バロン、耳をすませば、幸せな時間、ユメノ街
2006年8月8日 アニメ・マンガ
柊あおいの『バロン-猫の男爵』『耳をすませば』『耳をすませば-幸せな時間』『ユメノ街-猫の男爵』を読んだ。「猫の恩返し」の原作と、そのシリーズもの。
シリーズというのは、「耳をすませば」の月島雫(きらりんレボリューションじゃないよ!)のシリーズではなくて、地球屋の猫の男爵、フンベルト・フォン・ジッキンゲンのシリーズ。
『バロン』は映画とほぼ同じ流れだが、迷路を抜けるアイディアは、映画版の方が間抜けでわかりやすかった。
『耳をすませば』は図書室の貸し出しカードで、常に見る名前からはじまる恋物語で、最近の図書室だと、きっとコンピュータ化されていて、こんなロマンスも生まれないのかと思うと、夢がなくなったなあ、と思った。
『幸せな時間』はその2人の後日談。卒業してお互いの進路が違ってしまったら、恋愛も終わってしまうんじゃないか、とかいう学生ならではの問題に答えを出している。
と、いうか、進路が違う、つまり同じ場所にいなくなると恋愛は終わる、という発想が僕には不思議でならない。遠距離恋愛は無理、とか。
確かにセックスフレンドならば離れていては成立しないけど、恋愛はじゅうぶん成立するんじゃないのか。
『ユメノ街』は一転して、ファンタジー。運命の2人が出会って恋愛を成就させる、というお決まりのパターンかと思わせておいて、けっこう怖い話を書いている。
世界から犬が絶滅し、今、犬に見えているのは、心を失った人なのだ、とかいう話。
こうしてシリーズをまとめて読んでみると、主人公の未熟な少女を、バロンが導く、というお話なのだ、とわかる。「猫の恩返し」見たとき、バロンの存在理由がよくわからなかったけど、今なら明らかだ。これら作品に出てくる少女は、自分の力だけでは成長できなかったのだ。バロンがいたからといって、成長したわけでもない主人公もいるが、少なくとも、悪い方向にはいかなかったのだから、よしとするか。
で、一番面白かったのは『耳をすませば』だった。
童話好きの男の子と女の子が、お互いに好きになっておさまるべきところにおさまる話。
この2人がイマイチ冴えないのが、いい。
最初から好き同士の2人が両思いになるのは微笑ましいが、別にうらやましくもなく、勝手に2人くっついとけば、というスタンスでおれるのだ。
そして、図書館に行って、アーサー・ランサムでも借りて読みたくなってきたのが、収穫。
こっちはウサギ号じゃなくて、ツバメ号だけど。
シリーズというのは、「耳をすませば」の月島雫(きらりんレボリューションじゃないよ!)のシリーズではなくて、地球屋の猫の男爵、フンベルト・フォン・ジッキンゲンのシリーズ。
『バロン』は映画とほぼ同じ流れだが、迷路を抜けるアイディアは、映画版の方が間抜けでわかりやすかった。
『耳をすませば』は図書室の貸し出しカードで、常に見る名前からはじまる恋物語で、最近の図書室だと、きっとコンピュータ化されていて、こんなロマンスも生まれないのかと思うと、夢がなくなったなあ、と思った。
『幸せな時間』はその2人の後日談。卒業してお互いの進路が違ってしまったら、恋愛も終わってしまうんじゃないか、とかいう学生ならではの問題に答えを出している。
と、いうか、進路が違う、つまり同じ場所にいなくなると恋愛は終わる、という発想が僕には不思議でならない。遠距離恋愛は無理、とか。
確かにセックスフレンドならば離れていては成立しないけど、恋愛はじゅうぶん成立するんじゃないのか。
『ユメノ街』は一転して、ファンタジー。運命の2人が出会って恋愛を成就させる、というお決まりのパターンかと思わせておいて、けっこう怖い話を書いている。
世界から犬が絶滅し、今、犬に見えているのは、心を失った人なのだ、とかいう話。
こうしてシリーズをまとめて読んでみると、主人公の未熟な少女を、バロンが導く、というお話なのだ、とわかる。「猫の恩返し」見たとき、バロンの存在理由がよくわからなかったけど、今なら明らかだ。これら作品に出てくる少女は、自分の力だけでは成長できなかったのだ。バロンがいたからといって、成長したわけでもない主人公もいるが、少なくとも、悪い方向にはいかなかったのだから、よしとするか。
で、一番面白かったのは『耳をすませば』だった。
童話好きの男の子と女の子が、お互いに好きになっておさまるべきところにおさまる話。
この2人がイマイチ冴えないのが、いい。
最初から好き同士の2人が両思いになるのは微笑ましいが、別にうらやましくもなく、勝手に2人くっついとけば、というスタンスでおれるのだ。
そして、図書館に行って、アーサー・ランサムでも借りて読みたくなってきたのが、収穫。
こっちはウサギ号じゃなくて、ツバメ号だけど。
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