにした作品展。
近藤宗臣、白翠皇夜、夜乃雛月、前川ルチオ、Roco、津川まぁ子、とうもりゆみ、山本桃水、黒色テリーヌ、えりっくえいりあん、ヤマヂ、おくだみほ、詩布、染、魚子
学校の囲いの中が、楽園なのか地獄なのかは、人ぞれぞれだが、「囲い」の中での鬱屈こそが学校フェチの淵源なので、最近の学級崩壊にみられるような「殺伐」からは、フェティッシュは生れない。スクールフェティッシュというテーマも、今や失われつつある、ノスタルジックな領域に足を突っ込みかけているのかもしれない。
京都のギャルリー宮脇に行って、ブルーノ・レティ新作展「White Garden 庭をめぐる白のヴァリアント」を見てきた。
作者のことばに、次のような文章がある。
「俗世の煩労を避け隠棲の場として造られるそうした庭の構想を、あらためて表現したいと思う。そういった庭はまた、至福の場、深い瞑想の場のメタファーでもあるだろう」
「画紙に描いた新作での試みは、多様な白の「土壌」の上に私の庭を造り、そこになにが育っていくのかを見とどけることだ」
白の概念の探究とともに、人間の創造行為としての庭を探究する作品群だが、作者曰く「白い庭の絵は、それゆえに、囲まれた空間の中での自然の延長であり、私の囲われた庭なのである」と、あるように、自然と人間とのあわいを探究するものでもあった。
この24日は、午後3時から巌谷國士氏の講演「庭園とは何か シュルレアリスムの視点」もあった。
ブルーノ・レティ氏も在廊されており、まずはブルーノ・レティさんの作品、作者のことばから話をはじめられ、エジプト、メソポタミア、ペルシア、イスラム、イタリア、フランス、中国、日本、と庭園の起源と歴史、その謎と意味合いを語られた。
楽園の雛形としての庭、憧憬を形にした世界模型としての庭、という観点。
庭園などの「四角」があらわす数字「4」の謎。
野生を本質にもつシュルレアリスムと植物の親和性、などなど、どの話題も刺激的で、面白かった。
講演後は、巌谷さんにサインをいただき、ほくほくして帰った。
作者のことばに、次のような文章がある。
「俗世の煩労を避け隠棲の場として造られるそうした庭の構想を、あらためて表現したいと思う。そういった庭はまた、至福の場、深い瞑想の場のメタファーでもあるだろう」
「画紙に描いた新作での試みは、多様な白の「土壌」の上に私の庭を造り、そこになにが育っていくのかを見とどけることだ」
白の概念の探究とともに、人間の創造行為としての庭を探究する作品群だが、作者曰く「白い庭の絵は、それゆえに、囲まれた空間の中での自然の延長であり、私の囲われた庭なのである」と、あるように、自然と人間とのあわいを探究するものでもあった。
この24日は、午後3時から巌谷國士氏の講演「庭園とは何か シュルレアリスムの視点」もあった。
ブルーノ・レティ氏も在廊されており、まずはブルーノ・レティさんの作品、作者のことばから話をはじめられ、エジプト、メソポタミア、ペルシア、イスラム、イタリア、フランス、中国、日本、と庭園の起源と歴史、その謎と意味合いを語られた。
楽園の雛形としての庭、憧憬を形にした世界模型としての庭、という観点。
庭園などの「四角」があらわす数字「4」の謎。
野生を本質にもつシュルレアリスムと植物の親和性、などなど、どの話題も刺激的で、面白かった。
講演後は、巌谷さんにサインをいただき、ほくほくして帰った。