『蛭川博士』

大下宇陀児の『蛭川博士』を読んだ。1930年。
以下、章立ての順に、簡単なまとめ。ネタバレをしているので要注意。著者の代表作として題名をあげられることの多々ある作品だが、復刊される気配がまったくない。大下宇陀児の作品は、バージョン違いで書き直しているものもあるので、違うバージョンのものと読み比べてみたりもしたいのだが、いかんせん、古書店でもほとんど見かけなくなてしまった。
本作は、最初は秘密の賭博クラブに出入りしているような不良の混血児が、愛情ゆえに名探偵にめざめて事件を俄然解決してしまうストーリーで、見世物小屋で馬鹿力を売りにしていた男にも格闘で勝ってしまう。(相手がもう高齢だったということもあってか)
第一の殺人の意外な動機と犯人消失トリック、そして第二の殺人のトリックは、きわめて面白い。ストーリーが錯綜してしまうのは、登場人物たちが容疑を別の人物にかぶせようと嘘をついたりするためで、また、後半、犯罪の証人を消すために安い殺人が付け加えられてしまうのは、ちょっと安易に走っている気もする。だがしかし、大下宇陀児の作品なのだ。もっともっと読みたい!
なお、登場人物を部分的に紹介すると、
蛭川博士・・・変身術を用いる癩病の怪物
葉村教授・・・盲目のきちがい教授
與四郎・・・聾で唖の下男
鞠尾夫人・・・サーカスに売られた女性
桐山ジュアン・・・不良であいのこ(名探偵)
まあ、これでは復刊しにくいかも。
第1章 都会の病気
「不良少年」
 東京山の手の活動写真館シネマ・パレードの地下室で、井波了吉、桐山ジュアンが、仲間の弁士、東海林厚平について話している。
「宝石」
 筑戸欣子が訪ねてきて、厚平に貸した指環を返してほしいと迫る。
「砂中美人」
 片瀬の海水浴場で了吉はパラソルに隠れていちゃつくカップルを覗こうとする。パラソルから出て泳ぎに行く黒い水着の男。パラソルの中には半分砂に埋もれた欣子の死体。

第2章 博士夫人
「検証」
 蘆谷警部の取調べ。沖島貞作刑事も捜査に加わる。欣子の死因は、心臓への短刀の一刺し。
「伊達巻の女客」
 現場にあった赤鼻緒の下駄を手がかりに、猪俣刑事は、海水旅館の欣子の連れの客に事情を聞く。その客こそ、蛭川鞠尾。蛭川博士の奥さんである。彼女の証言により、欣子に話しかけてきた背の低い男性がいたことが判明。

第3章 呪の邸宅
「巨大な怪人」
 蛭川龍造博士宅に行った猪俣刑事は、そこでハゲで唖の巨人、與四郎に襲われる。博士夫人があわてて出てきて、與四郎を制止する。與四郎は蛭川博士の縁つづきの低能な片輪者だったが、引き取り手がないため、当家で下男として住まわせているのだった。
「悲しみの婦人」
 蛭川博士は重症の癩病で半身不随になり、二階の病室にひきこもっており、窓から外を見たり、窓から物を投げたりしている。

第4章 二匹の鼬
「探り合い」
 了吉は厚平の犯行だと思い込み、目撃証言も「背の高い外人風の男」だったとうそをつき、証拠の品をちょっと離れた砂浜に埋めておいた、という。
「奸悪の輩」
 桐山ジュアンは日曜日になると、こっそりとどこかに行っているようだ。ちなみに殺人があったのも日曜日。
「かふぇー・あざみ」
 欣子惨殺の現場に落ちていた、かふぇー・あざみのマッチ。その、かふぇー・あざみに入っていく桐山ジュアン。

第5章 地下の歓楽境
「アザミクラブ」
 かふぇー・あざみの奥には、賭博、阿片、舞台、浴室で構成された会員制の秘密クラブがあった。桐山ジュアンはその賭博室で、ルーレットの開帳を待っている。
「盲目の教授」
 賭博室で盲目の葉村教授と、その娘、美奈子に接触する桐山ジュアン。
「暗号通信」
 かふぇー・あざみに来た刑事が、傘立ての傘に、桐山の名が彫りこまれているのを見て、桐山に会わせろ、とバーテンに詰め寄る。バーテンは地下ホールにつながる非常用の呼び鈴を鳴らす。
「発狂」
 非常警報で混乱の中逃げ惑う客たち。その混乱のなかで、葉村教授は狂ってしまう。

第6章 陥込んだ罠
「警視庁の一室」
 蛭川博士は怪しいけれど、重症の癩病であれば犯行は不可能。唖の與四郎は鞠尾夫人に横恋慕しているのではないか、という疑念。
「意外な手紙」
 桐山ジュアンは学生と暴力沙汰を起こしていたが、示談で済んでいた。だが、示談で済んでいることを厚平、了吉はジュアンに隠している。警察では、ジュアンは人殺しなどしそうにない、と言っている最中に、ジュアンを告発する密告手紙が届く。厚平と了吉が書いたものだ。
「張込み」
 警察がジュアンに事情を聞きにいくが、ジュアンはもぬけのから。
「鼬の本領」
 ジュアンは、了吉に、犯行当日、館を2時間しかあけていない厚平は犯人ではありえない、と言う。了吉は、厚平が密告手紙を書いていた、とジュアンにチクり、ジュアンは逃亡。警察が来たときにジュアンが既に逃げていたのは、こういうわけだった。

第7章 二度目の殺人
「海岸の黒影」
 犯行現場で何かを探す小柄な人物が目撃された。鞠尾夫人より、蛭川博士殺害の報せ。
「現場の概略」
 蛭川博士は自宅2階病室で斧で殺されていた。
「疑問の遺留品」
 犯行時、夫人と與四郎は不在で、博士一人だった。現場にあった手袋は蛭川博士のもの。凶器の斧も、犯人が逃走に使った細引きも蛭川家のもの。
「夫人の驚愕」
 死体にかけられていた白い布を取ってみて鞠尾夫人は叫ぶ。『これは主人ではありません!』

第8章 新しい捜査方針
「再検証」
 被害者は蛭川博士ではなく、別人の癩病患者だった。再度室内の調査がはじまる。
「博士失踪」
 生前に博士を診察したことのある尾形医師は、死体が博士に似ていると言う。沖島刑事は推理する。蛭川博士は自分が殺されたように見せかけて姿をくらました、と。
「変身術」
 蛭川博士仮病説。片瀬の海岸での殺人も博士のしわざではないか。唖の與四郎=蛭川博士説を受けて、専門家の試験により、與四郎は正真正銘の唖だと証明される。
この章から、ちょっと長いけど、本文引用。
それにしても、博士を欣子殺しの犯人として見ることは、だいたいにおいて筋道が立っていた。そうしてしかも、博士とその欣子殺しの嫌疑がいつ自分の身にかかってくるかということをおそれて、自分というものをこの世から抹殺すべく、今度の殺人を敢行したのだとも見られるのだった。
したがって、それには博士の病気がまったく仮病で欣子殺しの時などは、抜手をきって沖へ沖へと泳ぐことさえできたものと見ねばならぬ。背の低い小柄な男だったという鞠尾夫人の証言と、背の高い毛唐のような男だったという井波了吉の(実は嘘の)証言と、それがここでも問題になる。そしてまた、夫人が海岸でその男の顔を見た時、それが博士であったとすれば、どうして夫人にはそのことが気づかれなかったか、その点もよくよくは分らなかった。きわめて不気味な、現実には到底有りそうもないことながら、蛭川博士は奇怪な変身術でも行うのではなかろうか。
そこまで考えた時、誰しも眼のさきに思いうかべるのは異形に腐れふくらんだ、あの醜い大きな顔であった。眼をとじると、それがドンヨリとした灰色の空間に、雲の集まったような大入道となってニタニタと嗤うような気持ちさえする。変身術が実際に行われるなどと、誰も本気になって考えたくはなかった。が、その中でも猪股刑事は、なにがなし不気味に思えてしかたがなかった。最初に感じたあの不可解な恐怖が、いまとなってはいっそう強く憶いだされた。まぼろしの空間にうかぶ博士の顔が、その蔭に秘密喇嘛教の奇怪な獣人の姿を蠢かせたり、あるいはまた剥げおちた曼陀羅の絵のようにいろいろと変わって、急に大きくなったり縮んだりした。

「馬鹿由」
 鞠尾夫人は両親によって外国のサーカス団に売り飛ばされ、外国をめぐる内に、博士と出会って救われて結婚していた。博士の出生地は不明だという。
與四郎に関する情報が長野県の警察から寄せられた。聾で唖の馬鹿由にそっくりだというのだ。馬鹿由はどえらい力の持ち主で見世物師に連れられて外国を巡業しているのを目撃されている。目撃した人物は葉村喬太郎という医学博士で、詳しくは知らないが東京に住んでいるそうだ。

第9章 或夜の事件
「青年会館」
 桐山ジュアンによってクラシック・コンサートの会場に呼び出された了吉。
「夜の外苑」
ジュアンは学生と暴力沙汰を起こしおり、それは既に示談になっているが、その事実を厚平が隠していた。了吉はその事実をジュアンに暴露する。その現場を厚平に見られて、厚平、了吉間に一触即発の険悪なムードが漂う。二人は、ジュアンの潜伏先をつきとめようと休戦。だが、ジュアンは尾行をまいて、潜伏先はつきとめられなかった。
「狂える教授」
 ジュアンは発狂した盲目の葉村教授とその娘のところにかくまわれていた。狂った教授は、眼玉をくれ、と騒いでいる。

第10章 謎の密雲
「緑色の日記」
 教授の娘、美奈子は日記に秘密を書いているらしい。ジュアンと美奈子は日記の取り合いとかしてじゃれる。
「拘引」
 葉村教授に話をきくために沖島刑事が訪問する。ジュアンは自分をつかまえにきたと勘違いして、逃亡。
「個人鑑別」
 蛭川博士=葉村教授説。鞠尾夫人に面通ししてきいてみると、知らない人だと言う。どこか怪しい、と思って調べてみて、葉村教授が本物の狂人とわかり、別人であると推定。美奈子の日記から、葉村宅で桐山ジュアンをかくまっていたことが露見する。

第11章 蹶起せる混血児
「情報」
 美奈子よりジュリアンへ(局どめ別名義手紙)、ジュリアンより美奈子へ(旭新聞に暗号広告)の秘密のやりとり。片瀬海岸で子供たちが短刀の鞘を拾った話。鞘には東海林という名前が彫ってある。
「闘争の前」
 沖島刑事に浅草のバア「龍の巣」に呼び出された了吉。実は呼び出したのはジュアンで、了吉から情報をひきだす。厚平が美奈子からダイヤの指環をまきあげて売り払ったこと、了吉が現場に東海林と彫った鞘を隠して厚平をゆすろうとしていたこと。

第12章 太陽ホテル事件
「骨董商」
 欣子のダイヤを買った贓物買いの倉知為次郎を訪ねるジュアン。ダイヤは一足先に佐々山と名のる背の低い、しゃがれ声の人物に買われたらしい。
「十七号の客人」
 佐々山と倉知の取引現場、新宿太陽ホテルに行くジュアン。フロントで、佐々山には来客があったが既に帰っており、部屋には佐々山ひとりだと聞き込む。掃除夫に聞くと、佐々山は週一でホテルを利用しており、女づれ。その女は欣子そっくり。
「三度目の殺人」
 ジュアンは十七号室で倉知の死体を発見する。ホテルの帳場にはカフェー・アザミのバアテンがいた。

第13章 恐怖の指環
「電線のささやき」
 犯人はダイヤの指環を奪うために倉知を殺したにちがいないが、その指環にどんな秘密があるのだろう。
 新聞に自分の名が載ったのを見て、ジュアンはなによりも美奈子を安心させるために、怪物・蛭川博士をつかまえる決心をする。
「意外な伝説」
 ジュアンは美奈子から意外なことをきく。蛭川博士から欣子、厚平、倉知へと転々と所有者を変えるダイヤの指環は、盲目の葉村教授がかつて持っていたことがあり、その指環を持っていると命を失うという伝説があった。
「唯一の道」
 葉村教授は蛭川博士なのか?だが、片瀬海岸の殺人のとき、葉村教授は薊クラブにいた。倉知殺害のときは、留置場内にいた。アリバイがあるのだ。だが、蛭川博士は変身術を使って不可能を可能にしたのかもしれない。

第14章 怪物襲撃
「唖の與四郎」
 ジュアン、鞠尾夫人宅を訪れる。そこで唖の與四郎に会う。
「夫人の答え」
 蛭川博士による一連の犯行の動機は指環にある、とジュアンは鞠尾夫人に指環の秘密を問い詰めるが、夫人は何も知らないという。
「浴室の悲鳴」
 ジュアン、與四郎に襲われる。與四郎をたたきのめすジュアン。夫人宅にとってかえしたジュアンは、浴室から夫人の悲鳴と、「わしだ、わしだ、騒ぐじゃない」と言う妙にしゃがれた声を聞く。しかし、浴室に押し入ったジュアンが見たのは夫人だけだった。
「恐ろしい脅迫」
 ジュアンは、のびている與四郎に水を持って行ってやる。鞠尾夫人に聞いてみると、浴室に蛭川博士が入ってきたが、来たことを告げると殺すと脅して出て行ったとのこと。
ジュアンは、帰りぎわ、夫人になにごとかを言う。夫人はひどく驚く。その言葉こそ、ジュアンの推理のいとぐちになったものである。

第15章 潜りの探偵
「妙な訪問客」
 私立探偵原田が美奈子宅をたずねる。癩病院から患者を1人買い上げた人物がいる。蛭川博士=葉村教授の噂を止めるために、癩病院での目撃者に口止め料が必要だ、と告げる。
「吉報」
 そこに桐山ジュアンが出てきて、すきなように言いふらせ、と私立探偵を一蹴する。

第16章 真犯人
「色めく警視庁」
 警視庁に連行されたジュアンは、美奈子の日記帳をもとに、犯行当日(8月1日)葉村教授も自分も薊クラブにいたことを明かす。これでジュアンのアリバイは成立した。さらに、ジュアンはある推理を刑事に述べたようだ。
「大寺療院」
 身代わりに殺された癩病患者は、大寺病院から、試験的療法の名目で派遣された人物あることが判明。
「再びあざみクラブ」
 地下の歓楽境、薊クラブに警察の手入れ。かふぇー・あざみのバアテンと太陽ホテルの従業員を兼ねていた千葉省吾という男が、かふぇー・あざみのマッチは太陽ホテルで佐々山に渡されたことを供述。
「最後の犠牲者」
 蛭川博士宅に、了吉、厚平二人の死体。

第17章 博士の正体
「半信半疑」
 鞠尾夫人に事件のあらましを述べる警察。
「ジュアンの推理」
 了吉と厚平が殺されねばならなかったのは、指環の秘密を守るためだった。
ジュアンが鞠尾夫人にささやいて顔色をかえさせた言葉というのは、ジュアンが蛭川邸に隠れ棲んでいるという事実の報告だった。
ジュアンは推理を述べ立てる。蛭川博士など存在せず、癩病院から身代わりにつれてきた患者を殺して、その死体が蛭川博士ではない、と証言することで、犯行後に行方をくらませた怪物・蛭川博士の存在をでっちあげたのではないか。
「四人の証人」
蛭川博士が失踪したのではなくて、博士はもともと存在しないものであり、しかも鞠尾夫人はその存在しない博士にすべての嫌疑をかけるため、借りてきた癩病人をたくみに利用して、博士が失踪したように見せかけたのだ

ここでジュアンは、鞠尾夫人こそ怪物・蛭川博士の正体だ、と断言する。
浴室でのことは、與四郎に命じてジュアンを襲撃させたが、逆にやられてしまい、思いもかけずジュアンが鞠尾夫人宅に戻ってこようとしたので、後をつけて首尾を確認していた夫人が、もとの着物姿になることができず、浴室という場を選んだのである。
証拠を出せ、と言う夫人に対して、ジュアンは、癩病院の院長、病院で目撃していた薬局生、贓物買の店の小僧、太陽ホテルの帳場の老人と、証人をつれてくる。
変装を解かれようとした鞠尾夫人は、ついに暴れて自ら犯行を認めてしまう。

第18章 予審調書
「欣子殺し」
 鞠尾夫人は、片瀬海岸での殺人者は、黒い海水着姿だったのに、自分は薄緑色の水着だった、と言って、犯行を認めない。
尋問のすえ、意外な事実が判明する。
鞠尾夫人は、断髪で、ふだんは男装していたのである。欣子とは同性愛の関係だったが、プレゼントした指環を別の男、厚平にあげてしまったりして、嫉妬と失恋で欣子を殺そうとした。
男が殺した、と思わせたいがために、海岸という場を選び、水着を3枚着用して、海に出た。まず、緑色の水着で欣子と一緒に海岸に行き、1枚脱いで黒い水着姿になって欣子としばらく遊ぶ。このときに目撃されたのが、「黒い水着を着た小柄な男」だ。で、殺してから海の中で黒い水着を脱ぎ、緑色の水着姿になって、先に宿に戻っていたのだ。
「指環の秘密」
 鞠尾夫人は、かつてサーカス団に売られて外国を巡業中に、葉村教授にひきとられた。同じく葉村教授にひきとられた唖の與四郎が、鞠尾への思慕から、葉村教授を襲撃し、その際に、葉村教授は盲目になってしまう。教授を死んだものと思い込んでいた鞠尾と與四郎は逃亡し、その際にいまわしい来歴のある指環もくすねた。

第19章 大団円
 精神病院に入っていた葉村教授は全快して退院。
薊クラブで賭博していた件はジュアンも教授も不問。
唖の與四郎は、葉村教授の姿を見て、飛び降り自殺。
美奈子は、ジュアンに、鞠尾夫人を怪しいと思ったきっかけについて聞く。
ジュアンが蛭川邸に隠れて寝泊りしていることを鞠尾夫人に告げたあと、ジュアンは蛭川邸で襲われた。彼が蛭川邸にいるのを知っているのは誰なのか、と考えてみたのが最初のヒントだったのである。



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